ルッコラでびっくら

 いい気持ちで寝ていたら腹回りのあたりに不穏な気配を感じた。

 うっすらと目を開けると女の脚が見えた。ナミが細い踵の靴でぐりぐりと腹巻のど真ん中辺りを踏みつけている。
「あんたね、毎回毎回、ご飯の時間に遅刻してんじゃないわよ」
「やめろ、腹巻がほつれる」
 あくびまじりにそう言ったら、ひときわ体重をのせてきた。重さ自体はさほどでもないが一点に集中した重量は凶器だ。思わず呻く。
「そのたんびにサンジ君の手を煩わせて。申し訳ないと思わないの?」
 いや、おれよりよほどオマエの方がアイツの手を煩わせてるだろうが。食事作りはコックの領分だからいいとして、食事時じゃないときのお茶が飲みたい、美味しいお酒が飲みたいとかはどうなんだ。そのほかミカン畑の警備から部屋の掃除から何から何までアイツをこき使ってるのはナミじゃねえか——と思ったがとりあえず口をつぐむ。反論したところで何十倍にもなって言い返されるのがオチだし、言い負かされるのも目に見ているからだ。
「邪魔。早く行って」
 ナミがおれを足蹴にする。答えるのも面倒くせえ。傍らに置いてあった三本の刀を腰に差し、よっこらせと立ち上がった。気付けばとっぷりと日が暮れていてすっかり夜になっていた。
 
 以前のこの船は、食いたければ食う、食べ物があれば食う、という良く言えば臨機応変、悪く言えば行き当たりばったり、すなわち無計画な状態だった。それがあのコックが乗ってきてからというもの、気ままなその日暮らしの生活は一変し、朝起きるに始まり夜寝るまで(かつては寝たいときに寝て起きたいときに起きていたから一日の時間の感覚なんてものもなかった)、朝飯昼飯夕飯オヤツ、掃除洗濯風呂などなど、妙にきっちりした生活になってしまった。この船の船長は、自由を愛し、縛られるのを何より嫌うが、コックのやり方に文句をつけるでもない。あんまりにも規則正しく整った生活は海軍みてェで息苦しいと密かに思う。もっとも海軍にオヤツがあるのかどうかは知らないが。
 コックもあんなにウルサクなけりゃ、もうちっと仲間としてつきあい様もあるのに、と思いながらラウンジのドアを開ける。 

「なんだよ」
 銜え煙草で何やら作業をしていたコックがこちらを見る。コックの手元に視線をやれば、どうやら握り飯を作っていて、ずいぶんと可愛らしいサイズの菜飯の握り飯の二つ目がちょうど出来上がるところだった。
「メシ」
 要件だけを言った。これで言い方が気にくわないとか、メンドクサイとか、遅いとか、ギャースカ言われたら酒瓶だけ持って外に出ればいい。そう思っていたのに。
「もうみんな食っちまったから余りもンしかねェぞ」
 と何やら食事が出てくる気配がする。追い返されないということは食事にありつけるということだ。おれはきれいに片付けられたテーブルの端っこの席についた。いくらもしないうちに目の前に食べ物が並ぶ。今日は焼いた肉(といっても肉だけじゃねェ。芋とか色々添えられている)とスープにサラダ、パンだった。余りものにしちゃ意外と豪勢だ。

「いただきます」
 と手を合わせる。ガキの頃からの習慣でメシを食うときには無意識でこれをやるのだが、どうもこの動作はコックの気に障るらしい。というのも、この挨拶をやるたびに視線を感じるからだ。おれが育ったシモツキじゃごく普通の食前の挨拶で、特段妙ちきりんな仕草とも思えねェし、マナー違反とやらでもねェはずだが、なんでコイツは何か言いたげにこっちを見るのか。言いたいことがあるなら言やァいいのに。メシは悪くねェのに、こっちを探ってくるようなコックのこんな態度は気に障る。
 
 ちなみに、サラダとやら言うこの葉っぱの盛り合わせ、コックが船に乗るまでは食う習慣はなかったが、時折食卓に上るので口にするようになった食べ物だ。つっても、例えば、島に上陸し腹が減って食堂に入ったとして、自らすすんで頼むようなことはねェ。  ナミやビビあたりは何が嬉しいのか好んでよく食べているが、あいつらの気が知れねェ。青虫じゃあるまいし生の葉っぱだけをモシャモシャ食えるか、そのうちサナギにでもなるんじゃねェかと言ったら「よりによって人を虫よばわりするなんてサイテー!」と殴られたもんだ。だからって人を殴ることはねェだろが。それはサイテーなふるまいじゃねェのかよ、魔女め。もっとも、そん時にビビがとりなすように、野菜は体の調子を整えるだとかビタミンだとかあれこれ言うのを聞いて、そういや、ヨサクが病気で血を流していたなと思いだした。あれはコックが船に乗る直前だった。その原因についてナミが「新鮮な野菜が」云々と言っていたので、野菜が体に必要なのは分かっている。いざって時に、斬られてもねェのに、血を流してぶっ倒れるなんてあっちゃならねェと思うから、出されたら食うようにしている。しているが、今日の葉っぱは想定外、思いもよらない味がしたので一瞬怯んだ。

