ジジイがライバル

 

惚れて惚れて惚れぬいた人間を、口説きに口説いて口説き落とした。

周りからは、やめろ、無理だ、無謀だ、正気か、など散々言われた。 中でも多かったのは、相手は男だぞという忠告だった。知っている。見ればわかる。男だ。だから何だ、それがどうした。そんなものは生まれ持った性質だ。髪の色や瞳の色、眉毛の形と同じじゃねぇか。問題になることだろうか。 例えば。髪の毛が輝く金髪だからといって、付き合うのに障害があるのか?恋人の瞳の色が美しいブルーだからといって何か不都合でも?眉毛が、くりくりっとなぞりたくなるような、いかにも可愛らしげな様子で巻いているのが悪いと?否!答えはNO!だ。つまり、性別なんてのは何の問題もねぇってこった。

そんなわけで、周囲からのおせっかいじみた警告をいらぬ心配すんなと一喝し、おれは自分の意思を貫き通した。大事なのは自分の気持ちだ。それから気合いだ。友人の中には「押しても駄目なら引いてみよ」という言葉を引き合いに出し、押して迫るだけではなく、違う方法でやってみたらとかなんとか注意をしてくるヤツもいたが、何を言っている。「押す、さもなくば引く」のどっちかだろうが。引いてる間に逃げられたらどうする。そんな中途半端で生ぬるい方法、おれは絶対認めねえ派だ。当然、押せ押せで押した。全身全霊をかけて口説いた。愛してるとか、おまえだけだとか、おれにはおまえが必要なんだとか、浮気は絶対しねえとか、今までのおれではあり得ないセリフでさえ、こいつ相手に必要とあらば惜しげもなく恥ずかしげもなく言いまくった。

その甲斐あって、ようやくイエスの答えを得たときは嬉しさでどうにかなりそうだった。その場ですぐにでも押し倒したいところだったが、思いとどまったのは、相手が頑なに拒んだからだ。イヤなのか?と聞いたら嫌じゃないけど順番が……とか言いやがる。イヤじゃないならいいじゃねえか、と思うおれだが、そこは相手の気持ちを尊重した。無理強いしたせいで、つきあうことが決まった日に即座に別れるという愚は犯したくないし、何より嫌われたくない。

薄々そうじゃねえかと思っていたが、妙にお堅くて、まァ言うなれば「箱入り」育ちのハニー(恋人になったらハニーと呼ぼうと決めていた)(おれのハニーは綺麗な蜂蜜色の髪の毛だから、そう呼ぶ資格も権利もある)(しかし、人前では「ハニー」と呼ぶなと言われている)(恥ずかしいらしい)(そこがまたかわいい)の反応に時折てこずりながらも(といっても面倒くさいと思ったことはない。あれこれ手間がかかるのも楽しいものだ)、少しずつ付き合いを深めていったある日、ハニーが言った。

「ジジイがさ、おまえのこと、うちに連れて来いって」
「おお、いいぞ」
おれは気軽に返事した。

ジジイことハニーの保護者との初顔合わせだ。多少、緊張を覚えないわけでもないが、望むところだ。正式なプロポーズこそまだしてない(正直に言えば、出会った早々に結婚の申し込みはしたが、その時は断られた)が、おそらく、というか間違いなく一生付き合うであろうハニーの保護者ともなれば、おれにとっても親となる人だ。お父さんだ。ハニーの話にもよく出てくるし、挨拶方々会いたいと思っていたのだ。

けれども、どうも雲行きが怪しい。

「でもよ。家に連れて来いって言われたけどよ、おまえ、殺されるかもしれねえ」
「大げさだな」
「いや、どうかな。ジジイ、包丁砥いで待ってるって言ってたし。連れて来るときは、首洗うの忘れんなよって相手に伝えとけって」
「……物騒だな」

本人は全力で否定するが、こいつは守られて大事に育てられた人間に違いない。こんな風に箱入り娘みたいな人間に育つのは、愛情をたっぷり注がれて、可愛がられて育ったからこそだ。「すっげー厳しくってよ、その辺のヤツらと違っておれは甘っちょろい育てられ方なんてしてねえよ」とハニーは言うが、そりゃ嘘だ。会話の端々に出てくる「クソジジイ」こと保護者であるじーさんが、本人に気付かれないよう、甘やかし、溺愛したに決まってる。しかし、だ。いまや、この世の中で一番愛情を注いでいるのはおれだ。溺れるほどの愛情で甘えさせるのはおれの役目だ。ハニーを育ててくれたじーさんには心から感謝するが、そろそろ役割交代で子離れをしてもらう時期だろう。

