step by step

通い慣れた通学路をたどる。いつもの曲がり角、いつもの景色。歩数だって同じだ。この自動販売機から次の信号まで三十二歩。信号機は押しボタンで、イサダクチマオクラバシの呪文をゆっくり五回数えれば、信号は赤に変わりクルマはピタリと停まる。それからサンジはランドセルをカタカタさせながら白黒縞模様の横断歩道をゆうゆうと渡る。通りを渡ってしばらく行くと住宅街に入る。坂道の多い街の高台の上にあるサンジの家へは緩い勾配の曲がりくねった道を行くルートと、何か所かの踊場で折れ曲がりながらもほぼ一直線に上を目指す階段ルートがある。階段は急だがその分近道で、サンジが使うのはいつも階段ルートだ。

長い階段を真ん中くらいまで上ったサンジは何気なく上を見上げ、次の踊り場に同じ小学校の子供たち数人が寄り合ってるのを見つけた。なんだろう?

サンジが軽い足取りで近寄ると輪になっていた子供たちの間から、一匹の小型犬が顔をのぞかせ、サンジに向かってトテトテと歩いてきた。丸っこい頭に茶色の毛並み。鼻が青いのが特徴的だ。可愛らしい。

「誰かの犬?」
サンジの問いかけに、居合わせた子供たちは顔を見合わせて口々に誰のでもない、近所でも見かけたことのない犬だ、と答えた。首輪をしているからには飼い犬なのだろう。でも辺りに飼い主は見当たらない。この辺りの犬でもないということは迷子に違いない。犬はきゅんきゅんと可愛らしい声で鳴きながら、サンジに擦り寄りってきた。傍らにしゃがみ込んだサンジがゆっくりと撫でてやると嬉しそうに尻尾を振る。
もともとサンジはペットが飼いたくて仕方ない。でも、家がレストランであることから、衛生上何かあってはいけないと、犬や猫のような毛のある動物は飼わせてもらえない。

そんなわけでサンジが飼育しているのはお土産に貰ったマリモくらいだが、ペットと呼べるかどうかは甚だ疑問だ。とはいえ定期的に水を変え、夏の暑い日には冷蔵庫へ入れ、時折日に当てたりなどの世話をしていると愛着がわく。光合成をして空気の泡をぷくぷくと放出し、ふわーと浮き上がったりする姿は最高に可愛い。でもマリモはこんなふうにサンジに懐くことはない。

「チェッ、変なの。おれたちには触らせなかったくせに」
「青い鼻の犬なんて病気なんじゃねーの?」
「病気だヤベー」
「ヤバイヤバイ」
サンジにだけ懐いた犬に興味を失った子供たちは、やっかみの言葉を吐いて行ってしまった。
一人残されたサンジは犬の顔をのぞきこんだ。つぶらな黒い瞳が悲しそうにうるんでいる。青い鼻はきれいだ。
「おそろいだよね、おれと」
額をこつんとあわせた。
今でこそ、サンジを除け者にする者はいないが、ここに越してきたばかりの頃は髪の色と目の色が目立つせいで、揶揄われて仲間はずれだったこともあるのだ。放っておけない。
「迷子なら、ウチに来いよ。飼ってはやれないけど、ちょっとの間ならジジイだって許してくれる」
サンジは迷子犬を連れて帰った。

++

「ウチじゃ飼えねぇって、何度も言ってるだろうが」
苦虫を噛み潰したような顔のゼフにサンジは、わかってるよ、と口を尖らせた。
「でも、放っておけないだろ。こいつ、迷子だったんだ」
ゼフはこっそりため息をついた。サンジ………ちびナスにも困ったもんだ。優しすぎるせいで、動物でも人間でも困っているもの見ると、放っておけないと何でも拾ってきてしまう。
いつぞやは目の下に黒々とした隈のある人相の悪い男を連れてきて、知らない間に飯をふるまってやっていた。人相ほどは悪いヤツではなかったが、この御恩は忘れません、またいつか必ず会いましょう! などとちびナスに言っていたから油断ならない。

