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大切にお届けします

 北海町は比較的新しい住宅地で、カーブや一方通行のせいで幹線道路に出にくいのと、昼間の在宅率が低めで再配達が多い。それを嫌がるドライバーもいるが、ゾロはけっこう気に入っている。すぐ裏の家へ行くのに迂回させられたりもするが、順にまわればかえってわかりやすいし、碁盤の目のようなまっすぐで整然とした道よりもおもしろいし。
 次の配達先を確認して、ゾロは「ん?」と二度見した。いつもは遅い時間の指定をしてくる家だ。おそらく夫婦であろう大人の男女のいずれかが受け取りに出てくるが、たまにスーツのままだったり、部屋着なのに派手な化粧をしていたりするから、二人とも働いているのだろう。だが、今日の荷物には昼間の時間指定がされている。平日なのに、珍しい。
 北海町の一丁目にはかなり大きい家が多くて、二、三丁目はそれに比べればやや敷地が狭いのではないかと思われる。だが、1DK暮らしのゾロからしてみれば、庭があったり敷地内に車を停められるだけのスペースがあるだけで、余裕があるように感じられる。まあ、一人暮らしのアパートと、家族向け住宅を比べても仕方がないが。
 三丁目にある目的の家の前にトラックを停めると、ゾロはインターホンを鳴らした。
「……やっぱり留守か?」
 少し待っても反応がない。念のためもう一度インターホンを押してみるも、返事はなかった。玄関先に置かれた寄せ植えの鉢の中で、真っ赤なチューリップが一輪、凛と立って咲いている。その微動だにしない様子は、まるで「誰もいないよ」とでも言っているようだ。
 家主が時間指定を間違えたのかもしれない、よくあることだ。会社のイメージキャラクターであるカモメの描かれたトラックをちらりと振り返って、ゾロはそう結論付けた。再配達依頼が入るだろうが、夕方に近くへの配達があるから後でまた来てみてもいい。ゾロが不在票を入れようとペンを出したのと同じタイミングで、バタバタとアスファルトを走ってくる足音が聞こえた。
「すみませーん! ちょっと待って!!」
 若い男の声。それが自分に向いているような気がして、足音のするほうへ目を向けると、金髪の男が買い物袋を両手にぶら下げて走ってくる。ちょうど、ゾロに向かって。
「それ、ここの荷物ですよね。留守にしててすみません!」
 この家の男は黒髪で、女は青い長髪。顔も覚えている。目の前にいる男は金髪で、何より見たことのないぐるぐる巻いた眉をしている。ゾロの疑わしげなのが伝わったのか、男は慌てて言い添えた。
「あ、おれ、ここのハウスキーパーで、」
「ハウスキーパー?」
「ああ、えーと、お手伝いってか、家政婦」
 家政婦っていうとレディみたいだから、とかなんとか言いながら、男は鍵を開けて中に入り、印鑑を持って出てきた。
 鍵を持っているのなら、それ以上の確認は必要ない。ゾロが押印欄を指差して配達証を出すと、男はそこにぺたんと印鑑を押した。大きさのわりに軽い段ボール箱を渡す。間に合ったことに安心したのか、男は少し俯いてふっと吐息をもらした。
「ありがとうございました」
 会釈して顔を上げると、男も顔を上げていた。雲に隠れていたのか穏やかだった太陽の光が急に強く射してきて、男は眩しそうに目を細めた。長い髪のせいで右目は隠れているからわからないが、とりあえず左目は。黒だと思っていた瞳が、光の加減か深い青に見える。
「ありがとう」
 男はそう言うと、眩しそうにしたまま少し笑って、扉を閉じた。
 ゾロはその扉に向かって、さっき会釈したよりも深く頭を下げた。――なんとなく。
 