「どうする?日延べするか?」
ハニーが心配そうに尋ねてくるが、心配無用だ。ハニーをもらい受ける以上、じーさんとはひざを突き合わせて話し合う必要があると考えていたのだ。この機会を逃すような、あるいは敵に背を見せるようなことをおれがするわけがない。
「その必要はない。おまえのじーさんに会う」
「無理してねえか?」
「いや。近いうちにちゃんと挨拶をしたいと思ってたんだ。日程決めとけよ」
「わかった」
おれの答えに、ほっとしたように顔をほころばせたハニーにキスしようとにじり寄ったら蹴り飛ばされた。ハニーの愛情表現はいつもいささか暴力的だ。

 

 挨拶の日。
ハニーの実家であるレストランの入り口には『本日休業』の札が下がっていた。チャイムを押すと、心配そうなハニーが出てきて、奥の部屋へと案内してくれた。そこには既に、特徴的な髭が印象的な威厳のある老人が座っていた。緊張がはしる。おれは数々の勝負をしてきたから分かる。このじーさんは強い。ただ者じゃねえ。隙を見せたら負ける。とはいえ、今日の目的は勝負じゃねぇ。穏便に、と自分に言いきかせる。通り一遍の挨拶をした後、さて、と本題を切り出そうとしたら、じーさんの方が先に動いた。

「チビナス」
じーさんがハニーに話しかけた。チビナス?そう呼ばれているのか!なんつー愛らしい呼び名だ。いいことを聞いた。今度、おれも使ってやろう。
「コイツと二人で話したい。遠慮してくれ」
おれとじーさんを前に、落ち着きなくそわそわしていたハニーは、不安そうな素振りでおれを見たが、おとなしく引き下がった。じーさんと二人きりになった途端、部屋の温度が急に下がった気がする。空気がよそよそしい。一気に緊張が高まる。おれは背筋を伸ばして丹田に力を込めた。顔をまっすぐに上げて相手を見据える。おれの視線をこともなげに受け止めて、じーさんは口を開いた。
「おまえのことはアレから話を聞いているが」
一度言葉を区切った。おれは身構えた。
「おまえはアレをどう思っている?」
答えは簡単だ。おれは即答した。
「愛してます」
「聞こえんな」
「あいしてます」
おれは大きな声で言ってやった。年寄りなので耳が遠いのかもしれない。
「どういうつもりでアレと付き合っているのか」
またしても質問されたが答えはひとつだ。迷い無く答えた。
「生涯の伴侶になっていただきたいと考えております」
「声が小さい!」
「是非、わたしの生涯の伴侶に!」
はっきりと言い直す。
「聞いたところによると、おまえは女性から言い寄られることが多いそうだが、誘惑されたり目移りしたりするようなことは…」
「浮気は絶対にしません」きっぱり言い切る。
「心変わりなど考えなくて結構です。一途に愛し抜きます」

その後も、じーさんからの問いかけ(尋問といってもいい)に、「幸せにします!」「一生お守りします!」と、ひとつひとつできるだけ大きな声ではっきりと答えた。耳が遠いらしいじーさんへの配慮もあるが、声の大きさは気持ちの現れだ。ここで答えにためらったり、恥ずかしがって小さな声で言ったりしたら、おれの誠意が疑われる。時々、ドアの向こうから微かな物音が聞こえてくる。ハニーがうろうろしているのだろう。心配するな。おれは負けねえ。認めてもらえるよう、おまえへの愛をじーさんに対しても堂々と宣言しよう。

「アレはたった一人の身内だ。慈しんで大事に育ててきた」
そろそろ質問も尽き、じーさんの話も終わりの方向へ向かう気配となった。 「いつか、アレが自分で選んだ相手を連れてきたら、……外見がどうであれ、性格や性別がなんであれ、どんな馬の骨であれ認めるしかないと思っていた」

 馬の骨呼ばわりだ。しかし、おれは黙っていた。大切に育て上げた子供を、他人に委ねゆくじーさんの気持ちも分かる気がするからだ。
「相手がどんなロクデナシでバカで甲斐性なしでたわけ者でトンマでスカタンでボンクラな相手であっても、アレが選んだのならおれが口を出せることではない。仕方ないと諦めよう」
おれが反論できない場面だと知って、言い過ぎじゃねえのか、じーさん。本心出過ぎだ。しかし、ここは耐え時だ。
「ひとつ、約束してもらいたい。アレを絶対に泣かすな。悲しい思いも辛い思いもさせたくない。泣かせるようなことがあったら、許さねえから覚えておけ」
「約束します。ぜったいに泣かせません!」
気に食わないじーさんだが、その点に関してはおれも全く同感だ。ハニーを泣かせたくない。いつも笑顔でいてもらいたい。辛い思いもさせたくない。じーさんの言うことに異論は全くないから、おれは心の底から宣言した。その途端、部屋のドアが大きな音を立ててドアが開いた。おれとじーさんが驚いて振り返ると、ハニーが全身を震わせて立っていた。

