ファーストコンタクト

   郊外に位置する総合大学のキャンパスは思いのほか広く、授業と授業の間の休み時間に行う教室移動では高確率で迷子になる。次の教室が見つからない。仲間たちも折につけて「迷子になりそうなほど構内が広い」「移動が大変」などと言っているので、苦労しているのは自分だけではないはずだ。しかし、彼らは、広大なキャンパスを「迷子になりそう」と比喩で表現しているだけで、実際は迷子になったりはしない。入学して既に半年以上をこの大学で過ごしているのにもかかわらず、毎回、文字通り迷子になるのはゾロだけだ、ということを知らないのは本人だけだった。

―― こんな山、あったっけか?

   今日も、次の授業へ向かっているうちに、なぜか山中の森を彷徨うことになっていた。鬱蒼と生い茂る木々をかきわける。

(教室移動とは言っちゃァいるが、教室の方が勝手に移動してやがる。移動教室が正解じゃねェか。どうせ移動してンだったら、教室がこっちへ来りゃいいんだ)と忌々しく思う。

   ゾロの酷い迷子ぶりを見て、道案内を申し出るクラスメイトはかつていた。申し出てくれるのは女生徒ばかりだったが、所属の学部は女性が多いこともあり、深く考えもせず気軽な気持ちで頼んでみたら、妙に馴れ馴れしくされたり、好きですと告白されたり、女生徒同士で争いが起こったりと、面倒で鬱陶しい事態が頻発して大いに閉口した。ゾロの前では笑顔を見せていた女生徒たちが、悪鬼の如くの形相で互いに罵りあう姿に、心底うんざりした。以来、クラスメイトの女生徒たちとはできるだけ関わらないようにしている。唯一、気安く付き合えるのは、オレンジ色の髪をした同じクラスの女生徒だが、気っ風はいいのに、気前となると到底いいとはいえない阿漕な性格で、何かにつけ「1回につき500ベリーね」などと金品を要求されるので、うかつに頼み事はできない。

   そんなわけで、目下「迷宮のような施設に、悪魔のような守銭奴や、鬼のような女たちのいるオソロシイ所」というのが、通っている大学に対するゾロの感想だ。とはいえ、学校やキャンパスライフに愛着を感じてないとしても、卒業するためには単位をきちんと取らねばならない。根は真面目であるのに、(ゾロが思うに)「キャンパスが広すぎて」授業開始に間に合わず、出席日数が心許ない状態だから、今だって気は逸る。森の出口を探して足を速めると、前方に明るく開けた場所が見えた。

―― 出口はあそこか。
   そう思ったから、木の陰から光の差す方へ勢いよく飛び出した。が、生憎、目の前は池だった。落ちる、と思った時には遅かった。バシャン、と激しい音をたててゾロは水の中に突っ込んだ。浅い池だったので溺れることもなかったが、きれいとは言い難い泥水でびしょ濡れだ。

(畜生。だから、この学校はイヤなんだよ)。心の中で悪態をついていると、「おまえ、大丈夫か?」と声をかけられた。
「あ?」
   顔を上げ、声の聞こえた方を振り向くと、池のほとり、見慣れない校舎を背に白衣を着た男が立っていた。

「その池な、でっけえ鯉がいんだけどよ、すげえ凶暴なんだよ。悪いこと言わねえから、襲われないうちに早くそこから出た方がいいぞ。気ィつけろよ」
   池に落ちたゾロに驚きつつも、面白がっているといった表情だ。くわえ煙草の口元が笑っていた。しかし馬鹿にした笑いでなかった。声のトーンから、池に落ちたゾロを心配してる様子がうかがえる。

      一方、ゾロの方は驚いた。その男の有様が、今まで見たこともない類のものだったからだ。

    日の光をはじく金髪、整った容貌、すらりとした体つき、白い長衣。

   雷にうたれたような衝撃を味わう。

―― 天使?いや、天女?(男だけど)。
  目にした男を間近に確かめたくて、急いで池から上がり、ズカズカと近づく。

「何だよ?」
       濡れた姿のまま、無言で目の前に立ったゾロに、いぶかし気に尋ねる男の目が、青い色をしていることが分かって、胸の鼓動が早くなる。妙なあごひげのせいで年上に見えたけれど、こうやって顔と顔を突き合わせてみると、実際は同じくらいのトシで、同じくらいの背だと知り、思わぬ共通点に気持ちが浮き立つ。そして今、自分が落ちたのは、池ではなく、コイだということに気づいてしまった。一目惚れだ。悪いか。文句あるか。善は急げ。
いてもたってもいられずに、ゾロは金髪の両手を握りしめて言った。

 

「好きになった。結婚を前提につきあってくれ」
「言ってる意味がわからねえ!!」

   白衣の裾をひらめかせ、金髪の長い脚がゾロを蹴り飛ばした。ドボン、と大きな音とともに、ゾロは再び池に逆戻りした。

―― 鬼と悪魔だけでなく天使も生息してるたァ、学校ってとこはすげえ所じゃねぇか。

   入学して初めて、ゾロは大学の良さを知り、再び言い寄るべく立ち上がったのだった。

 

 

 

end