*
 
 件の家には、その翌週を含めて何度か配達に行った。だが、受け取りに出てくるのはいつもの女か、稀に黒髪の男で、指定も遅い時間ばかり。時間指定のないときに昼間に行っても留守だった。
「暑くなってきたな」
 制服のポロシャツは長めの半袖で、二の腕の中途半端な位置から日焼けしている。これからまだまだ、服に隠れている部分との色の差がくっきりとしていくだろう。
 ゾロは北海町一丁目の配達を終えて、次の配達先を確認した。
「おっ?」
 三丁目の、あの家だ。午前中の指定がされている。
 ゾロは気分が高まるのを感じた。表現するなら「わくわく」だ。似合わないと自分でも思った。感動が少ないとか冷たいとか、子どもの頃から言われていて、確かにそうだと自覚もしているような性質なのだ。高揚することなんて滅多にない。
 トラックを停めて、インターホンを押す。
 おそらく掃除機だろう音が止んだ。見える範囲で2階の窓が二つ開いている。
 インターホンがプツッと小さな音を立てて、『はい』と男の声がした。きっとあの金髪の男だ、とゾロは思った。
「カモメ急便です。お荷物をお届けに参りました」
 定型句を告げる声がうわずったのに気付いて、通話が切れるとゾロは控えめに二度、深呼吸をした。数分にも満たないわずかな時間会っただけなのに、心が乱されている。ゾロはそれについて深くは考えていない。自分の心の揺れを、おもしろいとさえ思う。
 ガチャリと扉が鳴ると、心臓が跳ねた。
 次の瞬間、思いのほか勢いよく扉が開くのに、ゾロは反射的に左へ体をずらした。金色のボールが飛んできた、ように見えた。ゾロは咄嗟に両手を上げた。
「うわっ!」
 ボールが喚きながら肩に当たった――と認識した。実際は金色の頭がゾロの肩口にぶつかってきたのだった。体重がかかってくるのを、ゾロは必死で堪える。倒れたら、手に持っている荷物を落としてしまう。それだけは絶対に避けなければならない。
 幸いにも、ゾロが両足だけで踏ん張れなくなる前に、その状態は終わった。
「すみません! 本当にごめんなさい!」
 ペコペコ頭を下げて謝っているのは例の金髪のハウスキーパーで、顔を耳まで真っ赤にしている。ゾロはその耳と、淡い黄色のエプロンに見とれた。おそらく少し年上だと思われるが、なんだかかわいい。
「いいですよ、荷物も無事だし。それより、大丈夫ですか」
 男の片方の靴が脱げて、転がっている。急いで出ようとして中途半端に足を入れてつまづいた、そんな感じだ。
「慌ててしまって、ほんとすみません。大丈夫ですか、……じゃない!」
 変わった形の眉をしゅんと下げていた男は、急に目を見開いた。ゾロの胸元を見ている。そういえば腕がだるいと気付いた。荷物を抱えて両手を上げたままだ。ついでなので腕はそのままに目線を下げると、制服の胸に茶色のシミができていた。コーヒーの匂いがする。つめたい。
「うわぁぁぁすみません!! なんでおれ、コーヒー持ってんの? ハンコのつもりだったのに……」
 後半は独り言のようだが、謎の発言だ。男は手にコップを持っている。どうしてこれと印鑑を間違えたのだろう。余程そそっかしいのか、いわゆる天然というやつか。
「洗います、とりあえず中に入って」
「いや、そういうわけには。大丈夫です」
「だって、そのまま次の配達に行けないでしょう」
「ああ、まあ……」
 確かに配達先で嫌がられるかもしれない。汚しちゃいけないと思うと、荷物も持ちにくいし。
 ゾロは心の中で自分に言い訳をして、促されるまま家の中に入った。荷物を渡さずにゾロが持ったままで入ったのは、せめてもの理由づけだ。重い荷物を部屋まで運び入れることは時々ある。都合よく、荷物は少し重さがあった。段ボールに家電量販店のロゴが入っているから、電化製品かもしれない。まあ、女性でも簡単に持てそうな重さではあるが。そもそもこの男の家というわけでもないから、今はいない家主にゾロは頭を下げた。靴を脱ぐ前に、こっそりと。
 
 ポロシャツを脱いで渡すと、男はさっき持っていたコップを洗い、そこに水筒からアイスコーヒーを入れて、ゾロに出した。コップは水筒に付属のもののようだ。この家の物ではなく、男の私物なのかもしれない。ダイニングの椅子に浅く腰掛けて、それを飲みながら待つ。
 しばらくして、男はダイニングに戻ってきた。
「外に干してきた」
「あまりのんびりできないので」
「うん、とりあえず10分ぐらい」
 ハァァァと大きな溜息を吐いて、男はゾロの向かいの椅子に座った。ほんとごめん、とまだ謝っている。
「もういいですよ。このコーヒー、美味いし」
 そう言うと、男は右手でエプロンの右肩の紐をぎゅっと握り、「サンキュ」と言った。またほのかに耳を赤くしている。やっぱり、何かかわいい人だ。
 
 ゾロが会ったのはこの春が初めてだったが、男がこの家のハウスキーパーを担当するようになってからもう二年になるという。とはいえ、奥さんが泊りがけの出張のときのみだから、それほど頻繁ではない。
 嫉妬深い(男はそれをかわいいと言った。ゾロにはよくわからない)彼女が出した条件は、ハウスキーパーは女性でないことと、用事はご主人が留守の間に済ませること。夕飯もレンジで温めるだけの状態にして、ご主人が帰宅するまでには家から出なければならない。
「ふうん。大変だな」
「いや、気楽でいいよ」
 話しているほんの数分の間に、お互い口調が崩れてしまっている。
 そうなってから男が三十代半ばだと知って、ゾロは驚いた。もう少し若く見えるのだが、ゾロと10才、いや下手をすれば一回り以上の差があるではないか。
 男が話すのを聞きながら、なぜこんなにかわいく見えるのか、ゾロはぼんやりと考えた。なんだかいつも慌てているせい。すぐに真っ赤になってしまうせい。やさしい色のエプロンのせい。きれいな色の、――
 