「サンジのやつ、また何か連れてきちまったんですかい」
レストランで働くコックの一人、パティが呆れたように言う。
「あいつ、ホント懲りねぇよな」
と、パティの同僚カルネ。
「あれ、こりゃぁ、トナカ犬じゃねェか!」
「トナカイヌ?」
「なんか、珍しい種類らしいっすよ。青い鼻が特徴で、甘いものが好物で」
「ずいぶん詳しいな」
「むかし近所に飼っているヤツがいて、えらく自慢してましたから。賢くて人の言葉を理解するとか、二足歩行が得意で大きくなるとかなんとか」
「大きくなる?」
「へぇ、あっしもよくは知りゃあしませんが」
「……珍しい犬なら、飼い主もすぐ見つかるだろう」
ゼフを筆頭にレストランの大人たちは、口ではサンジの行動を咎めはするものの、その実、皆がサンジ応援団だ。表面上、ブツブツ文句を言いながらも、サンジの行動をまめまめしくフォローするのがならいになっている。今回もその体制が遺憾なく発揮され、まったく動物なんて拾って来やがってなどと文句を言いながらも、犬が過ごすためのスペース確保は言うに及ばず、警察への届け出や貼り紙づくりなど、迷子犬を保護するのに必要な環境があっという間に整えられた。

サンジとチョッパー——迷子犬の首に付けられていたピンク色の首輪を確かめると『チョッパー』の文字が読めたのでそう呼んでいる——はすっかり仲良くなった。学校から帰ってくれば散歩に連れだし、食事を与え、ブラッシングをし、一緒に遊び……、サンジは甲斐甲斐しく世話をした。サンジの日課であったレストランの手伝いは、表向き「犬の毛を持ち込むな」という理由で、裏では「ちびナスが犬と一緒に過ごせるよう」にと一時的にお役御免になっていた。

「おまえのご主人様はどこ行っちゃったんだろうな?」
サンジはしばしばチョッパーに尋ねた。警察や保健所からはまだ何の連絡もない。ネットで情報を拡散してもらっても、それらしい手がかりは今のところ何も見つからない。

当初、保護は一時的なことと楽観的に構えていた大人たちだったが、飼い主が現れない様子にだんだん気を揉み始めた。あんなに仲良くなってしまったら、本当の飼い主が現れて、犬が引き取られてしまった時にサンジはどんなに悲しむだろうか。早く見つかるといい。愛情が深くなりすぎないうちに。傷が浅いうちに。

そうして二週間あまり過ぎた日の学校から帰り道。

——今日はどこへ散歩に行こう? 町内を一周してから公園へ? 川べりの遊歩道? 隣町まで足を伸ばす? などと考えながら家への近道である階段をトントンと上って行くサンジは、上から下ってきている少年とすれ違った。ちょうどそのとき、足を踏み外したのか、相手がふらりと倒れ込んできた。

「うわ、あっぶね」
サンジはとっさに腕を伸ばしたが、支えきれず二人で階段を転げ落ちた。幸いな事に、二、三段下が踊り場ですぐに止まった。
「いてぇ……」
「おい、おまえ平気か?」
相手のうめき声にサンジは慌てて体を起こした。階段の下方にいたサンジが抱きとめた形であったはずなのに、滑り落ちるときに相手が身を入れ替えたので下敷きにしてしまったのだ。それからサンジは思わずつぶやいた。
「マリモだ……」
「まりもだ?」
目の前の少年は見知らぬ顔だった。同じ小学校に通う子供たちはみんな顔なじみだから、どこからか来た子供なんだろう。髪の毛が鮮やかな緑だった。刈り込まれた短髪がサンジがお世話をしているマリモにそっくりなせいだろうか、初めて会った気がしない。そこはかとない親近感を覚える。
尻餅をついたままの体勢でサンジを見上げた少年は、眩しそうに目を細めるとよっこらせと体を起こした。少年をよく見れば、顔は泥だらけで洋服もかなり汚れていた。しかも半ズボンからにょっきり出ている膝小僧には血がにじみ、むき出しの腕にもたくさんの擦り傷がある。サンジは心配になった。自分をかばったせいで怪我をさせてしまったのでは?
「怪我してる」
「たいしたこっちゃねぇよ」
少年は強がったが、ぐうぐうと大きく鳴る腹の音がサンジには聞こえてしまった。これは放っておけない。
「腹も減ってんだろ? うち、すぐそこなんだ。とりあえず来いよ。消毒くらいするから」
サンジは見知らぬ少年を連れて帰った。

