艶美魔夜不眠鬼斬り(エビマヨネーズおにぎり)

「おやつだぜ」
 ミカン畑の後方、狭い甲板で黙々と錘を振っているとコックが現れた。思っていたよりもずいぶんと長いこと鍛錬していたらしい。時間に正確なコックの行動はこの船の時計代わりだ。やってっもやっても足りない鍛錬だが、長時間ぶっ続けでやるのは却ってよくないんだよ、とつぶらな瞳の船医に注意を(しかも何度も)受けてからは、適度に休憩をはさむようにしている。そうは言っても、おれは一度何か始めると目の前のことに集中しちまう方だから「適度に自主的に休憩」なんぞは本来無理な話なのだが、オヤツだぞとか、干上がるから水飲めとか、意味なく喧嘩をふっかけてきたりとか、適当なタイミングでコックがやって来るので、それを目安に鍛錬の手を止めて一息つくようにしている。この点についちゃ、チョッパーとコックの間に何かしら密約でもあるんじゃねェかと勘繰っているが、本当のところは分からない。

 その形状からみんなに串ダンゴと呼ばれている鍛錬道具を甲板にそっと置く。以前、休憩時間かと気を抜いて適当に置いたら甲板に穴が開き、コックとウソップにしこたま怒られたからだ。鍛錬は最後まで集中が必要だ。
 
 コックが持ってきた小さな籠を覗く。中には三角形の握り飯が三つ入っていた。白米じゃねェか。こいつはいい。
 受け取った籠を抱えておれはその場に座り込んだ。すぐに引き返すかと思ったコックは、ここで一服していくつもりらしく、煙がこちらへ流れないような位置に立つと煙草に火をつけた。その姿を横目にいただきますと手を合わせ、早速握り飯に手を伸ばす。
 整った三角形のてっぺんには、中身が分かるように具がちょこんとのっかっている。気配りが行き届いている。具は、梅と昆布と……エビ?
 海老は嫌いじゃねェが海老の入った握り飯なんぞ食ったことはねェ。また相変わらずけったいなものをと思うが、とりあえず定番の梅から頬張る。うまい。やっぱり白米はいい。

 おれにとって白米は、おそらく生まれた頃から食い慣れている食べ物で、だから食べると一番しっくりくる。主食として茶碗に盛った白米を食うことが一番多かったが、握り飯もよく喰った。弁当、オヤツ、差し入れ。通っていた道場の稽古では、差し入れといったら握り飯だったからだ。師匠の奥方、つまりくいなの母親が作ってくれたおにぎりはきっちり三角形の塩がきつめで、中の具は常に梅干しだった。道場に通う誰かの保護者が持ってきてくれたものは、俵型だったり丸かったりと形も様々なうえ、海苔の巻き具合や中身にも個性があって、実にいろんな種類の握り飯があった。稽古の合間にみんなでああでもないこうでもない言いながら食ったもんだった。だから握り飯についてはそれなりに造詣が深いというか、経験が豊富というか、要するに色んなものを食ってきたと自負していたのだが……エビ? 

「エビマヨネーズおにぎり」
 おれの様子をうかがっていたらしいコックがさらっと声をかけてきた。ああなるほど、エビマヨネーズ。それで海老が乗ってるのか……って、エビマヨネーズおにぎり⁉
 海老はいい。マヨネーズもいい。おにぎりもいい。しかし、その組み合わせはねェだろ!

 おれは料理についてはからっきしだが、身近なものだったからこそ、白飯は研ぎ方や炊き方でだいぶ味が変わっちまうってな程度に知識もある。その点、コックは一流料理人を自分で名乗っているだけあって、炊き加減が絶妙で、さっきの梅おにぎりなど実によかった。塩加減なんか見事なもんだ。炊き立ての飯はさぞやつやつやぴかぴかだったに違いない。それなのに、エビマヨネーズなんて入れたらせっかくの白米が台無しじゃねェのか⁉

「まァ食ってみろって」
 思うところは多々あれど、こと食べ物に関しては、コックがアリといえばアリ、無しといえば無し、是非はコックに握られていて逆らえない自分がいる。ここまでくると諦めの気持ちでコックの言う通り口に運ぶ。