「どうした?」
「どうした、チビナス?」
おれとじーさんはほぼ同時に(といっても、おれの方がわずかに早かった)尋ねた。ハニーは白くて長くて形の良い指をおれに突きつけて叫んだ。
「この、嘘つきー!」
「は?」
謂れのない指摘におれはびっくりした。聞き捨てならない。おれは嘘は吐かない。約束は守る性質だ。ましてやハニーとの約束だったら絶対に守る。しかもこの状況でどこに嘘があったというのだ。納得できない。
「ちょっと待て、嘘って何だ?」
問いただすおれに、ハニーは言い募った。
「おまえ、おれを口説いているときに『こんなことを言うのはおまえだけだ』って言ってたよな。それなのに、ジジイに向かっても同じこと言いやがって!それもドアの外まで聞こえるくらいの大きな声で!」
「いや、それは、じーさんに訊かれたから答えただけで」
「違うだろ。おまえの声、全部筒抜けだったからおれには分かっちまったけどな。どう聞いてもおまえはジジイのこと口説いてた!」
「口説かねえよ!!」

普通に考えたら分かるだろうが!なんでおれが、おまえのじーさんを口説かなきゃならねえんだ。落ち着いてくれ。
「いくらジジイが渋くて格好いいからって、一目惚れして口説いてんじゃねえよ!」
「しねえよ!」
「おまえ、おれのことだって、初めて見たときから好きだとか、散々言ったよな。実は一目惚れしやすい人間なんじゃねえの?」
「違う!おまえだけだ」
「じゃあ、なんでジジイと二人っきりの部屋で、ジジイ向かって『あいしてます!』とか叫ぶんだ?!」
「それは確かに、じーさんに向かって言ったけど、じーさんに向かって言ったわけじゃねえ!」
「どっちだよ!?おまえが、そんな中途半端なことを言うなんて、嘘ついて誤魔化してるって証拠じゃねえか」

まずい。ハニーの誤解が暴走している。なんとか静めなければ。ハニーの思い込みの激しさは、適度であればお茶目だが、一定限度を超えると手が付けられないのだ。おれが言葉を探しているうちに、今までの怒りから一転、ハニーの態度が変わった。うっすらと目に涙を浮かべて、しょんぼりとして言う。
「おれ……おれ、ジジイがライバルとか、考えたくもねえよ。勝ち目がねえじゃん…」
圧勝だから心配すんな!っつーか、ハナっから勝負になってねえから、つまんねえこと考えんな!このこじれた思い込みをどうすりゃいいんだ。 考えあぐねたおれは、
不本意ながら誤解の元凶の一方であるじーさんの協力を求めることにした。

「じーさん、何とか言ってやってくれ。アンタの孫がとんでもない誤解してんぞ」
じーさんにしたところで、ハニーの誤解はいい迷惑のはずだ。先ほどみたいにおれに食って掛かるハニーの様子も、涙目でしゅんとしてしまう様子も、おれに対する独占欲と愛情の表れだと思えば、可愛くもあり、誇らしくもあるが、とりあえず今は事態の収拾が先だ。じーさんだったら、ハニーの性格もよく分かっているから、うまく説明してくれるだろうと期待する。

「……泣かせたな」
じーさんの言葉を待っていたおれに、そのセリフは死刑宣告のように重々しく響いた。
「おい、待てやー!」
いきなり形勢不利となっておれは慌てた。
「これも数に入れるのかよ?汚ぇぞ、じーさん!この期に及んで、それを持ち出すんじゃねえ!」
「小僧。おまえはさっき『絶対に泣かせません』と言ったよな」
「言った!」
ハニーが容赦なくじーさんに追従する。
「その舌の根の乾かぬ内に、約束を覆すのか?おまえの気持ちはその程度なのか?チビナス、おまえは本当にコイツでいいのか?」
心なしか、じーさんの口元にニヤリとした笑いが浮かんだような気がする……謀ったな。

「クソジジイ……」
ぎりぎりと歯を食いしばりながら呟いた瞬間、腹に強烈な蹴りをくらっておれはその場にうずくまった。

「ジジイのことをクソジジイと言っていいのは、おれだけだ!」
おれの不用意な発言に、再び怒りを露わに蹴り付けたハニーの背後で、じーさんが忍び笑いをもらした。

クソジジイがライバルなのは、おれの方だ、ハニー。

 

 

end