二番目の男

 ロロノア・ゾロは麦わらの一味の二番手だと目されている。

 自覚はないが、船長に次いで二番目の実力者であるという意味らしい。らしい、というのはルフィと決着がつくまで本気で勝負をしたことはなくて本当の優劣がわからないからだ。お互いの戦闘力が高すぎる上、かたや能力者かたや剣士という持てる力が全く違う者同士の戦いは殺し合い以外で勝負をつけようがなく、仲間内でそんな戦いはしない。
 かといって、海賊船のナンバーツーポジションかと問われればそれもまた違う、とゾロは思う。ナンバーツーといえば副船長だ。常に船長を支え、時には船長代行として決断し、クルーに指示するといった役割だがゾロはそんなことをした覚えがない。人の言う事をまったく聞かない船長と自分よりもずっと頭の回る連中がいるこの船では、船内のあれこれにゾロが口を出すまでもない。ましてやナミなどからは「人として何か欠けてる」と言われる自分が他人の面倒などみれるはずもない。

 だからこそ二番手の自覚も責任もないままに、世界一の剣豪の座にむけて毎日ひたすら鍛錬してメシ食って昼寝してという生活を送っていられるのだ。

 ま、一味に入ったのは二番目だしな。その意味じゃ二番と呼ばれるのも仕方ねえか。

 そう鷹揚に構えてはいるが、夢は世界一の剣豪で世界最強を目指すことでもわかるように、本来ゾロは一番にこだわる男だ。

 男として一番を目指さずして何を目指すというのか。そう思っている。

 一番というポジションが特別なのは頂点であると同時にたった一人だからだ。
その唯一の座を得るためならばどんな努力も惜しまない。努力することが目指す場所への一番の近道だと知っているからだ。

 たいていのことは努力でどうにかなった。
 目標を定める。手段を考える。達成するまで努力する。
 それで今まで問題なかった。目標に到達しないのは自分の努力不足のせいであり運のせいではない。非常にシンプルな生き方だ。そうやって自分の欲するものを手に入れてきた。

 ただ近頃気付いたことがある。
 どんなに気に入ったものでも、努力したからといって必ず手に入るわけではないという事実に。
 欲しいと思う以上何もせずに諦める気はないが、どういう手段を講じれば手にすることができるのか見当もつかない。しかもそこに努力の余地があるとも思えない。

 やっかいなモノを気にいっちまったもんだよなあ。

 ゾロは船べりにもたれて目を閉じた。昼寝の態勢に入りながら、船内に散らばる仲間の気配をひとつひとつ確かめる。
こうやって気配を探るのは身についた癖のようなものだ。もともとはものの呼吸を見極める訓練になるだろうと始めたことだが、思わぬものにとらわれてしまった。

 やっかいなモノであるコックの声が聞こえてくる。チョッパーを相手に何か喋っている。目をつぶったままその声に耳を傾ける。

 コックは見ていればうっとうしい位うるさい男だ。
 感情は豊かで表情は変化に富んでいる。しぐさは大仰で行動は騒々しい。けれどそれはこの男の表面的な一部分にすぎない。それに気付いたのは、こうやって視覚に頼らずに気配を探る訓練をしていたからだ。
 ひとは目に見えるから錯覚をおこす。視覚情報がなければ見えるものに誤魔化されることもない。見た目に惑わされないためには、気を感じ、声に耳をすます必要がある。それは単なる訓練だったはずなのに。

 アホみたいな話だ。
 見えるものだけ信じていれば気付かなくてすんだものを。

 チョッパーに何か言い聞かせているコックの声の様子が優しげな表情を帯びる。
 この男のなめらかに響く声は、手触りのよい上質ななめし革のようで、コックの派手な見た目よりもよほど上物だと思う。そしてこの声は雄弁だ。言っている内容が、ではない。
 あらゆる感情をのせるその声音は、軽々しい外見と上っ調子の態度の下に巧妙に隠されているコックの本質を偽りなく表すのだ。

 さんざん文句を言っているようでいて結局のところルフィのやることを認めて受け入れ、辛辣にけなしているようでいながらも実のところは気弱になりがちなウソップを励まし、いつもは安っぽい言葉でナミにこびを売っているのに、本当にナミが弱っているときには驚くほど真面目な受け答えと気遣いをし、非常食だといいながらチョッパーを誰よりも甘やかす。

 自分勝手で乱暴な行動に覆われている仲間思いの情に厚い気持ちや、軽薄な表情やガラっぱちな言葉遣いのうらに隠された、ばかみたいにやさしい料理人の本質を。

 あの声で話しかけられると、仲がわるいはずの自分でさえも、他のクルー同様にあの男の守備範囲に入っているという気がする。少なくとも、表に現れる仲の悪さほど、お互いの関係が悪いわけじゃないという実感はある。仲が良いとか、好かれているとはとうてい言えないが。

