Skip to content →

初めての回るベッド

 
「さて」
男はサンジを振り返った。緑の短髪をばりばりとかきながら、あーとかうーとか暫く口ごもった後「さっきは悪かったな」と思いがけない言葉を口にした。
 
何を言うつもりだコイツ?と身構えていたサンジの中で、男の評価が少しだけ上がる。自分の非を認められるヤツは、いいヤツだ。気安い気持ちになる。
 
「気持ちも分かるけどよ。頭ごなしに怒るなよ」
「確かにな。だがな。今回、こぼしたのがバリウムだからまだ良かったようなものの、もっと危険物を扱うケースだってあるからな。おれたち医療従事者はミスが許されないから、つい」
 
おー。こいつ、話せば分かるし、プロ意識のある、意外といいヤツじゃねぇか。
 
サンジはへらりと笑った。
 
「レディを怒鳴るのは許せねぇが、おまえの事情もわかった。ま、とりあえず、とっとと検査とやらを終わらせちまおうぜ」
 
緑頭の男はうなずいて言った。
「よし。じゃあ、脱げ。裸になれ」
「へ?」
「その格好じゃ、撮影できねえ」
「えええ?」
「そのままじゃ、服についたバリウムが映っちまう。検査にならねえよ」
「よ、予備の服とかねえの?」
「あったけどよ」
緑頭は片手を出して見せた。5枚、と言いたいらしい。
「今日は、検査中にバリウムをこぼしてダメにしたヤツが2人。たしぎがミスってダメにしたのが2枚。そしてそれが最後の1枚だった」
 
そ、そういうことか・・・・・・。たしぎちゃん、天使過ぎる。
 
サンジはため息をついた。
 
野郎同士だし、裸になったところで恥ずかしいモンでもねえけどよ。
 
サンジは診療着を脱いだ。トランクス一枚の姿になる。
 
緑頭がサンジの姿を上から下まで舐めるように検分した。なんとなく居心地が悪い。今更ながら気付いたが、いくら男同士とはいえ、相手が着衣姿で、自分だけが裸というのは、なんだか一方的に不公平な気がする。
 
「おまえ、そのパンツも脱げ」
「なんでだよ!」
「前のところにボタンが付いているのはダメだ」
 
確かにトランクスのフロント部分にプラスチック製のボタンが付いている。
 
「金属じゃねぇし、いいじゃねえか」
「プラスチックでもうっすら影が映る」
「そうかもしれねえけどよ。マッパで撮影とか、ありえなくね?」
「おれは気にしない」
「おれが気にするんだよ!」
 
サンジは怒鳴った。水着だと思えば、パンイチはまだ有りだろうと思う。しかし、いくらなんでもマッパは無しだろう。きいたことが無い。
 
「なんだ、恥ずかしいのか」
緑頭はさも意外だと言わんばかりの口調で言った。
「当たり前だろ。想定してねえよ、こんなこと。なんでおれだけマッパで撮影なんだよ」
「おまえだけ脱ぐのがいやなら、おれも脱げばいいんだな?」
「余計おかしいだろ!」
再度サンジは怒鳴った。
 
「うるせえな。怒鳴ンなよ」
緑頭は、わざとらしく耳に指をつっこんでみせた。その態度にサンジがキレる。
「おまえがワケ分からねえこと言うからだろうが!」
「おまえがおとなしく脱がねえからだ」
 
緑頭は一歩も譲る気配はなかった。
頑固なヤツだ。これもプロ意識の表れだろうか。確かに、診察において脱ぐという行為はよくあることだろう。相手は医療従事者なわけで、他人の裸など日常茶飯事の光景なのかもしれない。しかし、『バリウム検査は全裸で撮影』が正当なのであれば、サンジも裸を受け入れざるを得ないが、今回サンジは全く悪くないのに、恥ずかしい目にあうのが自分であるのが納得できないのだ。
 
