カラメル・スイート

 

甘く香ばしい香りがキッチンに漂っている。

 「サンジ、何作ってんだ?」

ドアを開けてチョッパーが顔をのぞかせた。なんだかとても好きな匂いがする。ふわふわの綿あめを連想させる幸せな匂い。

「カラメルソース」

チョッパーが呼びかけた時はいつも笑顔でこちらを向いて答えてくれるのに、小鍋から目を逸らさずにサンジがひとことだけ答えた。どうやら真剣な作業中だったらしい。

サンジは鍋をゆっくりと回しながら中身の様子をじっと見ている。それから鍋に水を加えた。思いのほか大きなジュワッという音と立ち上る湯気とはね返る水にチョッパーはびっくりする。サンジは平然とした様子で木ベラでそっと中身をかき回すと、やがて鍋の様子に納得したらしく、火からおろした。そこでようやくいつも通りの笑顔がチョッパーに向けられる。

「どうした?匂いに引き寄せられたか?」
「うん、綿あめと同じにおいがする」
チョッパーは鍋を覗きこんだ。真っ白の綿あめとは似ても似つかない、濃い金茶色をしたとろりとした液体がある。

「砂糖と水。材料は同じだからな」
「サンジ、これどうするの?」
「これは作り置きしておく分だ。カラメルソースは結構用途が広くてな。デザートやおやつだけじゃなく、料理の隠し味とか風味付けにも使えるから、時間のある時に作って保存しておくんだ」
「おいしそうー。なあ、そのカラメルソースなめさせてくれよ」
「こりゃ無理だな。まだ熱いから火傷しちまうぞ」
「うまそうなのになあ。指ですくってなめたいなあ」
「おまえの手が蹄でも、熱いモンは熱いぞ。我慢しろよ」
「においだけで我慢なんて、おれ無理だぁ。カラメルソース食べたいー」

甘いものが大好きな可愛いトナカイは甘えてみせた。この船で、食べたいと言って食べさせてもらえないことはまずない。「食べたい」という言葉は「美味しい」という言葉と同じくらいサンジに効く言葉だと知っているからだ。

「しょうがねえな。じゃあ、今日はカラメルソースを使ったオヤツにすっか。それでどうだ?」
案の定、サンジが譲歩した。

エッエッエッ。チョッパーは両手で口元を抑えて嬉しそうに笑った。自分のわがままを聞き入れてもらえるのが何よりうれしい。

サンジは材料を次々と取り出して、慣れた手つきで量っていく。大食らいの船長がいるせいで、材料はいつも大量に必要だ。チョッパーはその様子をカウンターから眺めた。何が出来るのか、サンジの動きを見ているとわくわくする。

―― いつもこうしてサンジが何かしら作っているのを見ているのはゾロなんだけど。あれはどちらかというと見惚れてるんだな。

そんな事を考えていたら不意に扉が開いて、剣士がキッチンに入ってきた。

ゾロ!
チョッパー少しドキドキした。今ゾロの事を考えていたらゾロが来たよ。

「のど渇いた」
「ほれよ」
剣士が言う前に、既に分かっていたかのように、サンジはグラスに注いだ飲み物を用意していた。不思議だ。いくらこの二人がつがいだからといって、何も言わなくても分かってしまうものなのだろうか。

サンジはそれ以上はゾロに構うことなく、オヤツ作りを続行している。別の鍋を取り出して、そこに砂糖を入れたのを見て、チョッパーは立ち上がった。

「サンジ、もしかしてそれ、カラメルソース?もう一回作るのか?」
「おう。ソースの濃さを変えたいからな」
椅子からぴょんと飛び降りたチョッパーはカウンターを回り込んで、サンジの隣に立った。
「おれもやってみたい!」
「お、手伝ってくれんのか?」
きらきらした目のチョッパーにサンジは場所を譲った。踏み台を持ってきて、小さなトナカイをその上に立たせる。砂糖を入れた鍋を弱めの中火にかけて、焦げて色が変わってくるのを待つ。

「そうそう。なかなかいい手つきだぞ」
中身の様子を見つつ微妙に温度調節をしてやりながら、ゆっくりと鍋をゆするチョッパーに声をかける。チョッパーは普段、クスリの調合などをしているので、こういった作業は実は得意だ。

「うまいなあ、さすがドクター」
「褒められたってうれしかねえぞー」
お決まりのセリフを言って、チョッパーが満面の笑みで盛大に照れる。身をくねらせたチョッパーが差し湯のカップを持ったサンジの手とぶつかった。カップの中身が数滴、鍋の中にこぼれた拍子にバチっと音がしてカラメルがはねた。

「あっ」
サンジは咄嗟にチョッパーの前に右手をかざした。もう片方の手でチョッパーの肩を後ろに引く。
「大丈夫か?どっか火傷してないか?」
サンジが真剣な顔で聞いてきた。
180度もあるカラメルの滴は、皮膚に落ちれば一滴でも火傷をひきおこす。粘度も高いので意外とやっかいなのだ。

