「ところで、サンジ君はバレンタインって知ってる?」
「ばれんたいん?」
馴染みのない言葉にサンジはそっくりそのまま聞き返した。
冬島海域の肌寒い気候には、温かくてこってりしたスイーツがぴったりだろう。そう思い、本日のおやつとして麗しのレディ達にモアイムヘムトを提供したところである。しっとりしゅわっとしたチョコレートスフレに濃厚なチョコレートソースをかけてある。添えられたクリームと一緒に口に入れれば、食べた人をうっとりほっこりさせること請け合いのお菓子である。
一口食べて、美味しい! と目を輝かせたナミが話を続けた。
「この辺りの海域の一部にある風習で、大切な人に贈り物をする日なんですって」
「贈り物の日? クリスマスとかとは違うの?」
物を贈る習慣そのものは珍しくないから、それがどうして特別なのかがわからない。
「うん。それがね、贈り物はチョコレートなの」
「チョコレート?」
「そう。今日のおやつで思い出したところよ」
これ、すごく美味しいわね。見た目は結構どっしりなのにさくさく食べれちゃう! とナミはスイーツの感想も忘れない。
「伝えられない気持ちをチョコレートに託して相手へ贈るそうよ。日頃の感謝の気持ちや、好意とかね。……この海域の風習だから島によって少しずつ意味あいが違うようだけど。とある島ではチョコレートを贈ることで愛の告白にもなるとか」
横で聞いていたロビンが口を挟む。
「じゃあ、お二人にはこのサンジ、めいっぱいの愛を詰めたチョコレートをお贈りすることをお約束します!」
「普通のチョコレートで十分よ」
愛はもう分かってるし、サンジが作るものは全て十分美味しいから、とロビンがにっこりと笑む。
「幸せ―‼」
「サンジ君、お茶のお代わりちょうだい」
目をハートにして叫ぶサンジをスルーしてナミが飲み物のお代わりを要求する。
「ごめんよ、ナミさん」
謝罪しながらカップに紅茶を注ぐサンジをナミはじっと見つめた。
「ひょっとしてサンジ君、興味ある?」
「そうだな。好意を伝えるのに食べ物を贈るっていうのが面白いなって思ってさ」
思うところのあったサンジは、表情を読み取られぬように差し障りのない感想を述べた。
「好意を示す贈り物といえば手紙とか花ってのが定番だろ? チョコレートってのは珍しいよね」
「確かにそうね」
「私だったら、贈り物は断然ベリーがいいわ」
他愛ないお喋りを続ける女性二人から、サンジは少し離れると煙草に火をつけた。
その日がいつなのは後で聞くとして。お二人には絶対に、美味しいチョコレート菓子を作って差し上げよう、と心に決める。
ごちそうさま、と二人が出て行ったダイニングでサンジは物思いにふけった。
――好意を告げる、か……。
今教えてもらった風習について考える。
サンジは同じ船に乗る同じ年の男へ思いを寄せていた。こんな報われない気持ちを持つだなんて自分でもバカみたいだと思うが、少しずつ知らぬ間に心の中に積ってしまった気持ちは、自分でそうと気づいたときにはどうしようもなくなっていた。相手を思わないようにしているのに、それもできない。捨ててしまいたい思いなのに捨てられない。
――いっそのことフラれて失恋してしまえばケリがつけられるのに。
最近はそんなことさえ思うほどだが「フラれる」こともなかなか難しい。というのも「フラれる」には「告白する」という前段が必要だが、同じ船に乗っている以上、そうそう気軽に告白できるものではない。船は日常生活の場であり共同生活の場でもあるから、迂闊なことをして人間関係の輪を乱すわけにはいかないからだ。
告白して人間関係が気まずくなるのはまだ我慢できるが、嫌悪され軽蔑されることは恐ろしかった。気まずさや蟠りは時間とともに薄れるものだが、嫌悪や軽蔑は時間が経っても消えることはない。そしてどう考えても、ゾロに告白するとなるとこちらの可能性の方が高かった。
つまり、現状サンジは八方塞がりであった。気持ちを捨てることも出来ず、告白も出来ず、告白できないから諦めることもできない。
そんなときに聞いたチョコレートを贈る風習は、告白してフラれて諦めたいサンジに大きな啓示をもたらした。
――疑似告白ができる!
