過ぎた宴会で酔っ払ったアホコックはおれの目の前で機嫌よくしゃべり続けている。
皆は既に部屋に引き上げて、甲板には酔っ払ったコックと酔っ払うことのないおれの二人しかいない。
アルコールの酔いが、コックのタレた目元と普段は白いほっぺたを赤く上気させ、オーバーアクションのせいで金髪頭は存在を主張するようにいつもよりふわふわ揺れている。何かのネジが緩んでいるんだろう、おれの方へ身を寄せるようにして楽しげに話しかけてくる。
「寄るんじゃねえ。そんなに近づかなくても声は届く。」
おれは何度もコックのことを手でぐいぐいと押し返さなければならなかった。
普段は目つきの悪い小憎らしい男だが、こういう顔をすると年齢より幼くみえる。
いっそ愛嬌があるといってもいい。幸せそうだ。
「おまえ、幸せそうだな。」思わず口に出した。
「あたりまえさー。しあわせだー。ナミさんはうつくしくてー。ロビンちゃんは今日もかわいくてー。春島海域は気持ちよくてー。昼間の天気は穏やかでー。洗濯物はよくかわいててー。ルフィが釣り上げた魚はでっかくてー。晩メシに出したキノコをウソップは気付かずに食っちまってー。チョッパーをシャンプーしたらすっげえフカフカでー。みんながハラいっぱい食べられてー。今日も誰も死ななくてー。マリモはみどりでー。」
どうでもいいような、どこにでも転がっているような、見過ごして見落としそうな。そんな当たり前の事柄を忘れることなくコックは逐一並べ立てる。
この男にとっての幸せの種は、ありとあらゆるところに潜んでいるらしい。その種がひとつでも芽を出せば喜ぶ。数え切れないほどある種が全て芽生えたとしても、それらをひとつひとつ大事に数え上げてはいちいち喜ぶ。そしてそれは全部他人のことだ。他人が幸せだから自分も幸せだ、と言って笑う。
アホだ。
「てめえの幸せはどうなってんだ。」
「おれはー。みんなが幸せならそれが幸せなんだー。」間延びした調子でコックが答える。
「みんなって、誰だ。」この機に乗じて、聞いてみたかったことを聞いてみる。
「みんなはみんなだー。」
「ああ、そうかよ。」酔っ払いにまともな返事を期待したおれがバカだった。
「みんなの中にマリモも入れてやるー。」思いがけないセリフに驚いて、おれはまじまじとコックを見た。コックの言うみんなの中におれがカウントされるとは。いや、違うな。なんとなくカウントされるんじゃねえかとは思っていた。でもそれをコックがはっきりと口に出して言うとは思ってもみなかった。
「仲間はずれはかわいそうだからなー。仕方ないからなー。」呂律の回らない様子でコックは続けた。
「おれが幸せだったら、てめえも幸せな気分になんのか。」
「仕方ねえなー。勝負事だったらぜってえ負けねえけどなー。こりゃ勝負じゃねえからなー。お先にどうぞーだ。」へにゃへにゃしながらコックが笑う。
「仕方ないのか。」
「仕方ねえなー。不本意だけどなー。」
そうか。じゃあ仕方ねえな。
おれはコックのゆるんだくちびるにがじりと食らいついた。青い瞳が大きく見開かれるのを間近で見届ける。愉快な気持ちが心の底から泉のように湧いてきて、意図せずにのどの奥から笑いがこみ上げる。びっくりしたのか硬直してしまったコックをいいことに、くちびるにかじりついたままの姿勢で髪やら耳やら頬やらをなでまわし、念願かなった幸せな気分になりながらぺろりとコックをなめ上げた。
アホコックを幸せにするために、おれがこのアホより先に幸せを味わうことにした。
end
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after you. お先にどうぞ。
日本語で言う場合の主語は「あなたが(お先にどうぞ)」で、 英語では「わたしが(あなたの後で)」 。言い方の違いがとても興味深い。
そしてサンジさんとゾロの違いも、こんな感じ?と思って書いてみたお話。