「あー。アンタ、ちょっと目がタレてんだな」
 
 今日も、右目は隠れている。そっちもタレているのか気になって、ゾロは左手を伸ばして、その前髪をひょいと持ち上げた。
「なっ、……コラ待て」
 男がビクッと体を引いて、ゾロの動きが一瞬止まる。髪をつまんだままの左手をパシッと叩かれ、渋々ゾロは手を離した。
「……ケチ」
「ハァァァ!?」
 怒ったのか、男の目尻が吊り上がる。内側でぐるりと巻いている眉の毛が逆立って、1本1本がゾロを睨んでいるようだ。おもしろい。
 
 もっと話していたいが、男が戻って来てからもう10分を少し過ぎていた。これ以上、仕事をサボるわけにはいかない。
 ゾロが時計を見たのに気付いたのだろう、男は黙って立ち上がり、ゾロの服を持って戻ってきた。
「まだ湿ってるけど、着てるうちにすぐ乾くだろ」
「熱い」
 太陽の光をふんだんに浴びたポロシャツは、ほかほかを通り越してかなり熱い。少しでも冷めるようにゾロはそれをパタパタと振ってから、袖を通した。
「では、こちらにハンコかサインをお願いします」
 配達証を出すと、自然と口から定型句が出てくる。ゾロは、自分の傍らに置いたままだった荷物を、男に渡した。
 
*
 
 今年の夏は暑い。
 冬の段階ですでにそう言われていたが、四月に早くも真夏日があり、七月に入って梅雨はまだ明けていないが厳しい暑さが続く。
 例の家への配達は変わらぬペースであり、やはりほとんどは家主の妻だったが、金髪のハウスキーパーにも三度会った。
 男は玄関先で荷物を受け取ると、水筒のコップにアイスコーヒーを入れて出す。コップは毎回同じものだったが、男が着けているエプロンはいつも違った。三度目は青と白の縞模様、四度目は少し派手な紫、五度目は桜色にあまり可愛くないペンギンがたくさん描かれているもの。本来は配達先で飲み物など貰わないが、ゾロはそれを飲む代わりに、たまたま持っていた飴玉を2個ずつ渡した。
 
 今日は配達する荷物はないが、集荷に呼ばれている。
「カモメ急便です。お荷物をお預かりに参りました」
 インターホン越しに定型句を告げる。出てきたのはあのハウスキーパーだ。今日のエプロンはクリーム色で、緑の金平糖のような模様が入っている。
「これ、お願いします」
 渡されたのは少し厚みのある封筒で、送り主は書いてあるが、宛先がない。
「すみません。お届け先の記入を」
「……自分で書いて」
「は、」
 見れば、送り主の住所は北海町ではなく、東海町になっている。サンジ、という名前を、ゾロは会って六度目で初めて知った。ボールペンで自分の住所と名前を書いて、控えをサンジに渡す。
「着払いでお届けします。ありがとうございました」
 
 慌てて出てきたからか、もともとなのか、今日はコーヒーがなかったなと気づいたのはトラックに戻ってからだ。ゾロはすぐに、その封筒を開けた。
「おっ……」
 やわらかな梱包材に包まれて出てきたのは、コーヒー豆。いい香りがする。
 ゾロは少し悩んでから、もう一度その家のインターホンを押した。「何だよ」とちょっと不機嫌そうにサンジが出てくる。
「お伝えし忘れておりました。こちらには、……あー、何つーんだ、豆を挽く、」
「――あっ、ミル!?」
「そうだそれだ、コーヒーミルの用意はございません」
 では、と頭を下げて、ゾロはそそくさと勝手に扉を閉めた。さっさと今日の分を配達して、急いで家に帰りたい。
 
 確証もなく期待したが、その日の夜遅くになって、サンジは箱を2つ抱えてゾロの部屋にやってきた。コーヒーミルと、ハンドドリッパー。
「こっちを配達してもらえばよかった」
 サンジがそう言うので、ゾロはサンジを抱え上げた。
「まとめてお届けします」
 わりと本気で頭突きをされた。危険物だ。あとでちゃんと、梱包しなおさなければ。
 
 
(2016/07/07)
 緑の金平糖はマリモです。