ラストタイトル

隣の家の子供とは、そいつが生まれたときからだから15年のつきあいになる。

 

お互いの家庭の事情や家族構成や環境や家風など、おれたちをとりまく諸事情が絡まり合った結果、一般的なご近所さんレベルをはるかに越える親しさでおれとそいつは一緒に育った。

おれが5歳の秋に生まれた緑色のぽよぽよした髪の毛の小さな赤ん坊は、おれの傍らで成長し今ではいっぱしの口をきく。初めてみたときはやわらかな産毛を生やした形の良い頭は、いまや芝生のような硬い手触りの髪に覆われてまるでマリモだ。

 

それはおれにとって、最初は見慣れぬ生き物で、次いで庇護すべき存在になった。それに人格が生じてからは、あるときは家来で、あるときは遊び相手で、そして仲間でオモチャで下級生で幼馴染で味方で下僕で敵で弟でトモダチだった。およそ同性で5歳差という年齢差で考えられうる人間関係のありとあらゆるものだった。

逆もまたしかり。おれはそいつにとって、家族で兄貴で遊び相手で遊びの先生で上級生で先輩で敵役で幼馴染で友達で仲間で理解者で、これ以上考えられるタイトルなんざもうねえだろっていう程たくさんの肩書を持っていた。

 

これだけあれば十分だと思う。満足しろよ。十分だと思え。

 

これ以上のタイトルはおれはいらねえし、そもそも存在しねえだろって思うのに、最近マリモはどこからかとんでもねえ肩書を発掘してきておれにそれを被せようとする。

そのタイトルはおれとマリモの関係には全くありえない類のタイトルだ。ノーサンキューだ。いろんな意味で明らかにおかしい。ってか、マリモはそれを手に入れたら肩書集めはコンプリートとか思ってるんじゃねえか。バカだ。血迷ってる。

間違いを正すのは年長者の務めだが、諭すということはその存在を認めたということになっちまう。この件に関し、おれはマリモのよき理解者であることを放棄して、気付かないことにしていた。

 

そうはいっても、この関係が切れるわけじゃないし、つきあいが止むわけではない。いくつになったって家族や兄弟の縁が切れないのと同じで、マリモのお母様に頼まれたりすると(マリモはいいトシして迷子癖があるのだ)、いまだに一緒に出かける事も多い。

おれ自身はできれば女の子とデエトしたい。出かけるなら可愛いレディがいい。でも、出来の悪い弟みたいな男の面倒を見るのは、おれの人生においてもう仕方ない事柄なのだ。

 

今日だってそうだった。

マリモと一緒出かけて買い物やら用事やらをすませマリモを家まで送り届けるのがおれのミッションだ。今日はこれにて無事終了。任務といっても義務ではなく結構楽しく過ごしたのは事実だ。だから。

 

「たのしかったな。またな。」マリモの家の前でひらりと手を挙げてくるりと背を向けた。

 

「楽しかったけど、楽しくねえ。」不遜な声が聞こえた。

 

まるで怒っているかのようで思わず振り返った。

こぶしを握り締め、眉間にしわをよせ、仁王立ちになってこちらを睨んでいるマリモがいた。まだ成長途中の、これからどんどん伸びていきそうな可能性を秘めた手足をせいいっぱい突っ張っている。大きくなったとは言っても、身長はまだおれより10センチ以上低い。

 

若えよなあ。でもって、まだガキだ。身体の中からあふれ出すエネルギーや憤りが余りにもあからさまでその気迫が目に見えるようだ。そういう風に自分の感情を一切コントロールしないところが子供だと思う。

 

「てめえ、楽しくねえってのは失礼じゃねえか。」とりあえず年長者に対する不敬なふるまいへの教育的指導として上段蹴りをお見舞いする。

 

マリモはおれの蹴りをくらった頭をおさえながらも、ひたとおれを睨んできた。

「だってお前、言ったじゃないか。」だだをこねるガキ丸出しの調子で言う。「だからおれは言ってんだ。」

 

 

 

さっき、小腹が空いたというマリモにハンバーガーをおごって他愛もない話をしているときに、『トモダチと恋人の差ってなんだ。』そう聞かれた。

 