 そんな男の一番というポジションに。
 どうしたらなれるのか考え、あいかわらず考えつかないまま睡魔に襲われた。

 夜になり、皆が酔いつぶれた理由も定かでない宴会で、ゾロが残った料理を口にはこびながら余った酒を飲んでいると件の男が寄ってきた。

「足りてるか?」
「問題ねえ。」

 一言だけの会話をかわし、その男は後片付けのために空っぽの大皿を何枚も抱えて行ってしまった。

 用があったんじゃねえのかよ。わざわざ声をかけてくるなんて。後姿を目で追う。
 すんなりと伸びた肢体をもてあましているかのような少し猫背気味の立ち姿。ぞんざいで雑な歩の運びに見えるのに、歩くときに不必要に音をたてない隙の無さ。高い位置にある目立つ髪の色のまるい形をした頭。

 これじゃあまるで。
 恋してる女みてえだ、と思えて苦笑がもれた。
 見た目にも惑わされるなんて、われながらバカじゃねえのか。おれも終わってる。
酔ってねえし。残念ながら。

 酒に強い男は、戯れ事めいたもの思いさえも酔いのせいにはできないのだ。損な性分だ。

 酒に酔ったせい。雰囲気に流されたせい。相手に煽られたせい。
 何としてでも手に入れたいという衝動も欲望もなにもかも、そうやって何か他のせいにできたら楽だと思うのに。ぜんぶ自分のせいだ。

 仕方ねえ。
 自分のせいだということは、自らなんとかするしかないということだ。

 自分に出来るのは、どうしたらこれを手に入れられるのか、これの一番の存在になれるのか、つまるところそれを考えて努力することだけなのだ。

 片づけ仕事をしているとばかり思っていた男は、再びゾロのもとへとやってきた。

 珍しいな。
 そう思っていると、その男はゾロの傍らに座り込んで煙草に火をつけた。

「わざわざここで吸うなよ。」
「いいじゃねえか。まりもを燻してんだよ。虫よけになんだろ。」そんなことを言いながらも、ものを食べているゾロに気を遣ったのだろう、煙はゾロとは反対方向へ流れていった。
この男のこういうところがたまらない気持ちにさせられる。
 しばらく黙って煙草を吸っていた男は、一本吸い終わると他愛もない話をつらつらと語りだした。内容はゾロにとってはどうでもいい話だ。

 どこそこのレディがかわいかった。あの島のマダムは色っぽかった。サウスの香辛料は香りがよい。イーストの最東端の地でとれるコメから作った酒は極上だ。

 話の中身には全く興味はなかったが、この男が自分の隣にいて、自分に向かって話しているのは悪くなかった。

 この男の声がとりわけ好きだ。

 その深い響きをもつ低い声は、ゾロの心の奥底の自分でも気付かなかった部分にまでひそやかに、けれど確実に落ちてきて、今まで知らずにいた感情を照らし温めそして揺り動かした。いつも暗い海の底に何かの加減で日の光がまっすぐ届くように。

 初めは焦った。

 本来ならば、剣士たるもの、感情を揺さぶられるなどあってはならないことだからだ。しかし気の乱れとは全く違うその揺れは、ゾロがこれまで見てきた世界に広がりと彩りをもたらした。だからこれは悪いもののはずがないと判断した。知らなかったことを知ることや、こんな風に温かくて豊かなものが悪いものとはとても思えなかったからだ。それは、何か欠けていると言われ続けてきた自分にはきっと必要なものなのだろう。

 言っていることは聞き流しながらも、サンジの声の調子と抑揚には耳を傾けた。
 音楽をきいているようだとも思う。

 それにしても、この男は女と料理にしか興味がねえのか。ろくに聞いちゃいないが、さっきからそんな話ばかりな気がする。コックを攻略するにあたって、何かこうもっと手がかりになるような、そんな話を聞いてみたい。特別とか理想とか好みとか。

 ゾロはまじまじとサンジを見た。
 視線の強さに気付いた男が、ゾロの顔をみて一瞬口を閉ざす。

「おまえ、本当に女好きだよな。その中で、だれか特別な一番ってのはいないのかよ。」ゾロは思わず聞いてみた。
ぺらぺらとよどみなく喋っていた男は、軽薄な調子で続けた。
「すべてのレディはそれぞれ良いところをお持ちだ。優劣をつけるなんて失礼なことできねえよ。だから、レディであること、もうそれだけで十分だね。全世界の全てのレディがおれにとっての一番だ。」

 そりゃあ。特別なやつは誰もいねえってことじゃねえか。あれだけ毎日好きだ好きだを連発しているナミでさえ違うってのか。

ゾロは思った。
 全部が一番なんて、誰も一番じゃねえと言ってるのと同じだ。
 女好きのこの男にとってさえ選ばれる女がいないのか。どれだけ理想が高いんだ。

 ふとサンジがゾロを見た。
 空気の変わる気配がした。その視線が少しの間ゾロの上でとどまった。それから、ゾロの気に入りの声がゾロを照らすようにまっすぐに伝えてきた。

「おまえは二番だな。」

 口調は静かで穏やかで一瞬前の軽薄な調子は跡形もなく消えていた。

 二番かよ。

 反射的にそんな事を思うのとサンジの気配の変化に気を取られたのとで、ゾロは聞いた言葉のほんとうの意味を取り損ねた。

 世界中のレディを除けばおまえが一番だ。
 たった一人の。

 その意味に気付いたときにはサンジの姿はその場から消えていた。

 

 

end