after the rain

 

好きだ。

と言ったのは自分だった。

夜遅いキッチンでのことだ。外では雨がさあさあと降っていた。不寝番への差し入れを届け、翌朝の準備も済ませ、コンロとシンクを磨き上げ、何もかもをきっちりと片付けた後、本日最後の一服をと考えていたところへゾロがふらりと酒を強請りにやって来た。珍しいことではないから、いつものように適当な一本をあてがう。いつもと違うとしたら雨のせいだ。普段なら夜風にあたりながら吸う一日の締めの一本を、おれはこの場で吸うことになったし、持ち出して甲板で飲むことの多いゾロもここで飲んでいくことにしたらしかった。

来るときに雨に濡れたんだろう、ゾロの緑の髪の毛についた細かな水滴が絞られた照明に淡く反射する。自然な様子で酒を飲むゾロのくっきりとした横顔の輪郭や、グラスを持つ厚みのある大きな手や、飲み込むときの喉ぼとけの動き。雨が降る音だけがひそやかに聞こえる夜更けのダイニングで、煙草を吸いながらそんなものを眺めていたら、言うつもりのなかった気持ちが口からぽろりとこぼれてしまい、もう取り戻せなかった。

自分の放った言葉が、片付け切ってがらんとした空間に妙にくっきりと響き、ああ言っちまったと他人事のように思った。隠し通そうと思っていた感情――恋といっていいのか分からないけれど、それが一番近いように思う――今まで心の奥底に抱え込んでいた相手を欲しいという気持ちは、あっけないほどあっさりと露わになってしまった。こうなったら開き直るしかない。意外にも心は落ち着いていて、どこかさっぱりとした気分でもあった。

ゾロは一瞬動きを止め、ゆっくりとおれの方に向き直った。怒った風もなく、嬉しがる風もなく、何の感情も読み取れない表情で、でもどこか戸惑ったような雰囲気を眉間の辺りに漂わせていた。
「……それは、おれに言ったのか?」
暫く無音が続いた後の、ゾロの反応は意外なものだった。気が狂ったのかと、ふざけてるのかとかくだらねェとか、おれの発言をまともに受け止めないような言葉を予想していたのに。
「ああ」
ほかに誰がいるんだ、と思いながらとりあえず肯定する。うかつにも漏れてしまった言葉だったが、嘘ではないから誤魔化す気はなかった。まっすぐこちらを見つめてくるゾロを、逃げ出すわけにはいかねェという一心で見つめ返す。
「……それは、どういう意味だ」
「どういう意味……?」
どういう意味と言われても、どうもこうもねェ。ゾロにしてみれば、おれの言葉があやふや過ぎるから真意を確かめるつもりなのかもしれないが、そんな風に一つ一つ追及されると結構堪える。はっきりと拒まれてはいないが、気持ちを受け止められていない感じがひしひしと伝わってくるからだ。そこはかとなく心が挫けそうになる。
「ヤりてェってことか」
あー……、なるほど。コイツにしてみりゃ、好意イコール行為ってことか。好き、すなわち、ヤる。野生動物じみた男だと思っていたが、そんな部分まで動物だったとは。

違う、そんな単純なことじゃねェと言いたかったが、言い切れない自分もいる。他の仲間達へ向かう感情とは明らかに異なるこの男への気持ちには、確かにそんな欲望も含まれているのだ。行きつくところは同じだし、ここでイエスといえば、この男に触れることができるかもしれない。そんな打算が頭の隅をかすめる。
「それも悪くねェな」
「おれが上ならいい」
すごく重要な、考えようによっては決定的なひどい一言をゾロはさらっと言いやがった。こんなシチュエーションをもうだいぶ前から想定していたんじゃないかと疑うくらい躊躇いなく。クソったれ。

本当だったら引き返すべきだったし、引き返すとしたらここが最後のタイミングだった。本心であっても覚悟を定めての告白ではない。告白後の展望や期待なんてものはまるで持ち合わせていなかったからだ。方向転換か、喧嘩をふっかけて有耶無耶にして、なかったことにしてしまうのでもよかった。でも、そのどれも選ばなかったのは、この機会を逃したらこの男に触れることはもうできないだろうと思ったからだ。そう思うくらいには、この男のことが欲しかった。