++

「また拾ってきやがった」
ゼフは頭を抱えた。しかし、嘆いても仕方ない。これがサンジなのだ。
大人たちは少年の怪我を手当てし(少年の言う通りたいした怪我ではなかった)、汚れた服を着替えさせ(同じ年頃なのだろう、サンジの洋服で間に合った)、食事を与えた。ガツガツと食べる少年はゾロと名乗った。聞けばずいぶんと長い時間彷徨っていたようだ。どうしてこんなところに居るのかという問いに、探し物をしていると答えた。

「探し物?」
「犬だ。青い鼻の」
ゼフとパティは顔を見合わせた。
「チョッパーってんだ」
「ちょっと来い」
跡形もなく綺麗に食べ終わり「ごちそーさん」と食後の挨拶をするゾロを、サンジは有無を言わせず引きずって、チョッパーに引き合わせた。

チョッパーが尻尾をふりながら丸い頭をぐりぐりとゾロの胸に押し付けている。ものすごく嬉しそうだ。それを見てサンジは少し羨ましくなった。チョッパーとは仲良しだけど、あそこまでチョッパーから甘えられたことはまだない。ゾロは本当の飼い主なんだろう。
「よかったな、チョッパー、飼い主が見つかって」
サンジが声をかけるとチョッパーが困ったようにサンジを見上げた。
「チョッパーはおれの犬じゃねえぞ」
ゾロの言葉にサンジは混乱した。
「え? どういうこと?」
「おれの友達の犬だ。ソイツが旅に出るからって、しばらく預ることになった。でも散歩の途中でチョッパーが迷子になっちまって」
「チョッパーが、迷子……?」
ワン! とチョッパーが吠えてぶんぶんと首を振る。違うそうじゃないと言っているようだ。チョッパーの抗議に頓着せずゾロは続けた。
「それで、おれはずっと探してた」
「ずっと?」
ゾロは頷いた。
「今日、やっと会えた」
丈夫そうな白い歯を見せて二カッとゾロは笑った。

大人たちがあちこちに連絡した結果、ゾロには捜索願が出されていたことが分かった。散歩の途中ではぐれてしまったチョッパーを捜しているうちに道に迷い、家へ帰れなくなってしまったらしい。チョッパーについて言えば、ゾロの友達はチョッパーがいなくなってしまったことを知らず、ゾロの家族はチョッパーを預かったことを知らないうちにゾロがいなくなってしまったので、捜索願も遺失物の届け出も何もなかったというのが真相のようだ。

「世話になったな」
小学生とは思えない言葉遣いで暇乞いをすると、ゾロとチョッパーは迎えにきた家族の車に一緒に乗り込んで去って行ってしまった。手をふりながら遠ざかる車をサンジは見送った。

——よかったよな。チョッパー。めでたしめでたし。

そう思うのに穴があいたように胸がすうすうとする。

——ゾロだって。せっかく知り合いになれたのに、あんなにあっさりと帰らなくても。

でも、分かっている。彼らはおれのものじゃない。彼らはただちょっとおれの生活に迷い込んできただけで。彼らには彼らの生活があって世界があって友達がいて。おれとはなんの関係もないんだ。

姿が見えなくなっても、去っていった方向を見つめていつまでも立ち尽くすサンジの背中を、ゼフはこっそりとため息をついて見守った。

++

チョッパーがいたときは、学校が終わるとまっすぐに家に帰り、チョッパーを散歩に連れ出し、家でもいつも一緒にいた。いなくなってしまった今、サンジは放課後の時間を持て余す。チョッパーがいなかった頃はどうやって放課後を過ごしていたんだっけ? そうだ、レストランで、掃除と皿洗いを手伝っていたんだ。レストランの手伝いは楽しい。料理するのは好きだ。でも、今はワクワクするような気分がわいてこない。元気がでない。どうしてだろう。

いつもは跳ねるような足どりでトトトッと駆けのぼる高台への階段をうつむいてとぼとぼ上る。この間、ゾロと転がり落ちた踊り場で立ち止まり、来た道を振り返る。

眼下に見える景色はいつも通りだった。これからだって、いつも通りだ。この道を毎日上り下りして学校へ通う。学校の友達と遊ぶ。以前のようにレストランの手伝いをして、いつかジジイみたいにシェフになって、素敵なレディと恋をして……。

広がる景色に背を向けて、上り階段に向き直り、ステップを一歩上りかけたその時。

ワン!