「どうした?」
 おれの動きが一瞬とまったのを目ざとく見つけたコックが聞いてくる。
「いや……」
 言葉を濁したが、コックは原因がサラダにあると踏んだらしかった。
「ルッコラのサラダ、口にあわなかったか? このルッコラ、思ってたより辛味があって、他の連中にはどうかなって感じだったから、みんなには別の野菜でサラダを作ってさ。でも、てめェならこういうちょっと苦みと辛味がある系の味は平気だろうと思って出したんだが」
「いや、べつに問題ない」
 いや、べつに問題ない。コックの頓珍漢な説明を聞き流す。辛味も苦みも問題ない。苦手とか嫌いとかそんなんじゃない。ただ単に、今まで食ったことのない野菜の味に意外な思いをしたっつーか。サラダってのは、どれも似たり寄ったりで、生の葉っぱにタレの味で変化をつけて食わせるものだと思ってたのに、葉っぱそのものに主張があって意表をつかれたっつーか、葉っぱ食ってゴマっぽい味がするとは思わなかったから騙されたような気がしたっつーか。
 おれはこっそりため息をついた。相変わらず、コックとコックの料理には「騙されたような気がする」ことばかりだ。
 コック本人に騙すつもりがあるのかは定かでない。だが、考えていることとやってること、外側と中身にギャップがありすぎて、何が本当なのか信用ならない。

 とにかくコックは嘘くさいのだ。
 とくに見た目は胡散臭い。
 骨っぽい体つきで、金髪の丸っこい小さな頭がてっぺんに乗っかった一見ひょろりとした優男で、細っこいうえに猫背で姿勢もよくないから小さく見えるが、背の高さは実はおれとたいして変わらない。たいてい黒いスーツを着てシャレのめした格好をしていて、およそ海賊らしからぬ。この手の輩は、小生意気な口をきくくせにひとたび喧嘩でも起こればたちまち逃げ出すか、すぐさま腰を抜かして使い物にならない。海賊なんかにゃ到底向いていない手合いというのが相場のはずだ。
 ところが、コックは違った。
 小生意気なのはその通りだが、中身は生意気なんて可愛いもんじゃない。実に凶暴で、喧嘩となれば相手を容赦なく叩きのめし……っと、これだけはコックの名誉のために言っておこう、こいつは己のポリシーゆえ喧嘩に手を使わないので叩くことはない。だから、正しくは、喧嘩となれば容赦なく相手を蹴り飛ばし、だ。蹴りの威力は、それはそれは恐ろしいほどで、こればかりはおれも感心する。荒っぽさにおいては、おれより度が過ぎるんじゃねェかと思うこともある。その一方、女どもとキャッキャウフフしてやがるし、全くもってよく分からない。考えるのは得意じゃねェし、物事ってのはなるようにしかならないから、深く考えないようにしているが、どうもコックのことだとそういうわけにもいかないのがまた釈然としない。
 
「てめェ、結構な勢いで食ってたけど、思ってたより腹減ってたか?」
 いつの間にか全ての皿を空にして、差し出された食後の茶に口をつけようとしていたらコックが声をかけてきた。
「いや、別に……」
 うっかりガツガツ食っちまったのは、コックのことはよく分からねェとか考えごとをしながら食ったせいで、空腹だからではない。そりゃ、食えと言われたら食えるが、今はいわゆる腹八分目、多すぎず少なすぎずちょうどいい具合だった。それにコックは『余りものしかねェぞ』と言っていたわけで、今日はこれ以上ねェってことなんじゃねェのかよ?