この風習であれば、当人に直接言わずして自分の思いを伝えることが可能だ。ナミさんロビンちゃんが局地的な風習だと言っていたからチョコレートの贈り物が愛の告白の意味を持つことは知られていない。現に自分だって初めて聞いた。この方法なら気まずくもならず、軽蔑もされずに告白ができる。
それに、食べ物で気持ちを伝えるなんて、コックである自分らしくていい。今だって思いは込めているが、美味しく食べてもらいたいとか、血肉になってほしいとかであって、告白を目的としたものではない。
何よりも贈り物がチョコレートというのが実に絶妙なアイテムではないか。ゾロは好き嫌いはないけれど、チョコレートは甘すぎて苦手だと言っていた。きっと拒絶してくれるに違いない。
すなわち作戦はこうだ。
チョコレートを作ってゾロへ渡して告白と看做す。いらねェと言われたらフラれたってことだ。失恋したとして諦める。これでこのどうしようもない想いにケリをつけられる。完璧だ。
サンジはその日を心待ちにしていた。自分の恋心を葬る日として。
++
当日は大きなチョコレートケーキがおやつに登場した。船長をはじめとする野郎どもにはそれぞれお好みで分量をカットして、クリームやフルーツを添えて皿に載せてやる。レディたちには手間暇かけて作った繊細なオペラを用意した。
「あら、もしかして?」
「さっすが! サンジ君」
レディ二人の目が「例のアレね」と秘密を共有するように笑む。
「もちろん、お二人にはおれの気持ちはもう十分伝わってると思うけど」
サンジはにっこりと笑いかけた。
「改めて。この船を導く聡明で美しき女神であられる大切なお二人に、感謝と最上級の愛をこめて」
サンジは恭しく一礼した。
そして肝心のゾロである。
ゾロはいつもの通り展望室で鍛錬していた。今日に限っては都合がよかった。
「休憩しろよ」
サンジが顔を出すと、ゾロは手を止めた。錘を床において汗を拭く。
顔を合わせれば喧嘩ばかりと思われているゾロとサンジであるが、実際にはそこまでいがみ合っているわけではない。同じ歳で二人とも負けず嫌いなのですぐに張り合うから喧嘩のようになるだけであって、仲間としての関係はごく普通だ。ただサンジが一方的に片思いしているだけの話である。それも今日でカタがつくと思えば、サンジはなんだかさっぱりした気分であった。もちろんこれから告白と失恋というイベントが待ち受けているから緊張はしている。まずは水分を補給させてそれから。
「本日のおやつ」
いつも通りの台詞を吐き、皿に載せたトリュフチョコレートを差し出した。一見何の変哲もないチョコレートであるが、地味な外見ではうかがい知れない手間と深い思いが詰まっている。皿を持つサンジの手が少しだけ震える。
――さあ、拒絶してくれ、ゾロ。
差し出されたものを無造作に受け取ろうとしたゾロの手が一瞬止まる。
「なんだ、これ」
ゾロが不審そうに訊いてくる。
「トリュフチョコレート。平たく言えばチョコだ」
「へェ」
サンジの素っ気ない説明を聞き、ゾロはそのまま無頓着な様子で一つを指で摘まむと口に放り込もうとした。慌てたのはサンジである。
「ちょっと待て!」
サンジは思わずゾロの手首を掴んだ。
「分かってんのか、これはチョコだぞ?」
「今、おまえがそう言ってたな」
「食うのか?」
「食う」
「おまえ、嫌いなんじゃねェのか?」
「あんまり好きじゃねェな、甘すぎンのは」
「それなのに食うのか」
「出したのはおまえだろ」
予想に反してトリュフを食べようとするゾロにサンジは慌てた。それでは計画と違う! おまえはこれを拒絶するはずだろ。
「食うために出したんじゃねェのか」
胡乱な顔で尋ねてくるゾロに、拒絶されるためだ、とか、おまえにフラれるためだ、とは言えない。答えに窮したサンジにゾロが追い打ちをかけた。
「―おまえは、おれが嫌いと分かっているものをわざわざ出したのか」
自分の失言に気付き、サンジの背筋が凍った。これでは嫌がらせ以外の何物でもないではないか。
