all green, all blue

鮮やかな海の色だった。

ゾロが目覚めて隣を見ると、先に起きていたサンジが、裸の上半身を晒し、枕を背もたれにして目覚めの一服を楽しんでいるところだった。前髪で目元が隠れている側をこちらに見せているから表情は分からないが、煙草を咥える口元の様子は穏やかだ。朝の明るい陽ざしが安宿のチャチな部屋に満ちている。今日も天気はいいだろう。
「お目覚めかよ」
身じろぎした気配にこちらを振り向いた男が親密なからかいを含んだ口ぶりで声をかける。いつもの低い声が少しだけ掠れているのが耳に甘やかだ。光のよく入る部屋の中、瞳の青の色が明るかった。晴れた日の空を映す海の色。
「夢をみた」
「ゆめ?」
ゾロの言葉にサンジは意外そうな顔をした。夢も見ずにぐっすり眠ると思われているらしい。
「おまえの夢だ」
「おれの?」
おまえの夢と言われた男が微妙な顔になった。
「奇跡の海。オールブルー」
「はァ⁈ ……って、うわッちィ」
素っ頓狂な声をあげ、サンジは持っていた煙草を取り落とした。
「あぶねェな。気をつけろよ」
ゾロはシーツの上に転がった吸いさしをひょいと摘まんで、枕元の灰皿に放りこむ。
「気をつけるのはてめェだ。クソ変なこと言うんじゃねェよ」
狼狽えるあまり新しい煙草に火をつけるというサンジにしてみれば呼吸するのに等しい動作に失敗するくらいだったから動揺の度合いが知れるだろう。「おれの夢って言うから、てっきり、おれがおまえの夢ン中に出演したのかと」
「おまえもいたぞ」
「いや、勘弁してくれ」
へにょりと眉尻を下げ、どことなく情けないような顔つきでサンジはゾロを見やった。
「……っていうか、オールブルーの夢ってなんだよ」
「そのまんまだ。オールブルーを見つけて」
ゾロが語るのを、滅多にみないような表情で黙ったままサンジは聞いている。
「ここがそうだという場所に辿り着いた。海のど真ん中で、見渡す限り水平線だ。風は微風。雲一つなく晴れた空は見たこともねェくらい真っ青で」「で?」
「足元の海には魚がいて」
「へェ」
「海の色は緑だった」
「みどり……」
「案内人みたいなヤツがいて、『今日は緑ですね』だと。日によって色が違うらしい。海が青い日は滅多にねェが、そんときはとんでもねェ数の魚がいるって言ってたな」
「……」
「海を見ていたおまえが振り返って、何か言おうとしてたところで目が覚めた」
逆光になっていて表情がよく分からなかったな、とゾロが思いながらふと横を見れば、サンジは、煙草を指に挟んだ手で口元を覆うようにして何やら考え込んでいた。そういえば、夢の海を目の前にしたというのに、夢の中の男も静かだった。ちょうど今のように。
反応がないことに、言わなくてもいい余計な話をしてしまったかと居心地が悪くなる。
そんな話、縁起でもねェ、バカにすんなと噛みつかれた方がマシな気がした。
コックの夢を茶化すつもりも揶揄するするつもりも全くなかったが、結果としてふざけた話になってしまったからだ。悪ィと言ってしまえれば簡単なのだが、謝るくらいなら最初からそんな話をするなとコックは言うだろう。
言うべき言葉がなくなり、むすりと黙りこくったゾロの緑の髪の毛に、サンジの指先がそっと触れた。そのまま、さわさわと感触を楽しむように優しくなでる。
「怒っちゃいねェよ」
見透かすようにサンジが笑った。
「ただ、意外だなァと思ってさ」

――おまえが夢を、おれの夢の夢を見ることが。おれとおまえが当たり前のように夢の海まで一緒にいることも。

何を言っているんだ、当たり前じゃねェかとゾロは思う。大事な相手の夢は、自分にも大事なものだ。こんな関係になってそれなりの時間が経つというのに、コックは未だにそのことに気付いていない。気付いていない風を装う。
面白くなくて、シーツの中に引きずり込み首筋に噛みついてやった。抗議の声が上がるが無視した。日に焼けていない肌に自分の歯形がくっきりと着いたのを見て、少しだけ溜飲が下がった。
「ケダモノ」
恨みがましい目で睨むので、たった今つけた歯形をなぞるように舐めてやる。
「おまえ、ほんとドーブツな」
「うるせェ」
「緑だから植物でもあるな」
「ミドリで悪かったな」
夢でみた海の色が思い浮かんで気が咎め、ついそんな拗ねたような言葉が口から出た。
「え? あれ、もしかしてマリモちゃん、気にしてンの?」
サンジはびっくりしたように目を瞠り、それからはじかれたように笑いだした。ゾロの髪の毛をわしゃわしゃとかき回す。
「夢に出てくるくらいには、おまえは『ある』って信じてるんだなって、むしろ、おれはちょっと感動しちゃったんだけど」
「……べつに信じてるわけじゃねェ」
ゾロの言葉にサンジの手が止まる。その手をゾロがしっかりと掴む。鼻先が触れ合うくらいの近い距離でサンジを見つめる。
「信じてるとか信じてねェとか、そんなんじゃねェ。ただ、あるだろって思ってる。それだけだ」
嘘をつかない男の揺るぎない自信に満ちた言葉がサンジの胸に響く。
「ないと言われてた空島にだっておれたちは足を踏み入れた。現実にあった。海ならなおさら」
ゾロはなにひとつ疑いのない調子で断言する。
「しょーがねェなァ」
サンジはやわらかな目をするとゾロの肩先に顎を乗せるようにして、その体に腕を回した。
「……悪くねェよ、緑は」

