ライトミール

 

 平日昼間の電車は空いていて、目についた適当なシートに腰をおろした途端、いつものようにゾロは睡魔に襲われた。気付けば降りねばならない駅はとうに過ぎ、馴染みのない駅で慌てて降りることになった。とりあえず反対ホームの電車に乗れば元に戻るだろうと気楽な気持ちで来た電車に乗り、座ったらまた眠ってしまった。

 「おい」

 ゆさゆさとゆすぶられる感覚があって覚醒した。

「重てえ。んでもって痛え」

 声のした方を見上げると、見知らぬ男がこちらを睨みつけていた。
金髪。青い目。巻いた眉。見たこともない珍妙な取り合わせで、寝起きの目には刺激的すぎる光景だ。おかげでいっぺんに目が覚めた。

「あ、すんません」

 ゾロは反射的に謝罪の言葉を口にした。大人の男の年齢はよく分からない。大学生くらいだろうか。中学生のゾロにとってあまり縁のない年代だ。注意と文句を言った金髪の男は、ゾロの言葉であっさりと機嫌を直したようだった。

「いいけどよ。それにしてもお前、大荷物だなあ」

 寝ている間に、ゾロが持っていた防具の入った袋や竹刀の先が金髪の肩先にぶつかっていたらしい。ゾロは金髪に当たらないように荷物の位置を直した。

「剣道か」

 おせっかいなのか、おしゃべりなのか、金髪が聞いてくる。
ゾロはうなずいた。もともと口数は多くない。ましてや知らない人と世間話をするほど世慣れてもないし、愛想もない。居眠りして迷惑をかけたかもしれないが、俺のことなど早く解放してもらいたい、と思う。

「お前、チビなのにそんな荷物多くてダイジョブなのか」

 それなのに金髪は無遠慮に話しかけてくる。しかもチビときた。確かにゾロは中一としてはそれほど背が高くない。長幼の序、目上の人には礼をつくせと師匠から指導されているが、さすがにむっとして金髪をにらみつけた。

「お」

 ゾロの表情に、なぜか金髪はにやりと笑った。そしてそのにやりにゾロはどきりとした。

「まあ、気にすんなよ」

 自分で失礼な事を言っておきながら、気にするなとは失礼極まりない。もう一度、にらみつけようと顔を向けた瞬間、頭の上に温かな掌がおりてきた。そのまま髪の毛をさくりとなでられる。ゾロは唖然とした。  金髪はゾロの頭に手をのせたまま視線を合わせてきた。

「俺も中学入学の時は145センチしかなくてさ。お前くらいだったよ。でも、中学、高校、と、正しい食事をして運動したら、今じゃ180くらいあるからな。大丈夫。これからでかくなるぞ」

 そしてもう一度ゾロの頭を優しくなでた。その手つきは、柄の悪い目つきやなれなれしい態度やがさつな物言いとはひどくかけ離れていて、ゾロを落ち着かない気分にさせた。男の手がついと離れるとゾロはひどく心もとない気持ちになった。
そして金髪はそのまま黙ってしまった。


つい先ほどまで、俺にかまうな、話しかけるな、と思っていたはずなのに、沈黙の方がよほど居心地悪い。
何か喋れ、と思う。
くだらない事でもいいから声を聞かせろと思う。
自分からはどうやって話しかけたらいいのか分からない。
金髪はゾロに興味を失ったかのように口を閉ざしている。
ゾロの中に焦りがうまれた。なんとかして、もう一度話したい。視線を合わせたい。話す糸口を探そうと、頭の中で金髪の言葉を振り返る。

「正しい食事ってなんだ」

 やっとのことでゾロは口をひらいた。

「え?」

 唐突なゾロの言葉に金髪が振り返る。目が合った。逃がしちゃならねえ。ゾロは瞬きもせずに、金髪の青い目をみすえて、もう一度言った。

「お前が…あんたが言ったじゃねえか。正しい食事って」

 一瞬呆けたような表情のあと、金髪はびっくりするほど全開の笑顔になった。

「なんだよお前、俺の言葉聞いてたのか」
てっきり無視されてんのかと思った、と小さくつぶやいて、金髪は続けた。「正しい食事ってのは、栄養バランスをきちんと考えた食事のことだ。好きなもんを好きなだけ食えばいいってもんじゃねえよ。かといって、栄養バランスだけ考えて味気ないもの食ったって身にはならねえ。たのしく、おいしく食事はしねえとな。いいか、食事は大事なんだぞ。疎かにすんなよ。なんてったって『you are what you eat.』だからな」
「英語は分からねえ」
「おまえ中坊だろが。エーゴ習ってんだろ」
「習ってるけど、今の意味は分らねえ。教えろよ」
「おまえは口の利き方を習った方がいいんじゃねえか。『教えてく・だ・さ・い』だろ」
「………」
「ほれほれ、早く言えよ。」

 金髪がからかう調子で言い立てる。妙に楽しそうだ。言いなりになるのは癪にさわる気がするが、その楽しそうな様子に、言われた通りにしてやろうかとも思う。ゾロが何をどう返そかと逡巡して黙っていると金髪は言った。

「残念ながらタイムアップだ」

 電車は速度を落としホームに滑り込んでいた。

「てなわけで、俺はここで降りる」
男は立ち上がった。隣り合わせで座っているときには感じなかったが背が高い。差が明確だ。
「待てよ」
思わずゾロは男の腕を掴んだ。金髪は再度にやりと笑った。
「ヒントをくれてやる。俺はこの街のレストランで働いている。おれの店を見つけたら、さっきの意味も教えてやるし正しい食事ってやつを食わせてやる」「絶対だな」
「見つけられたらな」
「約束だからな」
金髪は了解とでもいうようにひらりと片手をあげると、電車を降りていってしまった。ゾロは動き出した電車から去っていくホームの駅名を見つめた。

 駅名を心に刻みつける。忘れないように。
金髪の顔や声や言葉は忘れようがなかった。

 

 

 

 end

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昔『ライトスタッフ』というタイトルの映画があったのですが、英語の知識が無いワタクシは『 light staff』だと思っておったのです。軽い人?変なタイトルと。しかし本当は『the right stuff』(正しい資質)だということが判明し、なるほど!と思ったものです。
軽食のことをライトミールと言ったりしますが、まっとうな食事、正しい食事ってのは『the right meal』かなー?と。和製英語ならぬ私製英語ですが。