破れかぶれな気分で、返事の代わりにゾロに口づけるとたじろいだようにゾロが後退った。先程まで冷静だった顔に動揺がはしる。
「てめェ……」
口元を手の甲で拭う姿を見て、心のどこか奥の方が痛んだ。『ヤりてェってことか』などと言い出したクセにキスひとつでそんなに動揺してくれるなよ。それともアレか。性行為にはそんなもん必要ねェってことか。最初の、開き直り落ち着いてどこかハレバレとした気持ちはどんどん損なわれ、冷たい雨に打たれ続けたような暗くやりきれない気持ちへと移り変わっていく。自己嫌悪。
「……そのかわり雨の日だけだ」
打ちひしがれた気力を振り絞って条件を付ける。
「雨の日だけ?」
表情の乏しい仏頂面がすこし困ったみたいに歪んだ。困るなよ。
「バァカ。四六時中やってられっかよ」
弱みをみせたくなくて強がった。気持ちの伴わない行為なんて空しいのは分かっている。けれど欲しい。触れたい。触れられたい。その妥協点が雨の日だけという条件を口走らせた。条件はなんでもよかった。ただ、今日は雨が降っていたから。雨が降っていたから、言わなくてよいことまで言ってしまったから。暗い雨の日には後ろ暗い行為が似つかわしいから。

以来、雨が降るとゾロはおれに手を伸ばし、おれはその誘いに乗る形で、二人していかがわしいことに雪崩れ込む関係が続いている。体は満たされるのに心は満たされない。

 

++

 

ログポースの示すまま立ち寄った島は雨に煙っていた。雨の多い気候なのだという。ログが溜まる数日間は雨が止む気配はないとナミさんは仰る。それを聞いて落ち着かない気持ちになった。

くじ引きで見張り番を決めた後、上陸組は三々五々船を下りて行った。おれも今日明日は島で過ごす予定になったが、留守番役の夕食と夜食の作り置きの準備をした後で、一人、午後遅くになって船を離れた。小糠雨が降り続く中、途中の気になった店でいくつか買い物をしていたので街へ到着したときは夕方になっていた。そこそこ賑わっている通りの灯り始めた明かりが雨に滲む。とりあえず今日の寝床を確保しなければと、目についた店に入った。安宿によくあるタイプの一階が食堂兼酒場、二階から上が部屋になっている宿屋だ。一階の酒場が夜遅くまで騒々しい分、宿賃も安く貧乏海賊の身にはおあつらえ向きというわけだ。フロント代わりのバーカウンターへ向かったとき、酒をかっ食らっているマリモを見つけてしまった。

――なんでここにいるんだよ。
回れ右して別の場所を探したくなったが雨の中またうろつくのも億劫だ。部屋が違えばどうってことないだろうとマリモを見ないようにしてフロントマン兼マスターのおっさんに部屋を頼む。
「悪いけど今日は満室なんだ」
マスターがすまなそうに言う。明日はこの辺りで月に一度の名物の朝市があるとかで今日に限って空きがないらしい。がっかりしたようなホッとしたような気持ちでいたらマリモが口を挟んできた。
「そいつはおれの連れだ」
「あ、じゃあ、同室でいいかい? この緑の兄さんの部屋、予備ベッド入っているからさ。少し安くしておくよ」
どうせ他の宿も空きなんてないよ、と商売っ気のあるマスターが付け加える。勘弁してくれ。今日は雨が降ってるってのに。
「安かったらナミも喜ぶだろ」
マリモがしれっと呟いた。なんなんだコイツ。でもその言葉がダメ押しだった。そうだ、ナミさん。ここで節約すればその分食費にも回せるしナミさんにも褒めていただける。おれがマリモと一緒の部屋になるのはナミさんのためだ。
「部屋、教えてあげてな」
酒場の客が増えてきたせいで忙しくなってしまったマスターは、気安い感じでマリモにおれの部屋案内を一任した。適当すぎる。相手がおれじゃなかったら、部屋にたどりつけねェところだ、全く。案の定アテにならないゾロを無視し、渡された鍵に付いている部屋番号を頼りに廊下を歩く。ゾロが後ろからついて来るのを背中で感じて、おれは内心、緊張していた。今日は雨だ。例の告白からゾロとの関係が始まって以降、陸の上で雨の日を過ごすのは初めてだった。一緒の部屋を割り振られどんな顔をしていいのか。