「嫌いなんだったら食わなくていい」
サンジはゾロの手からチョコをひったくった。失恋するのが前提とはいえ、食べ物で嫌がらせをするような卑怯な人間とは思われたくなかった。
「じゃあなんで持ってきたんだ」
ゾロの追及の手が止まらない。
「おれが何を作ろうが出そうがおれの勝手だ!」
言ってしまってからサンジは、しまった、と思った。今日はこんな逆切れなんてすべきじゃない。
「だったら、それ、どうすんだ」
ゾロはサンジがとり返したトリュフを指した。
「マリモが食わねェなら、おれが自分で食う」
「今おれが食うからよこせ」
なぜかゾロが一歩もひかない。これでは失恋できないではないか。
「うるッせェよ。苦手なんだったら食う必要ねェだろ」
サンジはそう言ってトリュフを自分の口に放り込んだ。外側の薄いクーベルチュールが割れたあと、とろりととろけだす味わい深いガナッシュ。美味い。さすがおれ。受け取られないと分かっていても手抜きなどサンジにはできないことである。ゾロのことを思って作ったゾロ仕様のトリュフは、仕込むリキュールにも気を配った。思いを込めたチョコレートは甘くて繊細で、今まで飲み下してきた気持ちのように苦くもある。
ゾロがサンジの手首を強い力で握りしめて引き寄せた。
―なにすんだ、は言葉にならなかった。口をゾロの口で塞がれてしまったからである。サンジのくちびるを強引にこじ開けて、その隙間からねじ込まれてきたゾロの舌が、サンジの口の中に溶け残っていたチョコレートを絡めとっていく。すっかりチョコレートがなくなった後も口内を吸われて、息が苦しい。
長い口づけのあと、サンジは肩で息をしながらゾロに詰め寄った。ゾロが何をしたいのか全く分からない。
「てめェ、どういう、つもりだ」
「飲み込むな」
「あああん?」
ゾロの言うことが意味不明だ。
「飲み込むな。気持ちを。それはおまえの気持ちなんだろ。おれがもらう」
「なに言ってんの」
ゾロの言葉が全く理解できない。
「オマエの気持ちは、おれがもらう」
「はっ?」
「おまえの気持ちを寄越せっつってんだよ。何度も言わせんな、このクソコックが」
全く想定していない展開に、サンジはぽかんとするしかなかった。
「おまえの気持ちだったら、小指の先ほども誰かにやりたくない。相手がおまえであってもだ」
ゾロはそんなことを言って残りのトリュフを口に放り込んでいく。しかも、これは結構イケるな、とか言っている。
「おまえ、チョコ苦手だったん……」
「苦手だけどこれは悪くない」
「いや、そうじゃなくて!」
さっき、ゾロは気持ちを寄越せと言っていなかっただろうか。ということは?
「ひょっとして、ゾロ、おまえ、バレンタイン知ってるのか?」
ゾロはトリュフを口にいれたままこくりと頷いた。
「ナミに聞いた」
「ナミさん……」
その可能性をすっかり失念していた。口止めをすべきだったと思うが、今となっては口止めしなくてもよかったのかもしれない。もう何が何だか分からない。
――今日のオヤツはチョコレートよ。なんでかっていうと、そういう日だから。でもあんたの場合、サンジ君が気を遣ってチョコじゃないものを持ってくるかもね。あんたチョコ好きじゃないことをサンジ君は知っているから。でもね。でも、もしもサンジ君が敢えてチョコを持ってきたら……。え? 何言ってんの、嫌がらせじゃないわよ。言ったでしょ『そういう日』だって。わかるわね? 『そういう日』よ。ちゃんと受け取りなさいね。それがサンジ君の気持ちだから。
そんなことを言ったらしい。
さすが聡明なナミさん……、全部お見通しである。
「参考までに聞くけど、おまえ『そういう日』ってどういう日だと思ってンの?」
サンジが聞けば
「言ってほしいなら言うが、おまえがこっぱずかしいんじゃねェか」
と謎の気遣いをされたので、そういう日のままにしておいた。
≪フラメント / 止まる 小指 贈り物≫