「びっくりした。でも、大丈夫。どこも痛いところはないよ」
「そっか。よかった」
「サンジは?」
「なんともねえよ」
問い返されて笑う。指先にはね落ちた滴がもたらした痛みは無視する。チョッパーが無事ならそれでいい。

ゾロが黙って二人を見ている。

鍋の中のカラメルは少し焦げてしまった。いつもよりはほんの少しだけ濃い色のカラメルソースをプリンカップに等分に注ぐ。それから卵を溶いて牛乳と砂糖とバニラビーンズを入れた卵液を作り、水を入れたバットにカップを並べて蒸し焼きにすれば、カスタードプリンの出来上がりだ。
オーブンの戸がバタンと閉まる。

「よーしチョッパー、ご苦労さん。おかげでいつもより美味しくなりそうだ」結局チョッパーは最後までサンジを手伝った。理科の実験のようで楽しかったのだ。
「どのくらい焼くの?」
「様子をみながら2、30分ってとこかな。それから冷やして出来上がりだ」
「楽しみー。今日のオヤツ、おれも手伝ったんだってみんなに言ってくる!」
「おお、自慢して来い。出来上がったら呼んでやるから」
「ありがと、サンジ!」

飛び跳ねながらチョッパーが出て行ってしまうとカラメルの香りが漂うキッチンは急に静かになった。

サンジは煙草のパッケージから取り出した一本を口の端にくわえた。ライターを持った右手をゾロが掴む。

「なんだよ?」
手を押さえられては煙草に火がつけられない。
「手。火傷しただろ」
「たいしたこっちゃねえよ」
―― やっぱりバレてたか。誤魔化せないだろうなと思っていたけどよ。

サンジは掴まれた方とは反対の手にライターを移し、笑っていなして火をつけた。大きく吸い込んで煙を吐き出す。
「こんなの、一本吸い終わったら治る」

ゾロは掴んだ手を引き寄せた。サンジの右手の指に白い水ぶくれを見つけたゾロの目が少し細められて、舌打ちでもしそうな表情になる。小さなたくさんの怪我の痕が残る手をコックの証だとサンジは言う。そうかもしれない。けれど、面白くないことには変わりがない。『料理人は手が命』と言ってはばからず、手を大事にするあまり足技まで極めた男なのに、身体に刻まれた傷痕の数が一番多い部分は手なのだ。料理を理由とした怪我は構わないとでも思っているのだろうか。こちらはどんな怪我でも増やしてもらいたくないと思っているのに。

ゾロは水疱のできた指にそっと唇を寄せた。
「なにすんだよ」
言葉は素っ気ないが、ゾロの振る舞いを受け入れるサンジの口調は甘かった。
「舐めりゃ、治りが早いんだろ」
身も蓋もない率直すぎる言い方なのに、ゾロの行為は優しかった。傷をいやす動物のように、火傷の痕を舌先でちろりと舐めて、冷えた指先を口に含む。

「甘い」
「ウソ言え」
「苦い」
「そうだろうよ」

サンジは苦笑した。甘いわけがない。ニコチンの沁みた指先なんて苦いに決まっている。ゾロの舌に撫でるように舐められて、沁みた傷口がじんと痺れる。痛みがもたらす刺激にじわりと心が疼く。

本当だったら、火傷をしたらすぐに水で冷やすことくらいサンジだって知っている。一人だったらそうしていた。それをしなかったのは、チョッパーに気兼ねさせたくなかったからだ。そしてゾロが指摘しなかったのは、トナカイの船医に気づまりな思いをさせたくないと思ったサンジのことを分かっていたからだ。

―― 甘いのは、おまえの方だよなァ

他人に対する態度が甘い、手ぬるいと折につけ言われるサンジだが、場合によってはゾロの方が余程甘いと思う。こんな風にひとの気持ちを汲んで何も言わないでいる優しさだとか、この手に対するいたわりだとか。
可愛らしさ、繊細さ。そんなものから縁遠いように見える男から向けられる、ほとんど愛情表現と言っていいような行動をどう受け止めればいいのか、気持ちが通じた今でも惑うことがある。イヤなわけじゃないけれど、臆面もない様子が面映ゆくてサンジはやんわりと手を引いた。

手をひっこめられて舐めるのは諦めたゾロだが、サンジの手は放さなかった。二人の手が指先でつながる。いぶかし気なサンジの目の前で、ゾロがわずかに動くと互いの指同士が組み合わさった。
甘さとは程遠い獣のような情交を夜ごと繰り返し、相手の身体などもう既にどこもかしこも知っていて、触れることに躊躇いもないのに、これっぽっちのささやかな接触の方にこそ相手を思う気持ちが感じられる。 

そんな風に、甘い香りの満ちる穏やかな昼下がりのキッチンにふさわしいのは、キスよりも何よりも優しく、甘やかすようにからめる指先。

 

 

  

end