家まで遠いまわり道

 終電を乗り過ごし、気付いたら見知らぬ駅で上り電車はもうなかった。

 駅のホームに茫然と立ち尽くすサンジの隣で、ゾロは大きなあくびをかましている。

「てめえ、起こしてくれって言ったじゃねえかよ。」
 サンジはゾロの背中にひざ蹴りを入れながら言ったが、ショックのあまりその蹴りは弱々しい。

「うっせえな、おれも寝ちまったんだよ。」
 めんどくさそうにゾロが言う。

 途中で座っちまったのが敗因だったとサンジは思う。バイト疲れと座席の温かさと電車のほどよい振動で眠くなってしまったサンジは、自分より後に降りるゾロに起こしてくれと言い置いて居眠りをしてしまった。考えてみればゾロもサンジと同様の状態だったわけで、気付けばこんな有り様だ。

 人影がいなくなったホームに見回りの駅員がやって来て、二人は駅の外に追い出された。駅舎の電気もほどなく消えるだろう。

 所持金は二人あわせて2000円と少々。タクシーにも乗れやしない。ファミレスで朝まで語るにも心もとない。カラオケやネカフェで夜明かしするような連れじゃない。

「歩くか。」金はないが時間と体力だけはあるゾロが、サンジの考えを読んだかのように言った。

 スマホの地図で確認するとゾロの家までここから10キロ弱。サンジの家はそこからさらに1キロちょい。約2時間半の行程だ。歩けない距離ではない。

 あほな理由で深夜の散歩だ。
 夜空の下、人影も車もまばらになった暗い道を二人で並んで歩き始めた。知らない街だということを差し引いても、夜の景色は昼間とは次元さえも違って見える。

 夜は不思議だ。
 自分と自分でないものの境界線があいまいになるからなのだろうか。昼間の明るい日の光の下では見えないものが姿を表すような気がする。夜行性の生物が思いのほか数多く存在するように。例えば、いつもは物影に潜んでいるヒミツ達が、暗がりにまぎれ、見つからないだろうと気を緩めて出てくるような。

 ゾロはサンジが大学に入ってから出会った友人だ。
 友人というカテゴリは、挨拶程度の仲から自分の大切なことを打ち明け相談できる仲まで実に広い。その中でゾロは親しいのか親しくないのかよくわからない中途半端な位置にいる。ゾロは基本的に口数が多い方ではないので会話はたいしてはずまない。でも、ざっくばらんに何でも話せる。いつもつるんでいるわけでもない。けれど一緒にいるのに気づまりじゃない。むしろ自然な気持ちがする。大事なことを相談したことはないけれど、信用できるからいざという時は頼りにするだろう。でもサンジの一番の秘密は言えない。

 好きだ。とか。

 そうだおれは。
 サンジは自分の隣で前を見ながらしっかりした足取りでもくもくと歩く男を見ながら思う。この男のことが気になる。好きだ。友達の域を越えて。

 それは、普段の学生生活を送る明るい時間帯では、きっちりと完全に隠すことができる。居心地の良い友人関係を長く続けたいと願っているからだ。友人の枠を越えないように注意深く厳重にその思いを閉じ込める。
 夜の間だけ、その思いはそっとおもてに表れる。夜の闇にまぎれれば、普段はできないこともできそうな気がする。横顔を見つめるとか、心の中で思う存分好きだと叫ぶとか。

 暗い歩道に二人の足音だけが響く。たいして会話はない。時折サンジが話しかけゾロが相槌をうつ。その役割が逆になるときもある。会話はしばしば途切れるが、その間合いは苦ではない。

 沈黙の中、サンジは隣のゾロをうかがいながら考える。
 ほんとうは友達の境界線を踏み越えたいと思っている。そしてそれは実は簡単だ。今ここでだって出来る。一言、おれが言えば済む。たったそれだけだ。
難しいのは一歩を踏み出すことじゃない。踏み出してダメだったときもう二度と前と同じに戻れない。それが恐いからなんだ。
 相手がレディだったらことは簡単だ。友達から恋人へ昇格し、別れたら恋人からトモダチへ戻る。あるいは単なる知り合いへ降格する。その移行は必ずしもなだらかとは言えないが自然なことだ。
 でもおれたちは、友達以上の関係になる前提が初めから無い。友達で始まって友達で終わる人間関係なのだ。変化するのはその親しさの濃淡だけだ。
 だから、おれのこの気持ちが間違ってる。芽生えた気持ちが間違ってる。