部屋に入る。なるほど、窓際にある予備のベッドとやらは、ベンチに毛が生えたような台に寝具をセットしただけのシロモノで、そりゃ部屋代も安くするだろうなと納得した。入口に近いところにあるまともなベッド(といっても安宿なので比較の問題だ)のシーツの様子から察するにゾロはこの上で一度昼寝したようだ。とっとと上陸し、ここへたどり着いて部屋を確保し、ひと眠りしてから酒を飲んでたってことか。まァどうでもいいけど。部屋の片隅にある小さな整理棚に荷物を下ろす。味見のつもりで買った酒が数本と細々とした日用品。酒は後で飲んでみて、良さそうだったら明日の買い出しで大量仕入れするつもりだ。酒瓶を並べていたら、ギシリとベッドの軋む音が聞こえてドキッとする。振り返るとゾロが再度、昼寝の体勢に入るところだった。なんなんだよ、コイツは。マイペースにもほどがあんだろ。寝るか飲むかしかしないくせに人の気持ちを振り回しやがって。

一緒にいるのが居たたまれず、ヤツの寝姿を尻目にそそくさと部屋を出て、一階のバーカウンターの席についた。明日の名物の朝市とやらに興味があるし、買い出しのための情報収集もしたいし、街の地理を頭に入れたいし、夕飯もとりたいし、酒も飲みたい。

店は賑わっていたがほどよく落ち着きをとりもどしていた。注文したものを頬張りながら情報収集がてら、さきほどのマスターと他愛のない話をする。島について、朝市について、特産品について、天気について。
「何かこの島の名物ねェ? あったら飲んでみてェんだけど」
「こいつはどうだ?」
ラズールっていう酒だと取り出して見せてくれたのは、青空にも海にも見える繊細で鮮やかな青のグラデーションが美しいボトルだった。グラスに注がれたのをみるとボトルだけじゃなくて酒自体も青かった。一口含むと爽やかなグレープフルーツの香りが鼻に抜ける。これはこれで十分美味いけど、マリモの好みじゃねェなあ、なんて思う。
「色といい香りといい、カクテル向きなんじゃねェ?」
「兄さん、よく分かってるな」
マスターがニヤっと笑う。島特産のこのリキュールを使った店のオリジナルカクテルがあるという。好奇心から頼むと、手慣れた様子でシェイカーを振り、夏の晴れた空のような明るい青色のカクテルを出してくれた。口当たりのよい爽やかながらもキレのある味わいが、ストレートで飲むよりも断然イケる。何よりも色がいい。
「いい色だな」
「だろ? 見ての通り、この島は雨が多いからさ。せめて酒だけでも晴れ晴れとってわけだ。明日みたいな市がたつときは雨が上がってほしいだろ? そういうときはこれに限る」
「へェ。縁起担ぎみたいなもんか」
「まァそうだ。これを飲む。天気は晴れる。気分も晴れるってワケだ。雨なんて嫌だろ? 気持ちよく酔えば明日にには晴れるよ」
雨を待つ自分もいる。雨が降らないでいてくれと思う自分もいる。両極端に定まらない心を持て余し、酔っぱらってしまいたくて杯を重ねた。

「飲み過ぎだ」
いつの間にかゾロが隣に来ていた。
「……うるせェ」
てめェに飲みすぎだと注意されるとか、なんの冗談だよ。
「そのくらいでやめとけ」
「まだ飲み終わってねェ」
半分以上残っている青いカクテルを見せつけるように持ち上げると、ゾロはおれの手から飲みかけのグラスをひったくり、あっけにとられたおれの前で一息に呷る。
「飲み終わった」
それから顔をしかめて「甘ェ」と呟く。なんだよ、コイツ。
「飲み足りねェなら部屋で飲みゃいいだろ」
ゾロはどこかぶすっとした口調で言い切るとおれの腕をひっぱって席から立ちあがらせた。ぐらりと身体が揺れる。量はさほどでもないが、それなりに度数の高いカクテルだったから、思っている以上に酔っぱらったのかもしれない。

「じゃあな、また明日」
屈託ないマスターの明るい声に見送られ、二階へ続く階段をなんとか自分の足で上る。意地だ。一階の喧騒が遠くなり、他人の目がなくなった途端、酔いが一気に回って来て眠気が襲ってきた。ふらつきながら部屋のドアを開ければ目の前にはベッド。ゾロの昼寝の跡がついているが、こいつは寝相が悪くないからベッドの状態はきれいなもんだ。窓際のチャチなものより寝心地がよさそうだし、何より近い。眠気に勝てず、手前側のゾロが寝てたベッドにダイブしてやった。安っぽいスプリングが鳴いたが知ったことか。糊のきいた清潔なシーツが、アルコールで体温のあがった身体にほどよく冷たくて気持ちいい。片方の頬をひんやりとした枕につけたまま、傍らで突っ立ったままでいるゾロを前髪の隙間から見上げた。初めて好きだと告げたときと同じように、どこか困った顔をしているのが分かった。あのときと同じだ。雨が降っている。気持ちが零れる。
「……ゾロ」
近付いてくるヤツの顔を見上げて名前を呼んだ――ところまでは覚えている。