 ……ん? こいつァ……。

 咀嚼するとぷりっとしたえびの食感、濃厚なマヨネーズ、絶妙な塩加減、香り高い海苔。シンプルな素材全てがそれぞれの良さを最大限に発揮しつつ、口の中で混然一体となり非の打ちどころのない調和を……って御託はヤボだ。とにかく美味い。

「ごっそさん」
 手を合わせて終了の挨拶をする。
 ゴマの入った塩昆布(もちろん塩昆布もコックの手製だ。酒のアテに良い)の握り飯もよかったが、エビマヨネーズの味は印象的だった。
「おまえ、エビマヨ気に入ったろ」
 煙草をくわえたコックの口元が嬉しそうな角度に上がっている。
「なんで分かンだよ?」
「食いっぷり」
 コックに言われておれは自分の頬のあたりをごしごしこすった。以前、酔っぱらったコックが「食ってるときのおまえの頬袋を見れば、好きな食い物が分かる」みたいなことを言ったからだ。分かってたまるか。ってか、頬袋ってなんだ。おれはリスか。
 自分でも見たことのない頬袋とやらはともかくも、美味いも不味いも表情に出していると思えねえのに、コイツは本当によく見てやがる。

 以前は、コックがおれの様子を見ていることに反発を感じていた。外見も言動もいけ好かない男が、船の料理人としていつの間にやら乗り込んできて偉そうにしてやがると思った。観察されていることも知っていたが、反りの合わない気に食わない相手の弱点でも握ってやろうとか、そんな心持ちから探っているのかと思っていた。でも、そうではなかった。料理人であることの誇りと高い職業意識、仲間に対する細やかな心配りと度の過ぎるほどの優しさ。それがコックの行動の基であり、おれに対してさえも発揮されていたのだった。それに気づいて、改めてコックという男をみているうちに、見えてないものが見えてくるようになり、見えてたのに見てなかったことも分かってしまった。自分のコックに対する感情とか。

 相手に気を遣わせないように気を遣う男は、このあいだのおれの勢い任せの告白じみた言葉を聞いた後も、からかいもせず、探りをいれることもせず、何もなかったかのようにふるまっていた。おれとしては、あれをおふざけとしてなかったことにされたくはないが、同じ船の仲間として続く航海を考えれば、コックのそういった態度はありがたかった。
 
「初めて食った」
 とくに何をとは言わなかったがコックは理解した。
「だろうな。おれも初めて作った」
「なんでこれを作ろうと思ったんだよ?」
 それは軽い気持ちからでた問いだった。この間の買い出しで海老をたくさんオマケしてもらったとか、そんな実際的な答えが返ってくるとばかり思っていた。

「そうだな……」
 すぐには答えず、手すりに背を預ける格好でコックは空を見上げた。風は微風で青い空に白い雲がぽつんと浮かんでいる。そのままの姿勢で暫く黙っていたコックは、やがて顔をこちらに向けるとゆっくりとした口調で言った。
「『人は食べたもので出来ている』んだってさ。ジジイに言われたよ。だから、体を作るためには栄養バランス考えてできるだけ色んなもの食った方がいいって」
 それだけ言って、次の言葉を探すようにコックはまた口を閉ざし、それから語り始めた。

「……おまえはさ、そのうちにどっか行っちまうだろ。大剣豪になるために」
 びゅうと強い風が吹いて黒いスーツの上着の裾がパタパタとはためいて、鳥の羽ばたきのように見えた。コックがどこかへ飛んでいきそうでひやりとする。捕まえてェと思う。
「だからせめて、おれが一緒にいる間は……仲間でいる間は、たらふく美味いモノを食わせてやりたい」
 吹く風にコックの金色の前髪の毛がかき乱される中、強い光を湛えた青い目がまっすぐおれを見る。
「おまえが一人でどっかに行ったときに、美味いモノ食ったっていう記憶がおまえを支えてくれるように。それから、おまえが知らない味を拒絶しないように。見知らぬものを拒まないように」
 虚を突かれた。コイツ、何言ってるんだ。毎日毎日の食事を作りながら、目の前のことだけじゃなく、そんな遠い将来のことを考えてたのか。しかもおれの将来のことを。
「おまえって、怖いもの知らずなんだけど、警戒心は結構、強いだろ」
 警戒心? たしかに誰でも信用する船長と違って、コックが船に乗った時も、ロビンが船に乗った時も誰よりも警戒した自覚はある。こんな稼業をしているから不審な物事に関してはいつでも用心し、排除するのがおれの役目だからだ。食事をみんなと一緒にしないのも、睡眠時間がズレるのもそのせいだ。
「食べ物にしたって、初めてのものってすげェ警戒するよな」
 子供みてぇに、と言ってコックが少しだけ笑った。そして続ける。
「おれは、知ってもらいたい。知らない味を。おまえがこの船をおりて一人になったときに飢えないように。おれだって知らない味はまだたくさんある。だから知りたい。見たこともない海に行きたい。奇跡の海にいる魚を知りたい。おれはジジイに教わった。味覚が広がるのは世界が広がるってことだって。未知のものに出会って世界は広くなっていく。知らないものを警戒するのは悪いことじゃない。でも未知を未知のままにしてよしとするのは、無知と同じだ、って」

