菱角

立ち寄った島は秋島の秋だった。吹く風が実りの季節のシモツキに似ていた。

 ——お、菱の実じゃねェか。

 一緒に歩いていたはずのチョッパーとウソップがなぜだか急に姿を消し、物騒な町じゃねェからまァいいかと一人でぶらついているときに、菱の実を売っている露店を見つけた。角が二本生えた鬼の面のような形をした黒い実。村にいた頃、寒くなる少し手前の季節に茹でたこれがオヤツとして出てきて、食事までのつなぎとして食ったもんだ。こんなところで見かけるとは思わなかった。

 戯れに少しだけ買い、黒く堅い殻を割って中身を口に入れた。ぼんやりとした味とポクポクした食感。美味いかと問われても答えようがない。淡泊というか曖昧というかなんとも形容のしようのない味だ。コックだったらこれをどんな風に説明するんだろうかなどと思っていたら、背後から聞きなれた声がした。
「マリモ! てめェ、なに一人でふらふらしてやがんだ。ウソップとチョッパーどうした。一緒だっただろ」
「知らねェ。あいつらはぐれやがった」
「はぐれたのはお前のほうだ」
 わざとらしくため息をつくコックは買い出しの帰りらしく大きな荷物をいくつか抱えている。この程度の荷物であれば一人でも問題なく運べるだろうが、せっかくだから手伝うか。そう思って、寄越せとばかりに出した手はコックに気づかれないままあえなく宙に浮いた。
「……で、それ、何だ?」
 不思議そうな顔で、差し出した手とは反対側の手にある菱の実の入った小さな紙袋を見つめている。
「菱の実だ」
「ヒシノミ?」
「ガキのときのおやつだった」
「食えるのか?」
 どうやら未知の食材だったらしい。菱の実の袋をコックに押し付け、代わりにコックが持っていた大きな袋を奪い取って肩に担ぐ。コックが、変わった形だなコレ、翼を広げた蝙蝠みてェ、などと独り言を言いながら矯めつ眇めつして見ているのを、取り上げて堅い殻を割ってやる。中から半透明の白い実が顔をのぞかせる。神妙な顔つきのコックがぱくりと実を口に入れ味わうように咀嚼する。もぐもぐと口を動かすにつれ目が輝いていってるのを見る限り、気に入ったようだ。ごくんと飲み込んだ後で興奮気味にまくしたてる。
「うまいな、これ。見た目に反してクセがなくてあっさりしてて優しい甘みがあって……。栗とかカシューナッツみたいな香ばしい感じで、でもそれより淡泊だから何にでも合いそうだな」
 なるほど。このぼんやりした味はそんな言い方ができるのか。
「てめェ、これどこで買った?」
「すぐそこの、しょぼい公園からまっすぐの路地裏にあった露店」
 おれとしては最大限分かり易く具体的に説明したのにコックが天を仰いだ。
「あー、おまえに聞いたおれがアホだった」
「なんだと」
 街中で一戦交えるかと身構えたあたりで、タイミングよくウソップとチョッパーが現れる。
 ちょうどよかった、迷子連れて船へ先に帰っとけ、おれちょっと買いたいモノあるから。そんなことを言ってコックは姿を消した。たぶん、菱の実を買いにいったんだろう。
 
++ 
 
 島を出た次の夜の見張り番はおれだった。秋島の海域だから夜になればうすら寒い程度には気温が落ちる。ガタガタ震えるほどではないが、後で毛布の一枚でも取りに行ってくるか、と考えていたら。
「よう」
 コックが身軽な調子で現れた。脇に毛布を抱えている。
「使えよ、結構冷えるぞ」
 ありがたい。こういうところ、コックは気が利いている。それから手に持っていた包みを差し出した。
「差し入れだぜ」
 ガサガサと音をたて紙の包みを開くと、丸っこい形をした何かを揚げたと思しきものがいくつか入っているのが分かった。ふんわりと香ばしい香りが漂う。出来上がったばかりなんだろう、包みを持つ手がぬくぬくと温かい。何だこりゃと思ったが、コックが差し出す食べ物をあれこれ詮索したところで意味がないということにはもういい加減分かっている。どうせ美味いに決まっているのだ。おれに出来るのは大人しく口にいれるだけだ。爪楊枝が刺してあるので、一つつまんで口に入れる。外側のコロモはカリっとしていて、中身はふっくらホクホク。こりゃ菱の実じゃねェか。美味い、こんな食べ方もあるのか。あたたかくてうまいものを食べると、満たされる気がするのはどうしてだろうか。
「菱の実売ってたオヤジが、揚げても美味いって言ってたからよ」
 見張り台のへりに浅く腰をかけるように寄り掛かったコックが、ポケットから取り出した煙草をくわえながら言う。風よけに掌で囲った炎がコックの顔を照らし、一瞬だけ明るく浮かびあがらせる。ぽっと灯った煙草の先から嗅ぎなれた匂いがあたりに広がった。
「いやあ、いい食材だったなァ」
 コックがしみじみとした調子で言う。
 昨日の夕食では、スープと炒め物になった菱の実が出た。茹でて食うしか知らなかったおれは、料理として食卓に上った菱の実に少なからず驚いた。いつも脇役だったヤツが急に主役になったような感じだ。
「ナミさんもロビンちゃんも『あら、美味しいわね。ほくほくしていて』なんつって、たくさん食べてくれたし」
 高い夜空を見上げるコックの髪を、きまぐれに吹く風がかき乱す。暗い中でも金色の髪は星よりもよほど光って見えた。黒いスーツ姿にもかかわらず、シルエットは背景の暗がりに沈むこともない。この男だけが、この男だけは、くっきりと目に映る。コックがふいとこちらに目を向ける。 
「なんだよ? おれの顔に何かついてるか?」
「いや、……」
 知らず知らずのうちに、コックのことを見ていたらしい。見惚れてたというのが正しいかもしれない。姿を目で追い、何を思っているのか考える。惚れてるとはこういうことか、と初めて知った。
「変なヤツ」
 煙草を持つ骨ばった白く大きな手が口元を隠しているが、笑っているのは、やわらかな目元を見ればわかる。どこか困ったような表情は、どんな態度をとっていいのか決めあぐねているだけで、困っているわけではないんだろう。照れ隠しのように聞いてくる。
「この間の島、似ていたか? おまえの故郷に?」
「ああ。いや、そうでもねェな」 
「どっちだよ?」
 おれの中途半端な返事にコックが噴出した。嫌味もなく皮肉もなく、相手を探ることもなく、張り合うこともなく、ただ屈託なく笑うコックをみて、胸があたたかいような気持ちになる。自分にそんな感情があることに改めて驚く。

