ハム&チーズに蜂蜜

 その日、ハムとチーズには蜂蜜がかけられていた。

 キッチンの扉を開けたら、新入りのガラ悪いコックが振り返った。他人のことを言えた義理じゃねぇと思うがコイツの目つきはすこぶる悪い。髪で隠れて一個しか見えない目ん玉が、実に雄弁に「てめぇ、今頃何しに来やがった」と語っている。

 確かに今頃と言われても仕方ねェ。朝食の時間にはちィとばかり遅いし、昼飯にはちょいと早い。実のところ今朝は割と早く目が覚めた。例の全治二年の傷が少々チクチクしたからだ。それを振り払うため、朝食までの間と思いひとしきり鍛錬し、休憩がてらひと眠りし、気が付いたら朝食は終わった気配がし、仕方ねェからまた鍛錬し、流石に喉が渇いたから水分補給に酒でも、と思ってここへ来た……などということを、コックに説明するのも言い訳じみて聞こえるし、そもそもなんでコイツにおれの行動を逐一言わなきゃならねェんだと色々面倒くさくなり、黙ってそのまま踵を返した。

「待て」
 せっかく大人しく引き下がろうというおれの心遣いをまるっと無視してコックが引き留める。
「あァ?」
「その音、聞かされてそのままってワケにゃいかねェよ」
確かに今しがた、おれの腹は盛大に鳴った。でもルフィじゃあるまいし、これしきの空腹、大したこっちゃない。別にメシが食いたいわけじゃねェ、むしろ酒だ。

 メシならいらねェ、そう言う暇もあればこそ黒いスーツの細っこい腕がひらりと閃いた。どこからともなく食材が現れ、目にもとまらぬ速さで何やら整えられていく。何かを極めた人間特有の一切無駄のない動きにうっかり気を取られているうちに。
「ほらよ」
気付いたら目の前にハムチーズトーストが乗った皿が突き付けられた。

頼んでもねェのに余計な世話だと言うべきか、頼んでもねェのに世話かけたと言うべきか一瞬迷って言葉に詰まる。
が、うまそうな匂いをたてるほかほかとした湯気の誘惑に、おれの手はふらふら伸びて勝手に皿を受け取った。意に反し、おれの腹がひときわ大きくぐうと鳴る。おれはパンより米が好みだが、こいつは実に美味そうだ。香ばしく焼けたパンにハム、それからチーズ。黒っぽい粉末は胡椒だろうか。コイツにしては気が利いてるじゃねェか。単純でいい。

 いただきます、そう言ってかぶりつこうとした瞬間、甘ったるい匂いが鼻先をかすめた。よくよく見れば、程よく溶けたチーズの上、金色の液体がかかっている。これはもしや。
「おい、こりゃ何だ」
「ハチミツだけど?ハムチーズトーストハニー&ブラックペッパー添え。てめェ如きにはオシャレ過ぎるかもしれねェが、栄養満点、味は申し分ナシ。とりあえず昼飯までそれでつないどけ」

 ハムチーズトーストはにー……ぺっ……???

はにーというのは蜂蜜か?よりによってコレに蜂蜜をかけたってのか?!なんたる冒涜。おれが甘いモノを苦手と知っての狼藉か。なんで蜂蜜なんぞ垂らすンだ。百歩譲って、パンに蜂蜜というのはまァいい。おれは食わないが、許される範囲内だろう。が、ハムに蜂蜜はない。チーズに蜂蜜もNOだ。ましてやハムチーズトーストに蜂蜜はあり得ねェ。しょっぱいモノに甘ったるいモノを合わせてどうすんだ。しょっぱいか甘いか、どっちかだろうが。どこぞの熊じゃあるまいし、蜂蜜垂らされて嬉しがるヤツがいてたまるか!

 結局コイツのやるこたァこうだ。頼んでもねェのに余計なことを。
 食う気が失せた皿をコックへ突き返そうとしたら、訝し気におれを見るコックと目が合った。
「何だよ?食わねェの?あっ、まさかてめェ、ナイフとフォークが必要とか言い出すんじゃねェだろうな?それとも箸か?」
手を付けない理由はソレじゃねェ。コイツ、何も分かっちゃいねェ。一瞬でも期待したおれがバカだった。やっぱりこの男は信用ならねェ。

「食えよ」
 期待の反動から来る落胆とコックに対する不満と、とにかく言いたいことがあり過ぎて言葉が出てこない状態のおれに向かって軽い口調で言うコックの、その浮ついた態度でさえ腹立たしい。命令かよ。誰がてめェの命令なんぞ聞くか。どうせこの後は、お決まりの台詞「海でコックに逆らうな」が続くんだろう、偉そうに。そう思っていたら。

「食えるときに食っておけ。てめェ、まがりなりにも戦闘員だろ?」
 想像とは違う言葉が聞こえてきて拍子抜けした。
「何が起こるか分からねェ航海だぜ。食えるときに食っておかねェといざって時に力が出せねェぞ。てめェ、朝飯も食わねェであのバカみたいな錘、振り回してたんだろ?だから隠し味に蜂蜜だ。疲労回復効果あンだぞ」
おれは大きなため息をついた。コイツ、本当にバカだ。何が「だから」なのか全く分からない。しかも隠し味ってどういうこった。表面でてらてら光って、これっぽっちも隠れてねェ。疲労回復だとかってのも全くもって余計なお世話だ。

 コックがムキになって、やれ殺菌作用がとか傷の回復がどうだとか蜂蜜の効能を並べ立てる。なんでこんなに躍起になっているのか知らねェが、うるさいことこの上ない。いちいち聞いちゃいられねェから半ば上の空で聞き流す。分かったのは、コックの言いぐさに乗っかるのは面白くねェがブツを片付けてしまわなければ場が収まりそうにないってことだ。まァ、好物ではなくとも食べ物を粗末にするのはおれの本意ではないし、とにかくこの煩わしさから解放されたい一心で、おれは意を決してソレに噛りついた。


……ん?こいつァ……。


ハムとチーズの塩気に絶妙に絡むコクのある甘さ。ピリッとした黒コショウの辛味がまたいい塩梅で、いくらでもイケそうな味だ。ちょっと待て、やべェ。こりゃどういうこった。

あっという間に消え去ったブツのおかわりを求めるのだけは、悔しいから意地で思いとどまった。

 

分かってるのか分かってないのか、おれの様子をうかがっていたコックが銜え煙草の口元をにやりと引き上げた。
「クソ美味いだろ?」

 

畜生、また今日もコックに騙された。

 

 

 

end