 確かにおれは食に関しちゃ興味はなかった。味などどうでもよかった。食えればよかった。美味いまずいで一喜一憂するのが煩わしかった。おれが見知ったものばかり食うのは好奇心の有無の問題ではなく、つまらないことにかかずらいたくないからだ。くだらないことで命を落としたくないからだ。知っている味と知らない味があったときに、知っている味を選択するのは、それが安全だという経験則からだ。この船に乗る前の賞金稼ぎとして海賊を狩っていたころは、生き延びているのが大事だった。逆恨みする海賊どもから命を狙われることもあり、見知らぬものを口にするのは博打と同じだった。知らない味は毒かもしれない。知っている味の方が安全だった。
 死を恐れているわけじゃない。強いヤツと戦うこと以外で死ぬのはばかばかしい。剣以外のことに、心を惑わされることは無駄だ。強くなること以外に気持ちを傾ける暇はない。そんな風に思っていたからだ。仲間ができるまでは。——この船にコックが乗ってくるまでは。

 それが、そんなことが、今までの数々の美味くてあたたかくて未知の料理を作ってきた理由か。なんてヤツだ、チクショウ。言いたいことがあり過ぎて何をどう言えばいいのかまったく見当もつかないが、ふと気づく。これはこの間のおれの言葉に対するコックの返事じゃねえか。おれのことを、もうずっと前からこんなにも思ってくれてたと、おれは自惚れるぞ。

「おまえ、そんなの、おれの妨げにしかならねェじゃねェか」
「あァ?」
 おれの言葉にコックが好戦的な目をした。
「こんだけ毎回おまえのメシ食わされて、いまさら他のメシが食えると思ってンのか」
「あァ?」
 好戦的な態度が懐疑的な態度に変わる。
「おまえのせいで、ほかの食い物が食えなくなった」
「はぁ?」

 ——人は食べたもので出来ているなら、おれはコックで出来ている。

「おまえの作ったもの以外、食う気はねェ」
「勝手なことを」
「それはおまえの方だ。俺の体を勝手に作りかえたくせに」
「何言って……」
「体が食べ物で出来ているなら、おれの体はおまえが作った」
「……ってことは、ナミさんやロビンちゃんのボディも……」
 何を考えたのか、いきなりデレっとしだしたコックの肩に手をかけて、至近距離の真正面から教え込むように語りかける。
「あいつらは、島でレストランやカフェとやらに行っていろんなもの食ったりしてやがる。純度だったらおれの方が高い」
「……何を言ってるんだ、おまえは」
 デレっとして見せたのは多分こっぱずかしくて茶化してしまいたかったせいなんだろう。顔が赤い。なかったことにはされたくないからコックの俯いた顔をあげさせた。しっかりと目を見て、言う。
「責任とれ、アホコック」
 てめェの作ったメシならどんなもんでも食ってやる。てめェが差し出すものなら、未知のもんでもありえないものでも、たとえ毒でもカミソリでもなんでも。おれは、おまえの言うとおり、いつか船を下りてどっかに行くかもしれねェ。もしおれがどっか行くってんなら、おまえを連れて行く。一緒ならどこでも行ってやる。一緒でないならどこにも行かない。
 
 おれのメシを作れ、おれに食わせろ。これからも、ずっと。

 

 

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