茶色くて温かな毛玉が胸元に飛び込んできて、その勢いでサンジは踊り場に尻餅をついた。

「ち、ちょッ、」
チョッパー……‼
尻尾を振りながらきゅんきゅんとすり寄るチョッパーをサンジは抱きしめた。ふわふわもこもこの手触りがたった数日前のことなのに懐かしい。ひとしきりチョッパーと再会のハグを交わし、目をあげれば鮮やかな緑。

「マリモ!」
「だから、マリモって何だよ?」
怪訝そうな顔で階段を下ってきたゾロは、最後の数段をぴょんと飛んで踊り場に降り立った。
「なんでここに? 散歩? 遠いんじゃねえの?」
「そうでもない」
「だって、この間言ってただろ。ここまで来るのに何日も歩いたって」
「それは本当だ」
「じゃ、遠いよな?」
「今日はすぐだった」
「意味が分かんないんだけど」
サンジは混乱した。
「どうもおれ、独りで歩くと道が遠くなるみたいだ」
「はあ?」
「一人じゃなければ近い」

ゾロの言葉は簡潔すぎるうえに、言っている内容が意味不明すぎてサンジにはチンプンカンプンだったが、傍らにちょこんと座りこんでいるチョッパーがゾロの言うことに激しく頷いているのを見て閃いた。
ゾロは一人では道に迷いやすく、道案内がいないと目的地へたどり着くのにずいぶんと時間がかかる、ということらしい。
「それで、頼みがある」
何が「それで」なのか定かではないが、ゾロが真剣な顔つきで切り出した。
「たのみ?」
「一緒にチョッパーの散歩をしてもらいたい」
「おれが?」
「おまえが」
「なんで?」
サンジが問うと、ゾロは少し困った顔をした。
「……チョッパーの散歩、おれ一人では絶対にだめだって、親に言われて、」
「……」
「誰かと一緒に行くなら、おまえがいいなって思って」
「おれ?」
「一人じゃないなら、おまえがいい」
「……なんで?」
「なんとなく。楽しそうだから」
……それから、目も青いし、髪の毛もきらきらしてるし、マユゲも巻いてるし、目立つからおれにはちょうどいい……などと聞き様によってはひどいことをゾロはぼそぼそと喋ったが、不思議と腹はたたなかった。確かに、ゾロとチョッパーと一緒に散歩するのは楽しそうだった。

「……それに、どうやら、おまえのことが好きらしい」
「へっ⁈」
突然のゾロの言いぐさにサンジの心臓は止まりそうになった。
「チョッパーが」
「……あ、ああ。うん、チョッパーがね。おれのことをね。うん、そうだよね。おれも好きだ」
「ん?」
「チョッパーが」
「……おう」

ゾロの背後で腹ばいになって二人の会話を聞いていたチョッパーがむくりと体を起こす。サンジの目には、チョッパーの体が急に大きくなり立ちあがったように見えた。それもヒトのように二本足で。それから、前足で器用にゾロの背中をドンッと押した。
「うわっ」
不意をつかれたゾロは、サンジの方へ倒れこんできて、今回はサンジを下敷きにゾロが上に乗っかる形で地面に転がるはめになった。
「あー、悪い」
慌てた様子でサンジを助け起こしながら、どことなくバツの悪そうな顔で謝罪めいた言葉を口にするゾロを見ていたら、サンジはなんだか笑い出したいような気持ちになった。
「迷子のうえに、何もないところでよろけるようなマリモじゃ、誰かが面倒みないと仕方ないよなあ」
「だから、マリモって何だよ⁈」
サンジの言葉にムキになって言い返すゾロに、サンジは本当に笑い出した。少し前までの沈んだ気持ちは跡形もなく消えていて、新しいことが始る前の期待に満ちたワクワクするような気分が戻ってきた。

傍らではチョッパーがやれやれと言いたげに、ちょこんと座って二人が一緒に散歩に連れていってくれるのを待っていた。

 

end