一年半

投稿者: | 2020年9月24日

拙宅をのぞいてくださって誠にありがとうございます。
さて、ワタクシごとですが。昨年4月に来台して一年半、来月の半ばころにとうとう帰ることになりました。正直言って帰りたくない。もちろん、言葉はまだまだだし、不便なこともあるし、ゾロサンは無いし(無いよ!圧倒的にゾサは不足しているよ!!!)いんですけど、この国にいる方が気持ちがのびのびとリラックスできる気がするというか。なんというか日本って、人の目を気にしなくちゃいけないプレッシャーがありすぎるというか、アレすべきコレすべき、きちんとしなければならない、全て自己責任、って窮屈な感じがどうしてもあって。この国の人達も、空気を読んだり、人の気持ちを察したりする傾向はありますが、放っておいてくれることも多くて、程よい感じなんですよね。あと、この国の合理性を愛してる。民間信仰が強くて、未だに拝拝の日には街中でお札焚いたり、迷信を信じたりするようなところもあるけど、社会制度的な部分はものすごく合理的で効率的。合理的で効率的な方法イコール融通がきかないと思われがちだけど、この国の合理性は「本質は何か」に依拠しているので、イレギュラーが起こった時でも融通がきくのがすごい。日本だと規則は規則です、規則外のことは出来ませんとなってしまうような場面でも、「この規則の目的はこうである」「目的と規則がそぐわないなら、このケースにおいては規則が間違っている」「問題を解決するためにはどうすればいいか」で行動するから、イレギュラーケースでも物事が進むことが多くて。合理とはまさに理にかなったこと、これこそが合理的!と感心しきり。いやもちろん、全てが全て何もかもいいってわけじゃないですけどね。ワタクシ、自分自身が適当なので、日本みたいになにもかもキッチリキッチリ完璧じゃないとダメ出しをされてしまう(もしくは、ダメ出しされがちな)社会って、適合できてなかったんだなーということがこの一年半でよくわかりました。自分の適当さを許して許されて、同時に相手の適当さをも許すやり方の方が生きるのが辛くない気がする。はー……(飲んでるフレッシュキウイスムージーの中から取り除ききれてないキウイの皮が出てきた。こういう適当さ、私は気にしないし嫌いじゃない)(こういのが衛生的に気になるとか、プロの仕事としてどうなのかと思う方は、この国の適当さには耐えられないんじゃないかな)

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