++

ぱちりと目が覚めた。吊り下げられて不安定に揺れる狭いボンクじゃない。ここがどこだか分からずに、あれ? と思って頭を動かした途端、おれは頭を抱えた。二日酔いだ。頭がガンガンする。頭に響かないようにゆっくりとベッドから起き上がり、のったりとした足取りで洗面所へ行く。顔を洗って水を飲むと痛みは引かないまでも少しだけすっきりした。次はニコチンを取り入れなければ。

頭痛を酷くさせないよう細心の注意をはらってそろりそろりと戻る。カーテンの隙間から漏れる外の灯りだけが頼りの部屋はほの暗い。なぜかマリモが床に寝ていて、あやうく踏んづけるところだった。ネクタイなんかと一緒に、窓際のベッドの上に放り投げてあった上着のポケットから煙草を取り出し、火をつけ慎重にゆっくりと吸い込んだ。ぼーっとした思考が徐々に目覚めてきて、違和感に気付く。いや、正確に言えば違和感がないことに気付いた。なんというか、その、何もない。ヤッた痕跡というか形跡というか、そんなものが。ボタンは外れていたけれどシャツは着ていたし、ベルトはなくなっていたがボトムスはちゃんと穿いていた。どういうこった。

そうか、アレか。陸ではヤらないとか、そういう……と思ったら心が少しだけ痛んだ。船の上だったら、雨となればマリモのヤツ、結構がっついてきたものだったが、やっぱりあれは船の上だと欲求不満が溜まるってやつだったのか。いや痛むなおれの心。そこで勝手に傷つくのはお門違いってもんだ。

自分に言い聞かせ、そっとカーテンを開ける。まだ明けやらぬ空は薄暗いが、雨は上がっており空の一部が明るく白み始めていた。ナミさんの予報が外れるなんて珍しい。そんなことを考えていたら、部屋の気配が変わったせいか、ぐうぐうと寝ていた緑髪の男がうっすらと目を開けた。

