ラブ&ジョイ

 

 

凍てつく冬の夜空の下、赤色LEDライトの光を頼りにサンジが天体望遠鏡を準備している。 

ゾロがサンジと知り合ったときには既に、サンジは星空を見上げるのを趣味としていた。女の子、サッカー、料理。サンジが好きなことはいくつかあって、どれにも情熱を注いでいたけれど、星を見ることだけは他と少し違っているようにゾロには思えた。サンジという男は、我が儘な口振りとは裏腹に、自分のことよりも自分の周りの方を大切にする人間で、その行動はたいていが『誰かのため』を動機としていた。好きなことでさえそうだった。女の子のため、仲間のため、誰かに食べさせるため。他人のためでないと言える行為は星を眺めることくらいで、それだけは純粋にサンジ自身の楽しみとしていた。

 自分の内にある愛情を、他人の喜ぶことばかりに使いたがる男が、珍しくも自分自身の為に費やす時間だと思えば、ゾロは、その時間を大事にしてやりたかった。星なんてもの、ゾロには全く興味はなくどれも同じに見えたけれど、ただ一心に空を見上げるサンジの傍でサンジを見ているのは好きだった。晴れた夜、二人が一緒に住む小さなマンションの屋上テラスへサンジが行く時にはいつも付き合った。星空について嬉しそうに語るサンジのことが好きで、サンジが愛機である自作の望遠鏡を覗きこむときの、まるで大事なものを探すような真剣な佇まいが好きだった。

 

「おまえも見てみろよ」
架台の設置、極軸合わせ、望遠鏡の固定、目当ての天体の導入、小難しそうないくつもの手順を経た後で、満足そうに観測していたサンジが顔を上げてゾロを振り返った。

震動でブレるから静かに歩けと今まで散々注意されているので、そっと近づく。アイピースを覗くと、普段サンジが見せてくれるものよりは大きさのある光が視野の中心に映った。普通の星は光点だが、それらとは明らかに違う。核のような中心部を淡い光の塊が取り囲んでいる。まるで雲の切れ端のように丸くぼうっと霞む天体だった。

「彗星だ。シッポは見えてねえけどな。初めて見たろ?」
「ほうき星ってことか?なんか頼りねえな。もっと明るいのかと思ってた」「彗星の本体は、塵っつーか氷みたいなモノだから、自分で光ってるわけじゃねえ。大きさを考えたら、これでもかなり明るく見えてる方だ。それより、知ってるか。これは結構レアな彗星なんだぞ」
「何が?」
「彗星ってのは、戻ってくるのと戻ってこないものの2種類ある」
サンジは指でVサインを作り2本を強調した。
「こいつは、長い楕円軌道を描いて戻ってくるヤツだ」
「いつだ?」
「8000年後」
「ハッセンネン?」
「そうだ。すげえだろ」

サンジはそう言って笑ったが、八千年後のことなどゾロは考えたこともないし、想像さえつかない。今が21歳だから八千年後は8021歳だ。全く見当もつかない。800年後もダメだ。せいぜい80年後。それならば101歳で、うまくいけば生きている。遠すぎる八千年後のことなど存在しないのと同じだ。考える余地もない。

「……へえ」
「へえって何だよ、もっと感動しろよ」
「8000年なんて想像つかねえから実感わかねえんだよ。おれが分かるのは80年後くらいまでだな」
ゾロの言葉にサンジの様子が少しだけ変わった。

「……へえ」
ゾロと同じ相槌を、ゾロとは違う口調で言って、サンジは続けた。
「おれは、逆に80年後の方が分かんねえけどな」
「何でだ?80を足すだけだ。簡単じゃねえか」
「簡単?そんなワケあるか。未来のことなんて何もわからねえよ。考えつく選択肢がありすぎる。いいか、想像してみろよ。たった8分後のことだって分かんねえんだぜ?今ここでこうしているおれとおまえが、ひょっとして大ゲンカして、おまえがおれに愛想をつかすかもしれない。8ヵ月後はどうだ?おまえが素敵なレディと出会って結婚してるかも。8年後は?子煩悩パパにでもなってるか?……なあ。先の事なんて何ひとつ定かでないんだぞ」

寒空の下、坦々とした調子でサンジは言った。怒ってはいなかった。感情に任せてまくしたてたりもしてなかった。その様子から、今この瞬間に思い付いて言っているのではないと知れた。

