どこへ帰ればいい。side ゾロ

  

ルームシェアすることになった相手は、サンジという名前だった。

 ***

 予算の都合で不動産会社にルームシェアを勧められた。誰かと一緒に住むのは煩わしいと断ろうと思ったが、条件に合う部屋をこれ以上探し回るのは面倒で頷いた。何の期待もしなかった。同居人は誰でもよかった。同い年。それだけが共通点のサンジとの生活は、始まってしまったら、思いのほか居心地がよかった。

 サンジが作った飯を一緒に食う。コックを目指しているというだけあってメシはうまい。おれは飯を作れないから皿洗いをする。掃除はサンジ、ゴミ捨てはおれ。帰宅が遅くなりすぎるような時は一言知らせる。オンナは部屋に連れ込まない。共同生活のルールが自然に出来上がり、ほどほどに規則正しく、そこそこに自由な生活を送れるようになっていた。一人暮らしだったらもっと自由には違いないが、同時にもっと自堕落な生活だったろう。おれはサンジとの生活に慣れ、この暮らしを失いたくないと強く思うようになっていた。そして、サンジに対する曰く言い難い気持ちを自覚し始めた、矢先のことだった。

 ***

 今日は友達と飲んでくるから遅くなる。

 朝、そう言って出て行った。おれも部活の飲み会でしばしば遅くなるし、別に珍しいことではない。気にしなくていいというのにおれの分の夕飯を用意しておくところがサンジらしい。遠慮せずにありがたくたいらげた。サンジの姿のない食卓は物足りないが、それでも外食なんかよりずっといい。

 サンジのメシは美味い。
サンジとのメシは愉しい。

 いつもの通り皿を洗い、提出期日の迫ったレポートを仕上げようと自室にこもった。暫く集中して取り組んで、ふと気づいた。

サンジがまだ帰宅しない。

遅くなると言いおいて出て行ったとしても、いつもならこの時間には帰ってくるか、あるいは更に遅くなると知らせてくるのだ。
何か、あったのだろうか。

 ***  

終電で帰宅できる時間を1時間も過ぎた頃、外の通りに車が止まる音がした。そして話し声。何を言っているのかまでは分からなかったが、間違いなくサンジの声だ。酔っているのだろう、周りに気を遣うヤツにしては珍しく、自分の声音をコントロールしきれず夜中なのに声が大きい。それをやんわりとたしなめつつ、甘やかすような調子で言い募る男の声が、サンジの声に重なった。それが友達だろうか。

 気になったおれは玄関ドアを開けて外に出た。玄関前の廊下からは通りが見える。

背の高い男が、じゃあなサンジ、元気で、そう言って、サンジの金色の髪を慣れた様子でくしゃりとなでた。そのまま頬までするりと手を滑らせると、サンジに触れた手をひらりと振ってタクシーに乗り込んだ。バタン、とドアが閉まり、走り出したタクシーをサンジは見えなくなるまで見送った。おれは、見送るサンジの背中を見つめた。あれがトモダチか?

 「おい」
そう声をかけると、サンジはぎくりとしたように振り向いた。

「ゾロ」
そしてふにゃっと笑った。おぼつかない足取りでおれの方へやって来る。一体どんだけ飲んだんだ。強くもねぇくせに。

「はやく部屋へ入れ」
おれは、よろよろ歩くサンジの腕をつかんで部屋の中へ引き込んだ。

色白の頬を上気させたサンジは、リビングの床にぺたりと坐り、見たこともないくらい上機嫌な様子で今日の出来事を饒舌に語っている。

友達と会ったのがそんなに嬉しかったのか。

水を注いだコップを渡してやるとサンジは一息に飲み干した。酔いのせいで緩んだサンジの口元から零れた水が顎から首元をつーっと垂れる。おれの腹の奥がひどくざわつく。 

「あのな、ゾロ」

そうしてサンジは、トモダチとの間にかつてあった友達なんかではなかった関係について語り出した。

それはおれにとって衝撃的な話だった。
サンジが、男と?

 一方、ひとしきり話し終えたサンジはすっきりとした顔をしていた。嫌いになって別れたわけじゃない昔の男と久しぶりに会って楽しい時間を過ごし、誰にも言えずに胸に抱えてきた秘密を打ち明けることが出来て胸のつかえもおり、酒にも酔ってるしいい気分、ってか?
聞きたくない話を一方的に聞かされたおれの気持ちはおかまいなしってか? 

ふざけるな。 

衝動的に引き寄せた体を押さえてキスをした。酒のにおいがする口中を舐めた。予想外だったおれの行動に呆然としていた数秒間は無抵抗だったサンジだが、次の瞬間、全力で暴れ出した。

嫌なのか。拒絶するのか。

さっきまで機嫌よく話をして、無防備な姿をさらしていたくせに。今まで黙っていた自分の秘密を話すくらいには、おれのことを信用していたくせに。男と付き合った過去がありながら、警戒心の欠片もなくおれとルームシェアなんてしてきたくせに。

 おれのことがそんなに嫌なのか。

 「節操ねぇんだな」
吐き捨てるようにそう言った。サンジが男とつきあっていた過去に腸がにえくりかえる。それを酔ったはずみでおれにぶちまけて清々しているサンジを傷つけたくてたまらなかった。自分のものとも思えない冷たい声が出た。凍り付いたように動きを止めたサンジの目に怯えと諦めの色が浮かぶ。