 風が強くなった。寒くなってきたのか、コックが両腕を抱えて小さく身を震わせる。
「座れよ」
 誘ってみたら、コックは大人しく隣にしゃがみ込んだ。屋根もない吹き曝しの見張り台は立っていると寒いが、座れば風が遮られる分寒さを凌ぐことができる。差し入れと一緒に持ち込まれた毛布をコックが広げた。大きな毛布は大の男が二人で一緒にくるまったとしても十分足りそうだ。何か言いかけたコックにばさりと毛布をかぶせ、有無を言わさず一緒に包まった。あたたかい。

「ナミさんやウソップは知らないって言ってたよな。あのヒシノミ」
 寄り添ったコックが菱の実の話を続けるのに耳を傾ける。
「ロビンちゃんは本で知っているって言ってたけどな。あれって、木の実?」
「いや。池とか沼に生えていた」
「お前の故郷、池や沼が多かったのか?」
「さあな? とくに多かったと思ったこたァねぇが、田んぼは多かったからため池とかはそれなりにあったな」
 ガキにとって、そんな水場は絶好の遊び場だった、虫や動物多かったし、なんてことを言うとコックがふ、と笑った気配がした。
「知りてェな」
 何をだ? 意味が分からずコックへ向くと思いがけないほどの近さに海があった。
「おまえを作ってきたもの。おまえのことをもっと」

 船に乗り込んでからというもの、コックはしばしば、おれの今までのことについて尋ねてきた。コックだから知りたいと、言い訳めいたことを言いながら、何を食べてきたのか、どうやって育ったのか、何が好きだったのかをおれから聞き出し、知らないはずの食べ物を作り出し、おれに食わせてきた。知らないものもたくさん食ったが、コックが知りもしないだろうおれの故郷の食べ物も同じくらいよく口にした。
 今なら分かる。知りたいという気持ちは、コックのおれへの気持ちの表れで、それに気づかなかったおれは相当鈍かった。

「おれも」
 知りたくて、手を伸ばす。
 蹴られるでもなく拒まれるでもなく、少しだけ緊張しているコックがおれの腕の中におさまっている。頑丈な男だと分かっているのに、丁寧に扱わなければどこかへ行ってしまいそうで、手を伸ばしておきながらおれまでも緊張した。触れた頬が夜気でひんやりしているのをあたためてやりてェと思う。自分でもどうかしているんじゃねェかと思うくらいの慎重さで、コックの顔にかかった幾筋かの髪をそっと払いのけた。触れたい気持ちが昂り過ぎて、指先が震えるばかりだ。
「ぞ……」
 おれの名前をのせようとする口を自分の口で思わず塞いだ。あの声で呼ばれる名前をちゃんと聞きたかったと惜しむ気持ちよりも、名前を呼ばれてしまったら、もう絶対に自分自身を制御できないだろうと思って怖かった。くちびるを舌でなぞれば甘く美味かった。そのまま口内へ侵入しようとしたがコックの口は固く閉ざされていた。目もつむっている。拒絶されているというよりは目いっぱい緊張しているらしかった。頭の中に瞬間浮かんだ顎をつかんで無理矢理口を開かせるイメージを振り払う。強引に奪いたいわけではないのだ。コックは奪って手に入れるものではないのだ。
 
 コックがそろそろと目を開ける。揺らぐ青い色が潤んでいる。金色の髪がほわりと揺れた。秋のシモツキの稲穂の色だ。食べ物の神様を思う。
 
 与えることを惜しまない男は、きっと拒まないだろうことを知って、真正面から正直に願い出た。
 食べ物の神様に乞うように。食べ物の神様を請うように。
 おまえが欲しい。
「食わせてくれよ」

 施されたのは極上の糧。

 

 

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