―― コイツ、またそんなつまらねえ事を考えてんのか。

人のことばかり思う男は、時折、二人の将来が別々であるようなことを言う。全く分かっちゃいない。その度ごとにゾロは違うと言い張って、最終的にはサンジは自説をひっこめる。何度も同じやりとりをしており、いい加減に分かれよ、とゾロは思う。

ゾロはサンジを黙って見返した。その気配に、余計な事まで言い過ぎたとサンジは気付いたようで、話題を元に戻した。

「ま、そのくらい誰にも分からないことなのに、8000年後に返ってくることが約束されてるなんて、すごくねえかってハナシだ」

―― バカだな、こいつ。

 広大な空間に浮かぶ塵芥ほどのものが、気の遠くなるほど長い時間をかけて戻って来るのは信じられるくせに、どうして目の前のおれを信じられねえのか。 

「約束がほしいならおれがしてやる」
「いや、彗星の話をしたんであって、約束のハナシはしてねえし」
「してたじゃねえか。いいから聞け。さすがにおれも8000年後に生きてる自信はちっとねえ。だが、80年後だったらおれは生きているし、おまえも生きてる。でもって、間違いなく一緒にいる。約束する」

ゾロが強く言い切ると、サンジがちょっと困ったような顔をした。

―― どうしたら信じてもらえるのか。

ゾロは知っている。「ゾロ」とサンジが呼びかけるときの声に込められた調子、自分に触れる時の手が伝える優しさ、それから態度、気遣い、雰囲気。言葉はなくても肌感覚で、サンジから愛されているのを知っている。大事にしてもらっているのが分かる。だからサンジも分かっていると思うのに、なぜ、全く通じてないような気がするのだろう。

途切れた会話の隙間に星を追いかけるモータードライブの作動音が微かに響く。望遠鏡が地球の自転にあわせてゆっくりと止まることなく動いていく。サンジがおもむろに装置を切り替えると、単調な機械音は止んだ。

「あのさ、おまえ、何か誤解してねえか?」
サンジがゾロに向き直る。
「おれは、そういうつもりで言ったんじゃなくて…」

言いかけたくせに、続きの言葉はなかなか出てこない。鏡筒を向けた空を見上げ、アイピースをのぞき、微動ハンドルをいじくり、落ち着かない様子でひとしきり動いてから他にやることがなくなり、サンジは煙草に火をつけた。大きく煙を吐き出して言う。

「次に来るのがそんな遠い先ってことは、前に来た時もずっと昔ってことだろ?誰にも知られずひっそりと、一人でずーっと旅してるってことだろ。壮大なハナシじゃねえか。誰も見たことがなくて、これから先も誰も見ないだろう星を、今この瞬間だけ見ることができるのってすっげえ奇跡的じゃねえ?それを、おまえと一緒に見てみるってのが、なんかちょっとアレかなー」 

最後の方のセリフは、もごもごと口の中に消えていった。

―― こいつ、バカじゃねえの。

望遠鏡をのぞく時には煙草は吸わないのに、うっかり忘れて吸ってしまうほど照れているらしい。自分の言った言葉が、あまりにも少女趣味的で恥ずかしくなったのだろう。さっきもバカだと思ったが、今度のは可愛すぎるという意味だ。

「なんだ、おまえ、出会ったのが奇跡とか言いたいのか」
「やめろ!そんな事は言ってねえ。寒い、マジでサムイ!」
「でもって、8000年後も一緒にいようってか」
「ぐわー!そうじゃねえよ!どうしたらそうなんだよ。聞けよ、ひとの話を!」
「おまえ、俺のことが好きだよな」
「死ね!さっきから何恥ずかしい事ばっかり言ってんだ」
サンジがわめきちらした。

―― 意外と通じてたらしい。 

ゾロは心の中で安堵した。

 部屋に帰ったら、寒さに弱いサンジは絶対に「寒ィー」と言いながら、暖を取ろうとゾロにひっついてくるだろうから温めてやって、冷え切った手を、血がめぐるようになるまで握りしめてやろうと思う。それからその身体を、ゾロと同じ体温になるまで抱きしめて、そして普段より少し高い温度に上げてやって、二人で一緒に丸くなって眠る。絶対にする。これから先もずっとする。 

誰にも知られずひっそりと心に誓った。

 

 

 

 

end

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*ラブジョイ彗星 C2014/Q2 2015年1月7日地球最接近。次に見えるのは8000年後。