【朝のベンチにて】
改札を抜けると駅前の小さなロータリーが視界に入る。美化運動か緑化活動か定かでないが、季節の花が植えられた小さな花壇があって、そばに『みどりを大切に』の看板が立っている。看板脇のベンチには、いつもなら緑髪の男が座っていて、サンジが改札から出てくるとパッと立ち上がり、嬉しそうな、しかし嬉しさを無理やり隠すような、とはいえ全く隠しきれてないような、微妙な表情で近づいてきてオハヨウと言葉を交わすのだが、今日はいなかった。サンジは腕時計で時間を確かめた。いつもと同じ時間だ。遅れてない。早くもない。
――ってことは、あのミドリが遅れてやがる。
一人でとっとと登校してしまおうと思ったが、待ってやって恩を売り、優位にたつのもいいだろう。サンジはそう考えて肩をすくめてベンチに座った。
出勤のサラリーマンや登校の学生たちがせわしなく行きかう駅前の人波をながめる。同じ高校の制服を着た生徒たちも大勢目の前を通り過ぎていく。緑頭がやって来ないかと駅の出口をうかがいながら、野郎の知り合いには手を上げて、女の子には投げキッスを飛ばして挨拶を送る。学校の始業時間が近づくにつれて、学生の姿が減っていく。ベンチにいつまでも座り続けるサンジに、あからさまに不審な視線を送る人間こそいないものの、なんだか居心地が悪い。ケータイにもなんの着信もない。
――まさか、アイツ、一人で先に行ったとか?
一抹の不安が胸をよぎるが、部活の朝練などで登校時間が早くなる場合などは、くどいほど「不本意ながら明日は一緒に行けない」とアピールする律儀な男が、サンジに黙って登校してしまうとは考えにくい。
――ヤツめ、一体どういうつもりだ。
心配のまじった苛立ちがつのる。音沙汰のないケータイを握りしめる。気を紛らわすためにも煙草が吸いたい。しかし、ここは禁煙だ。だいいち、駅前で制服のまま喫煙するわけにもいかない。駅のトイレで隠れて吸っちまおうかとも思うが、この場所を離れた間にミドリが通り過ぎてしまったらと思うと動けない。
――ミドリのヤツ、何を考えてやがんだ。
ヤツの考えていることが、よく分からない。何を考え、どう思って行動してるのか。
一度だけキスをした。
雨降りの帰り道、傘の陰に隠れて。触れるだけの静かなキスだったけれど、ハプニングでもアクシデントでもなく、確かな気持ちがあった。少なくともサンジにはあったし、ミドリの側にもあった……と思う。少なくともその時はそう思った。思いが通じた、と。相手への自分の気持ちと、相手からの自分への気持ちが同じ温度であると、あの時確かに感じた。だから二人の関係が少し変わるのかと期待したのに。それなのに。
毎朝、一緒に登校もしているのに。クラスも一緒なのに。
アレ以来、緑頭はうんともすんとも言ってこず、二人の関係は全く変化がなかった。同じクラスといえども、しょせん授業時間が大半を占める学校生活。教室という同一空間に一緒にいる時間が長いだけで、会話ができる時間は多いわけではない。休み時間はあっという間に過ぎるし、クラスメイトもいるから二人きりになれるチャンスはほぼ皆無である。まともに話す時間は登下校の時間だけだし、そもそも放課後は緑頭が部活で忙しいから下校が一緒になることは稀だ。
――進展がないってのは、どういうこった、あの野郎。
あの時サンジは、これで晴れて両想いだよな、と心を弾ませていた。おつきあいなんてしてみちゃったりして、と浮かれてもいた。しかし、その後のヤツの態度はびっくりするほど何一つ変わりがなくてサンジは混乱した。あの雨の日の出来事はサンジの妄想であったかのように、緑頭のふるまいは以前と全く同じで、サンジは確かめたくて仕方ないのにきっかけがつかめなかった。それに確かめて「アレは気の迷いだった」と言われたり「そんなことあったか」と忘れられたりしていたら……怖すぎる。そうなったら自分が立ち直れそうにない。口に出せないまま日が経てば、ますます言い出せなくなっていた。