途端におれは穏やかでない気持ちになった。船の上じゃ、寝た(その、同衾という意味でだ)としても、その後いつまでも一緒にいるようなことはない。雨の日だけのおれたちの行為は隙間時間での慌ただしい情事だ。おれには食事の準備、整理整頓、洗濯掃除、レディへのお茶出しなどやることはたくさんあるし敵襲だってある。こんな風に何もない二人だけの時間は初めてでどう過ごせばいいのか見当がつかないし、据え膳でも食わねえんだな、なんて茶化せるほどの余裕もない。もっともそれを言ってしまったら、自分が惨めになりそうな気がして堪える。結論のでないことをぐるぐると考え、うっかり頭を振ったら、くらくらして文字通り頭を抱えた。
「……二日酔いかよ」
おれの様子をみたゾロがうっすらと笑う。
「うるせぇよ……」
条件反射で悪態をついたが、大きな声が出せないので威勢はなく喧嘩にもならない。
それにしてもゾロの気持ちが分からない。夕べのあの様子はまるで早く部屋に行ってヤることヤりたいくらいのイキオイだったのに。そりゃ、おれは酔っぱらってたのは事実だが、性欲処理だったのなら酔っぱらってようが意識がなかろうが、コイツには関係がないはずだ。おれが酔い過ぎていてその気が失せた? それともおれの知らない間に、外へプロのお姉さまをお願いしてみたとか?
「なんで」
やらねェんだ。そう続けそうになって、口をつぐむ。それを言ってしまったらおれが積極的にやりたかったみたいじゃねェか。けれどゾロはおれの言おうとしたことを正確に汲んだ。
「雨が止んでたから」
「え?」
コトに及ばなかったのは雨が止んでたから? おれが最初に言ったことを律儀にも守ったのか? おれが余程怪訝そうな顔をしたんだろう。
「約束は守る」
「あ……そ」
会話の先が読めない。とりあえず新しい煙草を咥えてベッドに座った。ニコチンがじんわりと脳を活性化させるが状況はクリアにならない。
「……なんで、雨の日だけなんだ」
ゾロからの、最初の約束に立ち返る脈絡もない質問に心がひやりとする。あれは――おれだって、そうしたかったわけじゃない。全てをさらけ出すのは難しく、ただでさえ勝ち目のない思いをなんとかして実らせたくて、でも通じなくて。あの時のおれの意気地のなさと欲を見透かされたような気がして言葉に詰まる。しかし、ゾロはおれの答えを求めていたわけではなかったらしい。
「おれは……あれからずっと考えていた」
思わずゾロの顔をまじまじと見てしまった。考えごとなんて似合いそうもないゾロが何を考えていたというのだろうか。
「あの日。おまえの言葉に、おれは悪い気はしなかった。雨の日だけは、おまえをおれのものにできるんだと」
ゾロはぼそぼそと喋り始めた。
「だから雨の日を待つようになった。でも雨なんてそうそう降りゃしねェ。雨が待ち遠しかった」
まちどおしい? 思いもかけないゾロの言葉にびっくりしているおれに向かってゾロは続けた。
「今回は、雨が降っていて。しかも、船じゃなく、宿で」
「……おう」
「……ヤル気満々だった」
「ヤル気満々とか言うんじゃねぇ!」
ナニをこっ恥ずかしこと言ってやがんだコイツは! 踵落としを緑頭の脳天にぶちこんだが、その衝撃は自分の二日酔いの頭に響いて、一層ひどく頭を抱える羽目になった。ゾロがケロリとしているのがマジで気に食わない。
「それなのにオマエはアホだから酔っぱらちまって」
どことなく恨みがましい様子で続けるゾロに、申し訳ないような気がちょっとしなくもない。
「ま、それでもいいかなと思って」
前言撤回。やっぱり意識がないのに犯そうとか鬼畜なこと考えてたんだな。さすが魔獣。
「でも。……酔っぱらって寝っ転がったおまえのネクタイを解き、ボタンを外し、ベルトを抜き。外をみたら。雨が止んでいた」
おまえ、アホだな。意識なかったおれをヤっちまうという選択肢はどこ行ったんだ。
「約束は守る。おまえとの約束は、守りたい」
ゆっくりと立ち上がったゾロが、ベッドに腰掛けているおれの体の両脇に手をつく。咥えてた煙草が引き抜かれ、サイドテーブル上の灰皿に投げ込まれた。
「好きだ。――だから、お前が雨の日だけというなら。お前の言う通り、おれは雨の日には付き合ってやるから。晴れの日、いや、雨じゃない日には、お前はおれにつきあえ」
「クソマリモが……」
言葉がなくて、悪態をつくばかりのおれの背中にゾロが腕をそっと回す。引き寄せられるままに二人でベッドの上に横倒しに倒れ込む。おれの体を抱きしめたままゾロはおれの背中をゆっくりと撫でる。

やりたくないとか、萎えたとか、そんな理由ではなく、ただおれとの約束を守ることを優先させてくれたゾロのことを、おれはすげェ好きだ、と思った。抱きしめ返すとゾロはひょいとおれとシーツの上に転がし、おれがゾロを見上げる形になった。見慣れない宿の天井を背景に、よく見知ったゾロの顔は、見たことのない表情をしていた。瞳の色が優しかった。手触りを確かめるように緑の髪の毛に手を差し入れて引き寄せてくちびるを合わせる。薄暗い雨の日だけじゃなく、日の差し込む部屋でキスできるようになるとは思わなかった。口づけが深くなる。余裕がなくなる。互いの身体の匂いが濃くなる。腹の奥の熱が煮えたぎる。それから二人で欲望をむさぼった。

 

++

 

「やっべェ!」
うっかり寝てしまい(二重の意味だ)、起きたら部屋に明るい日の光が満ちていた。
「朝市、終わっちまう。荷物持ちにつきあえ!」
大慌てで身支度を整え、妙に満足気で大きな欠伸をかましているゾロを従えてチェックアウトの手続きをする。床がぴかぴかに磨きあげられてた営業時間外の食堂は健全な雰囲気そのもので、ついさきほどまでかなりいかがわしいことをしていた身としては微妙に後ろめたい。
「言った通り晴れただろ?」
マスターが指す窓の外は昨日飲んだカクテルと同じ色味のやわらかで爽やかな水色の空が広がっている。
「確かにクソすげェ効き目だな。そういや、なんて名だっけ?」
ゆうべ聞きそびれたカクテルの名前を尋ねるとマスターは得意げに答えた。
「after the rain」

 

end