それが、終わりだった。

おれとサンジの気安く居心地のよい生活の。

 ***

 オンナを連れ込まないというルールを、おれは破るようになった。サンジは何も言わなかった。

 サンジが帰ってくるであろう時間を見計らい、わざと女を部屋に連れ込む。
名前もろくに覚えちゃない女の体をまさぐりながら、サンジのことを考える。あの身体はもっと硬くしなやかで、こんな風にぶよぶよと脂肪のついた気味の悪い手触りではない。女が甘ったれた鼻声で何か言い、おれの体に手を伸ばし、シャツを引き出しベルトのバックルを外そうとする。女の勝手にさせながら、おれは耳をすませサンジの気配を探る。鍵のかかった玄関のドアノブがためらいがちに回される音がする。

 帰ってきた。

 おれは女をつき放し、サンジが鍵を開けるより早くドアを開けてやる。

 狭い玄関にだらしなく脱ぎ捨てられた女の靴から視線を外したサンジがおれを見上げながら強がって言う。

 「よぉ。お盛んだな。2時間でいいか?それとも、」

 ルール違反を咎めもしない。怒りもしない。何気ない風を装って、おれを蔑むように言うセリフが今日も陳腐で空々しい。おれが望んでいるのは、そんな言葉じゃない。

 「いい」
全部を言わせず答えれば傷ついた顔をまた見せる。自分で傷つけておきならが、その顔を見たくなくておれはサンジに背を向けた。 

おれの背中を追う視線を感じる。 

あの日。
タクシーを見送った視線と同じだろうか。

背後で玄関ドアを閉める音に紛れて小さく、ゴメン、そう聞こえた気がした。誰に対して何の謝罪の言葉なんだ。
おれか。オンナか。それとも。

わからない。

 サンジのことも。
自分のことも。

***

2時間後、サンジは何事もなかったかのように帰宅した。

おれの行動をまるで無視。あんなこと何でもない。家賃を折半するだけの都合のいいルームメイトが何をしようと意にも介さない。そう言わんばかりの態度に思えて、おれはいつも通りに出迎えたものの、すぐさま床に引き倒した。サンジの顎をつかんで唇の間に舌を差し込む。

 「いやだ・・・。離せ・・・いやだっ!」

 また拒絶だ。

 じゃあ何でここへ帰ってくる?
こうされるのが分かっていて、どうしてここへ戻ってくる?

サンジが体をよじって懸命に首を振る。キスを避けたサンジは唇を合わせないかわりに目を合わせる。言葉で伝えられないことを目で訴えようとする。初めて会ったときから惹かれた蒼い瞳。それがこんなに近くからおれを見る。おれを見つめる目の奥に潜む感情の正体が知りたい。揺らいでいる感情の欠片が何なのか、おれの持っているものと同じなのか、知りたい。 

 「・・・な?ゾロ。頼むから・・・」

 その言葉に現実に返る。何を懇願するというのか。おれを拒絶するおまえが、おれに一体何を願う?笑わせるな。

 おまえがおれを拒むから、おれもおまえの言葉は聞かない。泣いても喚いても暴れても、自分のやりたいようにやる。

 サンジの細い顎を掴んで唇を重ねた。

余計な抵抗をしないよう腕を押さえ、体重をかけて自由を奪い、柔らかな唇を舌先でゆっくりなぞる。観念したのか、先ほどのようながむしゃらな抵抗はしなくなった。それを物足りなく感じながら、つるりとした歯に舌を押し当てる。舌をサンジの口の中に滑り込ませ、往生際悪く逃げようとする薄い舌を追いかけた。

 苦しげに閉ざされてしまったサンジの目を見たくて、白い喉を指で押す。案の定、反射的にげほげほとむせたサンジがおれを見る。見開かれた蒼い瞳いっぱいにおれが映る。おれだけが映る。

こんな風でもなければ、おれはおまえにとって同居人以上の存在になれないとはな。自虐的な気持ちから笑いたくなる。

おれを見ろよ。おまえを傷つけるおれを見ろ。おれから逃げようとするな。おれの存在を無視するな。

 教え込むようにひとつひとつ丁寧にサンジの体を隅々まで確かめた。

 おれは自分のやりたいようにやる。

サンジの意思を気にかけず、おれの好きなように構いたおし、抵抗を許さず支配する。

 けれど、本当はこんなことがしたいわけじゃなかった。

 本当は。

 以前の記憶がよみがえる。

 ***

 「なあ、ゾロ。今夜何食いたい?」
冷蔵庫から取り出した食材を手に、サンジが明るい笑顔で振り返る。
「魚」
「おう、まかしとけ。美味いの食わせてやる」

***

本当は、優しくしたかった。
傷つけたくなかった。
屈託なく笑うサンジと一緒の生活を大事にしたかった。
願いは単純だったはずなのに、いつのまにいびつに歪んで屈折したものになり果ててしまったのだろう。

何もかも諦めたように抵抗を止めおれを見ないサンジに静かにキスを落とした。

 ***

 今日の夕食はおれの好物の魚だった。何もない風を装って他愛ない会話を交わす。

 ただの、ルームシェアの相手。おれの役割はそれだからだ。

  「サンジ、魚、美味いな。外でなんか食えねぇよ。もう、絶対食えねぇ。サンジ」

「そっか。んじゃあ、ずっとうちで食やいい。ゾロ・・・」

 ずっとうちで。

 サンジ。ずっとうちにおまえは居てくれるのか?

おれと一緒に、ずっと。

  

その言葉をいつか言えるだろうか。

 

end