match

 それは突如天啓のようにゾロの頭の中にひらめいた。

―― 俺はアレが欲しい。

 鷹の目に挑んで敗れたあの頃から、輪郭のはっきりとしない不明瞭な考えがゾロの頭の中にはモヤモヤと居座っていた。モヤモヤ発生の時期から察するに、当然それは鷹の目との一戦に起因するものだと思われた。だとすれば、わが身の未熟さを憂い、驕りを悔い改め、己の精神を鍛え、技術を精錬させることに励めばきれいさっぱり雲散霧消するだろう。ゾロはそう考え、そして実行した。

 しかし、得体のしれない漠然とした考えはゾロの頭から消えなかった。消えないばかりか時が過ぎるにつれ、それは頭の中から心へと移ってきたようだった。喜び怒り哀しみ楽しみ、心に巣食ったそのモヤモヤはそんな風に言葉で明らかに表せるようなものではなかった。甘いような腹立たしいような幸せなような苦しいような、自分でもわけのわからぬ得体のしれない思いが日ごとに少しずつ大きくなっていく。どうしてそうなるのか、どういう時にそうなるのかもよく分からなかった。

 そしてその曖昧模糊たる考えと思いはゾロの頭と心を浸食しただけでなく、身体をも侵す気配を見せ始めた。ありていに言えば下半身がモヤモヤするようになったのだ。
 体力の限りを尽くし鍛錬し、失われた体力を回復させるために食べて寝る。自分の持てるエネルギーは全て燃焼、消費されていることを考えれば、モヤモヤというよりもムラムラと言った方が正確であろう下半身の有様は、ただ事ではないと知れた。

―― どういうことだ。
 考え事も物思いも得意でない男は首をひねるばかりだった。

 そして、ある日。
 昼食後のまどろみの中、浅い眠りから深い眠りへと移行するその刹那、まぶたの裏の薄暗い闇にきらりと光る金色の輝きがあった。それを感じた瞬間、ゾロは全てを悟った。

―― 俺にはアレが似合いだ。

 眠気は吹き飛んだ。ゾロはむくりと上半身を起こした。下半身も起きた。

―― 何が何でもアレが欲しい。

 全てが明瞭になればゾロには惑いなどない。迷いはあるがそれはご愛嬌だ。まっすぐと「アレ」へと向かう。少しの後、船尾で煙草を吸っているアレを見つけた。

「おまえが欲しい」
 単刀直入にゾロは言った。
「あァ?」
 愛想の欠片もない顔でアレは返答した。
「てめえ、何ねぼけてやがんだ。寝足りねえんじゃねえのか?なんだったら、おれ様が眠らせてやろうか。永遠によ」 
 アレ、すなわち船の料理人サンジはこの上なく凶悪に顔をゆがませた。
「寝ぼけてねえ。つか、むしろ、かつてないほどハッキリした」
「ハッキリしたってのァ、何だ?寝ぼけてねえんだったら、なんだってワケの分かんねえこと言いやがる」
「理由は分からねえ。でも嘘じゃねえ。ホントの事だ。おれはオマエが欲しい」
 その証拠にこいつを見やがれ、とズボンで隠れていながらも存在を主張している部分を見せようと思ったがひとまず自重する。そのかわり思い立って付け加えた。
「おまえに惚れた」

 サンジは一瞬押し黙った。ゾロという男は冗談を言ったりすることもあるが、悪趣味な悪ふざけはしないのを知っているからだ。
「なんでだよ……」
「理由が必要か?理由を聞いたら納得すんのか?理由を言えば俺のものになるか?必要ならいくらだって言ってやるが」
「ふざけんな。人間様にわかるようなコミュニケーションとりやがれ。相手のことを考えてものを言えってんだ」
「てめえの事を考えたら、こうするしかねえって思ったんだよ」
「じゃあ、おれの意思はまるっきり無視かよ」
 サンジの怒りが爆発した。
「いきなり前触れもなくやってきて、欲しいとかぬかされてもハイそうですかと言えるかってんだ」
「じゃあ前触れがあればいいのか」
「そういうことを言ってんじゃねえ!」
「ほらみろ。てめえは何か理由を聞いたら屁理屈ならべたてて反論するだけだろうがよ。結局のとこ、理由なんていらねえんだよ」

 サンジの怒りに同調するようにゾロも感情を高ぶらせていく。ここ数週間ゾロを悩ませていた懊悩は、一つの結論を得てすっきりしたはずなのにどうしてうまくいかないのだろう。
 ゾロはたまらず目の前のサンジの腕を掴んだ。