「セックス。ヤルかヤらないか。」端的にそう答えようとしてやめた。

 

そう答えたら、間違いなく「じゃあセックスしたら恋人だな。」と誰かを襲うに決まっている。あるいは「じゃ、ヤらせろ。」のひとことで事を済ませそうだ。そういう直接的で即物的な男だとおれは知っている。マリモのことは知り尽くしている。そう思ったから端的とはほど遠い長い話をしてやった。マリモの血迷った探究心を煙に巻きたかったせいもある。それでも締めくくりにイイ話をしてやった。マリモが迷いの道から抜け出た時のために。今後、可愛いレディとデートするときの為に。

 

「デートのあと『バイバイまたね』って別れるだろ?そん時に、『あー今日は楽しかった』ってサクッと帰るのがトモダチ。『つまんない。さみしい。もっと一緒にいたい。』つってあっさりとは帰れないのが恋人あるいは恋人候補。」

われながら詩人。情緒を解さないマリモにこの繊細な心がわかってたまるかよ。ヤツは難しい顔で考えていた。ざまみろ、少しは悩め。

 

 

 

「楽しくねえ。おれは、おまえがこうやって離れてくのが楽しくねえ!」

それなのに、このアホはおれに向かってそんなことを言いやがる。真剣な顔をして、ただそれだけを伝えようと言い募る。このマリモは本当に出来が悪い。考えもかけひきもありゃしない。おれが言った言葉をそれしか知らないように繰り返す。自分の言葉じゃない。自分の気持ちでさえ自分で表す術をもたない。しょうもない子供だ。

 

「おまえはトモダチなんかじゃねえ。おれにとっておまえはトモダチ以上の、」

 

バカだな、お前。なんでもストレートに正直に言やあいいと思ってるのか。

 

「トモダチじゃなかったらなんだっつうんだ。トモダチ以上の存在ってな肉親ってことじゃねえか?まあ、そんなら分からなくもねえ。おれとおまえは兄弟みたなもんだからな。」

 

冷静に言って煙草に火をつける。着火のためにうつむいてマリモの強い視線から逃れた。最初のひとくちを深く吸い長めに煙を吐き出すと、それはひととき煙幕のようにおれとマリモの間をさえぎった。

 

「でもって兄弟なのに帰る家が違うから楽しくないってか。バカだなお前。そんなに兄貴のおれが好きなのかよ。」話を少しずつすり替えていく。

「まあおれ様はナイスガイだから少年が憧れる気持ちもわからんでもない。」

 

マリモはギリギリとおれをにらみつけるだけだ。そんなのは別にこわくねえ。

 

「おれみたいになりたいんなら、もっと背を伸ばして勉強して人生経験積むこった。おまえは足りないものが多すぎだ。頑張れよ。また遊んでやっから、じゃあな。」今度こそおれはマリモに背を向けて自宅へと足を向けた。

 

「おぼえてろよ。おまえとの差を埋めて、ぜってえに恋人になってやっからな。」低くうなるようなマリモのすて台詞が背後で聞こえた気がした。

 

 

身長が足りなくて年齢が足りなくて経験が足りない。ほかに何が足りないだろう、どうしたらいいのだろうと、マリモは今頃考えているだろう。

まだまだ真面目だ。おれの言うことを一生懸命聞こうとしているし、おれの言った通りにすればおれが手に入ると思ってやがる。ある意味けなげだ。

いつになったら差がうまるのか。そんなもんいつになっても埋まらねえよ。埋まるわきゃねえ。埋まったから好きになるわけでもねえし好きになる資格が生じるわけでもねえ。差が問題なんじゃねえんだよ。

おれがお前にあれこれ並べ立てるのは、だから言い訳だ。それが単なる言い訳だと、はやく気付け。気付いておまえが越えて来い。せめて自分の言葉で自分を語れ。それがトモダチを越える最低ラインで、それが出来るようになるまでは、おれはこうして「楽しかった。またな」とあっさり離れていってやる。もっと一緒にいたいという気持ちを隠して。

もし越えられないのなら、最後のタイトルは手に入れられない。

おまえはずっと恋人未満のままだ。

 

 

 

end