「そこまで脱いでるんだったら、あと一枚脱いだところで、たいして変わりゃしねえ」
「その一枚が大事なんだよ!」
サンジが言うと、男は、理解不能というように首をひねった。
「というこたァ、何か隠すものがあればいいってことか」
「まァ、そうかな」
本当のことを言えば、別に隠す物がほしいわけではないが、相手が妥協案を出す気配に、サンジも同調することにした。でなければ、いつまでたっても話は平行線で禁煙地獄だ。
 
「よし、わかった。じゃあ、これを着ろ」
男は、どこからともなく、きちんと畳まれた薄桃色の布を取り出した。
「なんだ、早く出せよ。あるんじゃねえか」
サンジはホッとした。ピンク色ということは、女性用の診療着に違いない。それで、今までスペアは無いとかほざいていたのか。サイズ的にどうかと思うが、何も無いよりはましだ。
 
サンジは、早速広げてみた。なにか妙にひらひらしている。
「てめぇ!これ、エプロンじゃねーか!」
「診療着とは言ってねえ」
「ふざけんな」
「ふざけてんのはてめぇだ」
男の声のトーンが変わった。真剣だ。
「検査を受けんのか、受けねえのか、はっきりしろ。検査を受けんだったら、裸になれ。裸が気に食わねえなら、ソレを着ろ。検査受けねえんだったら、今すぐ帰れ」
 
サンジは押し黙った。そうだ。目的は検査だった。定期健診である以上、受けなければならない。もし今日、検査を受けなかったとしたら、また別日程を指定されるし、再度前日からの絶食と禁煙を強いられる。禁煙をもう一度繰り返すのは避けたい。
 
「わかった」
これ以上、不毛な議論を続けていても先はない。サンジは、腹をくくった。
素っ裸になり、エプロンを身につける。どこからどう見ても裸エプロンだが、これは断じて裸エプロンではない、と自分に言いきかせる。若干、布地の量の少ない診療着なのだ。ちゃんと前面は隠れている。ふんどしと同じだ。男は後ろより前を守っていればいいのだ。背に腹はかえられぬ。
 
「よし」
サンジの姿を見て、男が重々しくうなずいた。何がヨシなのか、サンジには全く分からないが、おそらく受診するというサンジの覚悟を認めてくれたのだろう。
 
「その上に立て。板によりかかれ」
男の指示に従い、台の上に乗り、背面の金属板に背中をつけて立つ。ひやりとした金属が、カバーされていない裸の背中にあたって嫌な感じだ。
 
「これを飲め」
男がプラスチックケースに入った発泡剤をサンジに渡した。口に含むとしゅわっとした感触が口いっぱいに広がる。同じく渡された水で一気に飲み込むと、胃が急激に膨張してくる気配がした。生理的にげっぷをしたくなるが、「絶対、すんなよ。したらもう一度飲み直しだからな」と脅迫めいたことを言われるので我慢する。噂には聞いていたが、これはキツい。サンジはこみ上げる唾液を飲み、鼻呼吸して耐えた。
 
「次はこれだ」
微妙になま温かく、ずしりと重みのあるバリウム入りの紙コップを手渡される。
 
あー、コレかあ、問題のバリウム・・・・・・。
 
この騒動の発端となった物体を改めて見る。飲み物の様態を呈しているが、口に入れてはならないシロモノだという不気味な雰囲気が紙コップから漂っている。
 
「今から検査を開始する。飲むタイミングはおれが指示する。あと、体の向きを変えてもらう必要があるから、それもこっちから言う。いいか、絶対におれの指示通りにしろ」
 
男は事務的に言いおくと、部屋を出ていった。
 
「食道の撮影から始めるぞ。右を向いて二口飲め」
別室にいる男の声が、スピーカー越しに聞こえた。
 
えれえ、指示が細かいな。
サンジは、左手に持ったバリウムを口に含んだ。
 
うえっ、マズ……!
 