「放せ」
 サンジが凄む。
「嫌なら抵抗すりゃいいじゃねえか。おれは抵抗するなとは言ってねえよ」
「力ずくかよ。最低だな、おまえ」
  サンジが冷笑する。
「惚れたとかなんとかつってたのは、ありゃ嘘か。ふつうは優しくするもんじゃねえのかよ。自分を好きになってもらえなくても、せめて嫌われないようによ。えぇ?」
「相手がてめえじゃあ、ふつうのやり方じゃ手に入らねえとは思ってるさ。ましてや、自分が無傷で手に入れられるとも思ってねえしな」
「いい覚悟じゃねえか」
 サンジの目が剣呑な光を帯びた。

 次の瞬間、ヒュという風切り音とともにとんでもない速さの蹴りが胸元に入り、ゾロは後ろにふっとんだ。
「容赦ねえなあ…。」
 蹴られたところを手でさする。そこはここしばらくの間、言葉にならない感情を溜めていた場所だ。足蹴にされた。砕くなら砕け。粉々に。できないならてめえが覚悟しろ。ゾロはのっそりと立ち上がった。それから、笑う。

 全力でぶつかって来られて、うれしい。
 のらりくらりと躱されるよりも余程うれしい。

 所詮、俺たちはこれでなければ分かり合えないし、納得もできないのだ。タイマン勝負。勝つか負けるか。ヤルかヤラレルか。食うか食われるか。

 サンジの切れ味のよい蹴りが次々と襲い掛かってくる。ゾロは右に左にとその蹴りをかわしながら相手の隙をうかがうが、本気で怒っているサンジに隙は見つからない。 反撃の機会を狙えないまま防戦一方となる。

 それでも、うれしい、と思う。はぐらかされることなく自分に真剣に対峙しているからだ。サンジの視界には今この瞬間、ゾロしか映っていないのだ。

 不意に船がぐらりと傾いだ。大型のクジラか小型の海王類か何かとニアミスしたのだろう。サンジの攻撃が一瞬遅れた。
 その瞬間を見逃さずゾロは一気に間合いを詰めると、振り上げた相手の足の大腿部を両手で掴み取った。

「てめえ」

 悔しそうにサンジがにらみつけてくる。
 左足一本で立っていても身体の軸が全くぶれず安定してるのはさすがの体幹バランスだ。ゾロが力を緩めればすぐにでもするりと逃れて今まで以上の反撃をしてくるだろう。しかし今は攻撃はできない。

「俺の気持ちは関係ねえのかよ」
 屈辱だと言わんばかりにサンジが言う。
「お前がどんな気持ちであっても、おれはお前がほしい」
 この機会を逸すまいとゾロは必死に言葉を続けた。
「おれ以外の誰かを好きでもいい」
 それは偽らざるほんとうの気持ちだ。欲しいと気付いた時から、手に入れるには同意など得られるわけはないと思っていたのだ。

「……じゃあ、お前を好きだっつったらどうすんだよ」
 いかにも不機嫌そうな声が聞こえた。
「え?」
 一瞬何かの間違いかと思う。目の前の男を穴のあくほど眺める。ふてぶてしさはいつも通りで変わらない。たださっきまでは真正面から睨みつけてきていたのに、今は顔を背けている。髪に隠された側をゾロにむけて。髪が隠しきれない肌が少しだけ赤いような?
「……それは考えてなかったな」
 ゾロは茫然とつぶやいた。
「考えろ!今すぐ考えろ!」
 表情を見せまいとする姿勢のままサンジが怒鳴る。髪の間からのぞく少しだけ染まった肌の色が徐々に赤味を濃くしてゆく。
 その様子をみていたゾロもつられて赤くなる。血が巡って全身が熱くなっていき、それから廻った血液は一点に集中した。

「考えたか?」
 サンジはポケットから煙草を取り出して火をつけると、尊大な様子ですぱーと煙草を吸った。偉そうだ。

「何の問題もねえってことじゃねえか!手間かけさせやがって!」
 ゾロは掴んでいた足から手を放し、ぎゅうぎゅうとサンジを抱き締めながら、ここぞとばかりにぐいぐい下半身を押し付けた。

「ギャー、やめろ!気持ち悪いことすんな!気持ち悪いモン押し付けんな!」

 今になってサンジは必死になって抵抗した。
「うるせえ。もったいぶるんじゃねえ!」
「アホか!てめえが猪突猛進に押してくるからじゃねえか!ボケ!」
「おれのコレ、責任とりやがれ!」
「うっせー!おれが言おうと思っていたキメ台詞、ハゲのくせに先に言うんじゃねえよ!」

 本日の喧嘩第二ラウンドが勃発した。

 実力は伯仲、お互い一歩も譲らないため決着はつかず、ゾロを悩ませたモヤモヤの正体は明らかになったがモヤモヤの解消に至るにはまだ暫く時間がかかりそうであった。

 

 

end

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【match】 英和辞典によれば意味(名詞)は次の通り。
1. 対等の人、好敵手
2. 好一対、よくつりあう一対
3. 試合
4. 結婚、縁組
5. 結婚相手としてつり合いそうな人

対応する動詞(他動詞、自動詞)もあります。まさにゾロサン関係。