「あー、クソ!」
サンジは頭を抱えた。相手がレディだったら、あちらが自分をどう思っているかについては深く考えず、さらっと誘ってさらっと口説いてさらっとデートして、フラれたとしても「ご縁がなかった」ということで、さらっと気持ちを切り替えることもできるのに。レディが自分に好意があるかないかは、レディの思し召し次第だから、自分ごときが相手の気持ちを推し量るなんて失礼で、だからあれこれ考えずに、僕たる自分はひたすらレディへ自分の愛を捧げるのみで済むのに。レディ相手に「好きです」と好意を伝えるのはすごく簡単なことなのに。
この簡単なことが、相手があの緑頭だというだけで出来なくなってしまうのは何故だろうか。
――やっぱ、スキとか付き合ってくれとか、ちゃんと言葉で言わなきゃならねェのかな。
サンジは空を見上げた。自分の性格は分かっているつもりだ。天邪鬼で意地っぱりで素直じゃない。心とは裏腹なことを言ってしまうからよく誤解される。
――スキとか……言えてたら苦労しねェよ!
好きな人に「好きだ」という、たったそれだけのことがこんなに難しいだなんて知らなかった。
暫くそうして物思いにふけっていたサンジは、視線を感じて顔をあげた。見れば、驚きと戸惑いをごちゃまぜにしたような、その心の動きを隠しているような、しかしどちらも隠しきれていないような微妙な表情の緑頭が駅の改札を抜けたところでこちらを凝視したまま棒立ちになっていた。
「遅ェ! 心配したじゃねェか!」
なんで突っ立っているのかが謎だ。足でも怪我して動けないんだろうか。いやまさか、そんなことはないだろう。動こうともしない緑頭に近づき、とりあえず挨拶代わりに軽く蹴っておく。
「……心配したのか」
「てめェのことなんか、これっぽっちも心配してねェ。遅刻しちまう心配をしたってんだ」
「悪かった。待ってるとは思わなかった。おまえまで遅刻させてすまん。今から行けば二時間目に間に合う」
天邪鬼で素直になれないサンジの口からは本心とは違う言葉がでてきてしまうのに、真面目なゾロは言葉を額面通りに受け取る。だからいつまでたってもゾロにはサンジの気持ちが何も伝わらない。
――ダメだダメだ、そうじゃない。こんなんじゃダメだ。
サンジは心中激しく反省した。それじゃいつまでたっても何も変わらない。それから自分に喝をいれた。いい加減白黒はっきりさせなければ。そのためにもまずは二人きりになれるようデートにでも誘って。で、ちゃんと言葉で示す。脈がなければ……きっぱりと諦める! いつまでもグダグダ思い悩んでる場合じゃない。
「なあ」
意を決してサンジはゾロに呼び掛けた。
「今日はもういっそのこと……サボろうぜ」
意を決したのに「デートしようぜ」とは言えなかったのは、人間そうそう変われるものではないからだ。
サンジとしては精いっぱいのこのお誘いは、しかしゾロには伝わらなかったようだった。目をぱちくりとさせた挙句、呆然とした様子で「サボ……ロー……」とクラスメイトの名前を呟くゾロに、テンパってる上にただでさえ短気なサンジはキレた。
「二人でバックレようぜってんだよ!」
「ふたりで」
「おまえがいやならおれ一人でいい」
「待て。一緒に行く」
きちんと言葉で表すと決心したそばから素直とは言い難いキレ方をしてしまい、内心しまったと思っていたサンジだったが、結果オーライである。とりあえずゾロと一緒に、二人で過ごす時間を確保したのだ。
「よし」
サンジは拳を握りしめた。
「そうと決まれば行こうぜ、ゾロ」
サンジは学校への道に背を向けた。ゾロはサンジの後を追って、たった今、出てきたばかりの駅の改札を再び入ることになった。