一口飲んで、あまりの不味さに体が拒絶反応をおこす。人工的な甘ったるいフレーバーでごまかそうとしているが、小麦粉を水に溶かしたようなどろどろの食感と、えもいわれぬ異物感に、サンジの直感が体内に入れてはダメなものだと告げている。
 
「次は左を向いて二口」
 
指示は容赦なくとんでくる。
 
「おら、なに味わってんだ、さっさと飲め」
口の悪い男がせき立てる。
 
「うっせー、おまえにこの不味さが分かるか!」
怒鳴り返したいが、飲み込んだものが逆流しそうでそれも出来ない。かわりに心の中で罵倒する。
 
「動くぞ」
緑頭が言うと機械音とともに、検査台が傾き始めた。巨大まな板のような台には両側に取っ手がついている。傾く台からずり落ちないように左右の手すりをサンジはぎゅっと握りしめた。
 
「そう、そのまま体を右に回す」
「できるだけ素早く動け。はい、もう一回転」
「息をとめて」
 
スピーカーから聞こえる男の声と機械音が部屋にこだまする。
なんだよ、撮影ってじっとしているもんなんじゃねえのかよ。ただでさえ、ろくでもないモノを飲まされているのに、強制的に揺さぶられる上、自分でも動かなければならず、気持ちが悪い。
 
「息を止めて、はいて」
「はい、そこでもっと左に体をひねる」
「はい、そこでストップ!」
「一度、リラックス。それから、息を止める」
「右回りにうつぶせになれ。違う!反対だ!右と左も分かんねえのか?!」
 
指示は容赦なく次々と発せられる。テーマパークのアトラクション並に検査台は傾く。水平、垂直、ねじれ。頭が心臓より下にくる状態もある。
 
「そう。もっとひねる。出来る出来る!おまえならできる。そうそう、もっとひねれる!」
 
スピーカーから聞こえてくる声が憎い。要求が厳しい。しかし要求通りに体位をとらなければ、やり直しなのだ。厳しくてもやるしかないのだ。
 
「ケツを突き出せ」
そう、そんな要求にも応じないわけにいかない。言われた通りにおしりを突き出すポーズをとる。
「おら、もっと突き出せ!」
出来るかああ、と思いながらも、ここでサンジがポーズをとらなければ、出来るまでやらされる。とにかく妥協を知らない男なのだ。長引かせることだけは勘弁だ。もう二度と会わない相手だ。恥じらいなんて知るか!天高く尻をつきだしてやる。
「やりすぎだ。もう少し落とせ」
こいつ、あとでオロす!
 
「よし。終了だ。がんばったな」
いつまで続くのだろうと思われた検査にも終わりが訪れた。
 
よろめきながら、検査台から下りる。回転するベッドの上でサンジを散々翻弄した男が、部屋に入ってきて、満面の笑みでサンジをねぎらった。
 
「初めてにしちゃ、うまかったぞ」
「あー、そりゃどうも」
褒められても嬉しくない。飲み物とは思えないものを無理矢理飲まされた挙句、屈辱極まりない体勢を強要され、とにかく消耗した。疲労困憊だ。精神が削られた。全てが終わったというのに解放感を感じる余裕さえない。
 
体がいうことをきかず、のろのろと着替え始めたサンジに男が話しかける。
「一度、鏡を見たほうがいいぞ」
「鏡?」
何が問題なのだろうか。サンジは片隅に取り付けられた小さな鏡をのぞきこんだ。
 
なんじゃこりゃー!
 
疲れ切ったうつろな表情。乱れた髪型。頬や口元にこびりついた乾いたバリウムの白い汚れ。ついでに言えば、髪の毛にも白いものがへばりついていて悲惨な状況だ。
ありえない。あまりの姿に気絶しそうになる。
慌てて手櫛で髪をなでつけ、顔をごしごしこすった。
「そんなんじゃ落ちねえぞ」
全ての元凶である緑頭に言われるが、そんなの分かっている。鏡の近くに備え付けられたティッシュの箱から一枚引き抜き、口元をぬぐおうとするサンジの腕を、男がつかまえた。
「なんだよ?」
何をするのかと不思議に思ったサンジの口元を、男がぺろりとなめた。
「何しやがる!!!」
「落としてやったんじゃねえか」
 
ぷち。
 
堪忍袋の緒が切れた。
 
サンジは男の脳天に思い切り踵を落としてやった。
 
 
 
end
これはゾロサンになるのだろうか。

Pages: 1 2