「足りないんだったら、これ、食うか?」
 小さな握り飯が二つのった皿が目の前に現れる。さっき見かけた菜飯の握り飯だ。美味そうだ。面と向かってコックに言ったことはねェが、実を言うとおれは白米の方が好きだ。米かパンかを選べるのなら米を選ぶ。
「今日の夕飯、先に食べたみんなにゃ、ご飯出してたんだけどよ。思いがけずみんなよく食ったから、おまえ一人分にはちょっと足りないくらいしか余らなくってさ」
 何のために生やしているのかよく分からないような中途半端な薄い顎鬚をポリポリと指先でひっかきながらコックが言う。なるほど、それで主食がパンだったってわけだ。
「そのちょっとだけ余ったメシで作ったから、これしかねェけど……」
「もらう」
 即答だ。今日のメシにパンが出たのに特段の不満はねェし、腹もだいぶ満ちているが、米があるなら食いたい。
「おう、食えよ」
 コックがホッとしたような表情を浮かべ、それから得意げな調子でつけ加える。
「それ、ルッコラを塩もみしてごま油で和えて白飯と混ぜて作ったおにぎりなんだけど、意外なとりあわせがけっこうイケると思うんだよな」
 
——おい、ちょっと待て。これは普通のメシじゃねェのか? さっきのヨッコラだかドッコラだか、オヤジの掛け声のような菜っ葉を敢えて和えて作っただと?

 目の前に置かれた、菜飯の握り飯さながらの、しかし、あの不思議な味のする野菜を使った珍妙な握り飯を呆然と見つめる。しかし「もらう」と即答した以上、今更いらねェなどと言えるはずもない。
 菜飯だと思えばいい。コックはアホだが、食べ物のことに関してはハズレはないはずだ。想像もつかない未知の味への警戒感を抱きつつ、小ぶりの握り飯を口に運び、一口かじった。

 ……ん? こいつァ……。

 青菜のほろ苦さにゴマの香り、嫌味のないピリッとした辛さが全体を引き締め、イイ感じに味わい深い。白米に鮮やかな緑が散った外見は知っている菜飯と同じだが、味はまるで違う。味が想像できず、恐る恐る口にしたが、こいつは美味い。もっと味わっていたいところだが、如何せん小さな握り飯はなくなるのも早い。名残り惜しい気持ちでごくんと飲み込み、残ったもう一つを掴もうとおれは手を伸ばした。
 が、まさにちょうどその時、コックは握り飯の乗った皿をおれの方へちょいとばかり押しやろうとしており。握り飯があるべき場所と思って伸ばしたおれ手の先に握り飯はなく。あったのはコックの手であり。その結果、おれの手はコックの手を握るハメになり。
 
「あ、わりィ」
 すぐさまパッと手を離し、目的の握り飯を掴んだおれが見たものは、特徴的なマユゲをへにょりと下げつつ、怒りのせいか赤くなったコックの顔で。
 
ヤバイ、と思った瞬間、コックがドアを開けざまおれを蹴り飛ばした。
「野郎に手を握られるシュミはねーんだよ」
 コックががなりたてたと同時におれは甲板に尻もちをついてひっくり返った。わざとじゃねェし、謝ったのに、そこまで怒るこたァねェだろうが。全く、暴力コック野郎が。
 
「バカねぇ」
 通りがかったナミが、何も知らないくせにおれが悪いと決め付けて言い捨てる。
「サンジくんに何したのよ」
「何もしてねェよ」
 握り飯を掴もうとしたらコックの手を握ったとは流石に言えない。
「ま、その調子だと、ご飯は食べさせてもらえたのね」
「余りものだったけどな」
「余りもの?」
 ナミがいかにも呆れ果てたといった顔でおれを見下す。
「ルフィがいるのよ。余るわけないでしょ」
「え?」
「ちゃんと、あんたの分をとっておいたに決まってるじゃない」
 おれのメシをわざわざ取っておく? アイツに限ってそんな殊勝なことしねェだろ、とナミに反論したものの、意外とそういうことをするかもしれないという思いが心の中にむくむくと湧き上がる。そういうところが、確かに、コックにはある、気がする。いや、気がする、じゃない。おれだって気付いていたはずだ。余りもののくせに、ずいぶんと豪華なメシだなと。分かっていた。分かっていたはずなのに。
 
この船ではメシは余らないし、余るとしたらごくわずかなはずだ。ということは、この握り飯こそが本当に、本当の余り物で作られていて、だとしたら、この握り飯は誰の口に入る予定だったんだろうか。あのコックが本当の余りものを誰かに食わせることはちょっと想像できない。ということは、これはコックが食べる分だったんじゃねェのか?
 
 蹴り飛ばされても落とさなかった握り飯がおれの手にある。これをもってアイツのところへ行き、食えと言って口に押し込みたい気持ちに駆られるが、そんなことをしたら再び蹴り飛ばされる未来が見える。おれが食うしかない。がぶりとかじりつく。やっぱりうまい。コックにも食わせてやりたいくらい美味い。

 今日もまた、やっぱりコックに騙された。

 

 

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