 そう思うから、ふたをして上から重石をのせて飛び出てこないように押さえつける。押さえつけているのに、それはひょっこりと顔を出す。特に、こんな夜には。

 冬の夜の街を歩く。もう30分以上も歩いたろうか。初めのうちは、この寒いのに歩くのかと億劫な気持ちでいたが、いまやウォーキングハイの状態になり気分良く歩くことができる。体を動かしているせいで寒さも思いのほか厳しくは感じない。ただ、外気に直に触れている顔部分だけは冷気がちくちくと肌をさす。サンジはごしごしと頬をこすった。

 マフラー持ってくりゃよかった。

 明るくないので見えないだろうが、たぶんほっぺたは赤くなっているだろう。

 はくしゅん。
 サンジは盛大なくしゃみをした。3発連続で出た。
 あ~。ずびっと鼻をすする。

「寒いのか?」 ゾロが聞いてきた。
「あ~、まあ?歩いてっから、別にだいじょ・・・おわ!」

 ゾロが自分のマフラーをはずすとサンジにかけた。「貸してやる。」言うだけ言って歩みは止めない。

 サンジは立ち止まった。ゾロとの差ができる。今までゾロの首を覆っていたマフラーはぬくもりを残してまだ温かく、その温かさの奥にゾロのにおいてがしてサンジはいてもたってもいられない。それだけで体温が上がって顔がさらに赤くなる気がする。

「あ、ちょっと!」サンジはあわててゾロを追いかけた。「なあ、おい、てめえが寒いだろ?」ゾロの短い襟足、首元が寒そうだ。寒そうなそぶりはちっとも見せてないが。
「いらねえ。風邪ひかれて、おれのせいにされちゃかなわねえし。」
「しねえよ、ってか、そりゃこっちのセリフだ!」
 憎まれ口をたたいてるだけのようでいて、その実サンジの心配をしているゾロの不器用な優しさ。

 ああ、やっぱすきだな。サンジは強く思ってしまった。

 夜の魔法。ウォーキングハイ。隠し続けた秘密。あふれる気持ち。ぽろりとこぼれた言葉。

「じゃ、いっしょに巻くか?」

 サンジは自分の首にだらんとかけられたままのゾロのマフラーを両手で大きく広げて、誘い込むようにゾロに一歩踏み込んだ。へへっと照れ隠しの笑顔付で。

 ゾロがビタっと足を止めて、険悪な顔でサンジをにらんだ。次の瞬間。
 ぎゅうっと。

「やめろ!死ぬ!苦しい、ギブギブ!!」
 ゾロにマフラーで首を絞められ、サンジは己の軽率な行動を深く後悔するはめになった。

「くだらねえこと言うんじゃねえ。」ぷいっと背を向けてゾロは再び歩きだした。

 分かってるよ、そんなこと。それがくだらないってことくらい。笑いとばしてくれよ。冗談でしかありえないことなんだからさ。おれがおまえを好きな事だって、ある意味悪い冗談だ。

 サンジはマフラーを自分の首にぐるぐる巻くとゾロのあとを追いかけた。マフラーは温かかった。

 それからまたどのくらい歩いただろうか。

「なあ、今どのへん?」サンジは聞いた。
ゾロは足を止めるとポケットからスマホを取り出し地図の確認を始めた。ゾロの壊滅的な方向音痴っぷりを知っているサンジにすればその姿はシュール以外の何物でもないが、サンジは今日に限ってケータイを自宅に忘れてきてしまったのでこれは仕方ない。
地図を確認していたゾロがいきなり無言でサンジにスマホを押し付けた。

 おれにやれってのか?コイツにしちゃ気が利いてるじゃねえか。どうせ地図読めねえんだし。

 サンジは小さな機械を受け取った。そのとき触れた相手の指先の冷たさにぎょっとした。
 見ればゾロは素手だったのだ。手袋を持ってないくせにポケットに手を入れもしなかったようだ。冷えた指先がかじかんで、それで細かい操作ができなかったらしい。

「使えよ。」サンジは自分の手袋を外してゾロに渡した。

 地図を確認すると道のりの3分の2ほどを消化していたことが分かった。

「もうちょっとだ、ゾロ。あと1時間もしないでおまえの部屋へ着くはずだ。」スマホをゾロに返しながら言う。「手袋、おまえに貸してやるから使えよ。」

「いらねえ。」
「なんでだよ。だったら、おれもこれ返す。」 サンジはマフラーを外そうと首もとに手をやった。
「それはしてろよ。」
「じゃあ、てめえもおとなしく借りろよ。」
「おまえ、手を大事にしてるじゃねえか。」

 瞬間サンジは息をのんだ。確かに自分の夢のために手を大事にしていた。それをこうしてゾロから指摘されるなど。まるでゾロにとっても、それが大事なものであるかのように。