tequila sunrise

 

 

「ねえ、両思いってどんな気持ち?」

深夜のアクアリウムバーでナミは尋ねた。水槽の放つ青い光がゆらぐ。ナミの手元には空になったカクテルグラス。いつもは聞かないことだけれど、聞いてみたい時もある。

「ナミさん…?」
唐突な問いかけにカウンターの向こうから戸惑いの気配が伝わってくる。

この質問にどうやって応対しようかと一瞬だけ考える。
真面目に真正面から受け止める。ちょっと不真面目に躱して逸らしてはぐらかす。
けれどもカウンターの内側の心優しい料理人がとる行動は一つだけ。
目の前にいる女性が一番望むものを与えること。
料理人は質問者がなぜそんな問いをしたのかの真意を正確に把握した。
今、彼女が欲しいのは自分の答えなどではないのだろう。

「そうだなあ」

行き成りの問いを静かな声が穏やかに受け止める。片方だけの目がナミを映す。絞られた照明の下で、いつもはゴージャスな金の髪は鈍い色になる。

「両思いってことは、ナミさんはおれのことを思ってくれてるってこと?」
口元にほんのりと笑みを浮かべたような口調で料理人はナミに訊く。

「思ってるわよ、いつも大変だなあって。あんなロクでもない男に思われて」
「はは」
「ねえ、サンジくんはあの男が好きなんでしょう?」
「そうだなあ」
「あの男はサンジくんのことが好きでしょう」
「そうかなあ」
「だったら両思いでしょう」
「そうだねえ」
「あーあ、臆面もなく言ってくれちゃって。やだわー」
「ナミさん」

何を言っても動じないサンジの態度に、何を言っても大丈夫だと思わされる。たとえ愚痴を言っても、気弱なことを言っても、八つ当たり気味の意地悪なことを言ったとしても。

この程度のことで自分を嫌いになったりしないと信じていられるから、安心して何でも言える。

不思議だ。
本当に好きな人相手には、こんな事言ったら嫌われてしまうのではないかと怖くて言えないことだってあるというのに。

目の前の男には何だって言える。安心できる。信頼してる。大好きだ。けれど恋をするのはこの人じゃない。

「あのね。思う人に思われるのって、ただひたすら楽しくて幸せなことなんだろうなって、昔は思ってたんだけど」

独り言めいたナミの言葉に、サンジはそっと先を促した。
「今は違うの?」

いつもは自分自身に対する自信に満ち、どんなときも毅然としているのに、カウンターに頬杖をついたナミは常になく心許なげに見えた。

サンジの目から見れば、未来の海賊王が航海士のことを特別に思い大事にしているのは明らかで、悩む必要など全くないと思うのだが、如何せん繊細さに欠ける19歳の年若い船長は、好意を示すことも愛情を表現することも苦手なのだ。好きになったのがそんな男だと分かっていても、憂い事から免れるわけではない。レディを不安にさせるなんて以ての外だが、少しだけ大目にみてやって欲しいという気持ちもある。船長は元々あんな性格だし、船長でなくても男の19なんてまだまだガキだ。

……自分だって19歳の時は。
そこまで思って、サンジは煙草を取り出し口にくわえた。火はつけない。

「サンジくん見てるとよく分からなくなるわ」
「それじゃ、なんだかおれ、幸せじゃないみたいに聞こえるよ」
「じゃあ、幸せ?両想いって楽しい?」
「ナミさんに愛される方が幸せだよ」
「愛されてるってことを、否定はしないのね」

ナミさん。
料理人は優しい目で航海士の名前を呼んだ。 

あの男の気持ちを疑ったことはない。
自分の気持ちが揺らぐこともない。
お互いに相手を欲している。

ただそれは両想いと呼んでいいものなのだろうか。

相手の気持ちが見え辛くて、今は物思いに揺れることもある航海士は、相手から愛されている実感を得られれば、まぶしく幸せそうに咲き誇ることだろう。けれど自分は愛されてもそれを糧に花開いて実を結ぶことはない。
眩しく輝いて、周囲を照らすこともない。与えられた糧は、自分のためだけに食らい尽くす。自分が生きるためだけに費やして、世代を越えない。

抱える気持ちに恥じることは何一つないけれど、事実は事実として目の前にあり、諦めにも似た覚悟とともに受け入れることが出来るようになった今でも。

おれたちの間にあるものは、両思いだとか愛してるとかそんな風にやさしく甘く幸せな響きをもった言葉とは似ても似つかぬ感情だ。苛烈に、激しく、一緒にいるよりはいっそのこと、別離のほうがふさわしい。
離れがたく分かちがたい気持ちであるのは疑いもないのに、心に持つ夢が違いすぎて、その行く先へは、独りでしか辿り着けないこともまた紛れもないことだと知っている。

求め合っているのを分かっていてもなお、これ程までに殺伐とした厳しい感情を両思いだとは、目の前の愛すべき航海士にはとても言えない気がした。

にこりと笑って「幸せだよ」と言い、安心させてあげることはとても簡単なことだけれど、聡明な彼女に真実を何一つ語らないのは不誠実で、真実をありのままに語るのは無粋だと思う。

だから、こんな時にサンジに出来ることはたった一つ。

―― 明日、朝日とともに始まる新たな一日を、新鮮な気持ちで迎えることができるように祈って、この一杯をナミさんに。

オレンジ色と真紅が溶けあう、太陽と朝焼けの空を模した鮮やかで美しいカクテルを供した。

 

 

 

end