――オールグリーンなんて万事異常なしってことだろ。

真偽さえ疑うことなく、無条件にその存在をあるものとして捉えている人間が傍にいる。一人じゃない。

夢の海を探す旅は続いている。

 

++

買い出しに付き合えと街へ連れ出された。ようは荷物持ちだ。
立ち寄る島々で、サンジは海の料理人としての任務と責務をこなす。食料調達は、皆を生き延びさせるため、健康で過ごさせるための重要な仕事だ。こちらの店先で野菜の鮮度を確かめていると思ったら、あちらの露店で値切り交渉をしている。そして、その合間に、誰にも知られぬように、自分の夢につながる情報収集も忘れないのを、ゾロはいつからか知っている。

――おれはオールブルーを見つけるために。

まだ仲間になったばかりの頃、コックの夢を初めて聞いてゾロは少しばかり驚いた。当時、この男のことをよく分かっていないながらも現実的なヤツだと認識はしていたから、あやふやで不確かなことを目標にするなんて似合わねェなと思ったからだ。
世界一の料理人になるとか、幻の食材を手に入れるとかであればすんなり納得しただろう。世界一の美女と結婚すると言われたとしてもまだ合点がいったはずだ。それが、あるかどうかも分からない海を見つけるのが夢だと?だいたい、見つけるって何だ。やみくもに広い海を航海して偶然行き当たる幸運を待つとでもいうのか?

野望も夢も自分の手でつかみ取るものだろうに。そう思って、この男のおとぎ話めいた夢をどこか軽んじてもいた。

けれど。

一緒の船に乗り合わせ、島々を渡る航海を重ねていくうちに、ゾロは気付いたのだ。

コックは運や偶然をあてにしてはいない。日々メシを作り日常生活を回し、仲間の面倒をみながら、自分の夢のための努力も疎かにはしない。喧嘩っ早く騒々しいように見えて、誰よりも冷静で静かな男は、ふらりと単独で行動し暗躍して仲間を助けてきたのと同じように、抜かりなく着実に、自身の夢の実現のために人知れず地道な努力をしていた。その姿は、ゾロの鍛錬となにひとつ変わらない。いや、もしかしたら、それよりも辛いかもしれない。鍛錬はやればやるほど成果が出る。強くなったという実感がもてるが、サンジの夢は難しい。知らないと首をふるひとばかりが増えていく。手がかりはない。落胆と失望。そんなものばかりが積み重なっていくのは、気持ち的にしんどいはずだ。それでもあきらめず、くさらずに、広い世界の空白を塗りつぶし、目的地を絞っていく。そんな大変なことをやっている。たんたんと。

「おい、これ持てよ」
めぼしいものを目一杯買い込んだサンジが、有無を言わさず大きな箱をゾロに押し付ける。肩に担ぎ上げる。仲間を生かすための食糧が入っている。ずっしりと重い。
「行くぞ」
目立つ色の髪の毛と途切れない紫煙。いつもと変わらない後ろ姿を今日も追う。

++

島影がまたひとつ遠くなる。

後甲板の手摺にもたれて、置き去りにしてきた島が小さくなっていくのを眺めながら煙草の煙を吐いている黒スーツの男のそばにゾロは近寄った。サンジからほんの少し間を開けて、同じ光景を見るようにして立つ。広げた帆が風をつかまえて船は快調に帆走している。船尾からは白い一筋の航跡が伸びているが、船が走ってきた跡はいくらもしないうちに青い海に紛れてしまい跡形もない。やがて島影も見えなくなる。目の前にはただ広く茫洋とした海が広がるだけだ。

「……気にすんなよ」
最初に沈黙を破ったのはサンジの方だった。
「何をだよ」
「いや、なんとなく? 海見てオールグリーン思い出したらまた、マリモちゃん、おまえが拗ねちゃうんじゃねェかと」
「……アホか」
夢の海は遠く、手がかりはまだ見つからない。それでも海はつながっている。この海の先のどこかに夢の海はある。それだけは確かだ。

その海が、料理人にとっての奇跡の海というのであれば、料理した魚を食う誰かが絶対に必要だろうとゾロは思っている。
コックに限って、食わせる相手もいないのに一人だけでオールブルーへ行くようなことはないと思っている。もしも、一人だけで夢の海へ行くようなことがあったとしても一緒について行ってやる。一緒に行き、コックの作る料理を食ってやる。そんなことを思っている。そう告げたら何とも言えない表情をしたが、もう分かっている。あれはしょーがねェなァ、万事オーケーの顔だ。

「いつになるかわからねぇぞ」
「いつになっても構わねぇよ」

たぶん。いや、きっと。ずっとこの先も一緒にいるだろうから。明日の命も知れない日々を過ごす自分達が、遠い未来の話をする。

希望をつなぐ。青い海はつづく。ひとつにつなぐ。

 

end