やさしいプリン

しんしんと冷える冬島の海域、もうとっくに誰もいなくなっているはずの深夜のラウンジの丸窓から明かりが漏れていた。

 ——アイツ、見張り番でもないくせにまだ起きてやがる。

 休めるときには休んでおく。いざってときに寝不足でしたじゃ済まされないのが、おれたち海賊稼業だろうに。敵は容赦してくれない。こちらが体調万全で準備万端のときだけに襲来するわけじゃない。命のやりとりは遊びでやってんじゃねェぞ、あのアホが。あのコックは戦闘員でもないくせにまずまず強ェし度胸もあるが、全般的に甘ェところがあって、そこがヤツの命取りになるんじゃねェかと気にかかる。「早く寝ろ」などと相手を気遣う言葉をかけるような間柄ではないが、「いい加減にしろ」と文句のひとつも言おうと思ってラウンジの扉を開けた。が、男はいなかった。
 
 振り上げた拳の行き場がない宙ぶらりんな気分をごまかすように、冷蔵庫脇のラックから酒を一本引き出した。特段飲みたかったわけでもないが、そうでもしないと手持無沙汰で仕方ない。あの特徴的な佇まいの男の姿が見えないだけでこの空間が寒々しく見えて、なぜだか舌打ちしたいような気分になった。明かりがつけっ放しだし、気配もあるから、下の倉庫かそれとも倉庫の更に下の……と思っているうちに、盆を手にしたコックが戻ってきた。
 
「なんだ、てめェか」
 挨拶がわりの憎まれ口が今日はなんだか弱々しい。
 コックが弱っている原因は明白だ。コックが女神と崇めるナミが熱を出しているからだ。この船に医者はいないというのに、原因不明の熱病でかなり深刻な状態だった。
 一緒に過ごすようになって分かったことだが、コックは大概器用な男で、たいていのことは一通りなんでもそつなくこなしている。生活に関わる全般、とりわけ海の上で生きる術の多くを知っていたけれど、さすがに医療に関する知識までは持ち合わせてはいなかった。
 
「ナミのところへ行ってきたのか」
 問うとコックはしょぼくれた様子でうなずいた。
「全然熱が下がらねェ」
 そう言って、空になった水差しとコップが乗っかった盆に目を落とす。ナミが寝込んでからというもの、コックは飲み物やら食べ物やらを持って一日に何度も女部屋へ通っている。
「おれができることっつったら、食事を作るくらいなのに、何一つナミさんの役にたてなくて」
 持っていた盆をテーブルの上に置き、意気消沈した様子で呟く。熱を出したナミは食欲がほとんどないようで、コックが持っていく食べ物に手をつけないらしい。
「何がダメなんだろうなぁ」
「熱が高けりゃ、食いたくねェときもあるだろ」
「そういうもんか? おれ、高熱なんて出したことねェから、そのあたりがよくわかんなくてさ」
 精神的にはコックの方がナミより弱ってるんじゃねェかと思うくらいだ。ついぞ見たことないくらいコックが妙に素直で張り合いがない。というか、ちょっと面白くない。
 ナミの回復を望むのはおれも同じだが、病院はおろか医者もいないこの状況では、ナミ自身の体力と運に任せるほか、できることなど何もない。必要なのは一刻も早く医者と遭遇するという運とツキ。病気になった仲間を看病するのは当然だが、それ以上のことは何もできない。おれ達が騒いで足掻いたところで、ナミが回復するわけではないのだ。
 それなのにあれやこれやと心配し、取り乱さんばかりにじたばたしているコックは本当に阿呆なんじゃねェかと思う。もう少し冷静で現実的な奴だと思っていたのに。
 だいたいナミに対して何もしてやれないと歯がゆい思いをしているからといって、そんなに不安になるのなんてどうかしている。見えない何かを恐れるような態度が気に障る。

「なァ、おまえは熱出したことあるか? そん時はどんな感じだったか?」
 ナミのために少しでもヒントを得ようと必死な面持ちのコックは、助けを求めるガキのようだ。懸命な様子に無下にもできずにおれは考えを巡らせた。熱といえば、胸に受けた例の傷で少しばかり熱を出したことがあったが、アレは明らかに参考にはならない。それ以外で病気になって熱を出した経験が何かあったかと記憶を遡る。……そうだ、ないわけではない。ガキの頃、子供だけがかかる病気がムラで流行ったときがあり、そのときおれが熱をだしてぶっ倒れ、その次にくいながぶっ倒れて寝込んだことがあった。
 治った後で、どんなに強くても病気には勝てないのねと大人達に言われて憤慨した記憶がある。もっともそのとき自分がどんな様子だったかなんてのは全く覚えていない。辛かったのか苦しかったのかさえも記憶にない。
「……あったけど昔過ぎて覚えてねェな」
「なんだよ、それ。思い出せよ!」
 コックがすごい勢いで詰め寄ってきた。
「熱が出たときは何を食べたのかとか、どんなのが食べたかったとか」
「あァ?」
 コックの無茶ぶりにおれは唸った。覚えてないっつってんだろうが。ナミ絡みとなるとムキになりやがって。めんどくせえと思いながらも、コックの態度にひっかかるものがあり、頭の奥にしまいこまれていた光景を苦労して呼び起こす。
 流行り病で熱が出て、赤い顔をしているからと強制的に布団にくるまれた。温かくして汗をたくさんかいたら治ると言われた。道場へ行けねえ、稽古ができねえ、くいなと戦えねえ。何もできないのが悔しくて、とにかく早く治したいと思っていた。ようやく熱がひいて道場へ行ったら、今度はくいなが寝込んでて、結局しばらくの間くいなとの勝負はできず、ものすごくつまらなかった。——そういえば、と思い出す。くいなの様子を見に行ったとき、師匠が「くいなが『プリンが食べたい』と言っていてねぇ……」と少し困ったような調子で言っていた。
「そういや」
「思い出したか? 病気のときの食べ物」
 身を乗り出さんばかりに食いつき気味に聞くコック。
「プリンが」
「プリン⁉」
 コックが素っ頓狂な声をあげた。
「なんだよ」
「おまえの口からプリンなんて単語が……プリンが食いてェなんて……ちょっと意外すぎて」
「おれが食いたいって言ったわけじゃねェぞ」
「今、おまえプリンって言ったぞ! 恥ずかしがるなって。バカにしてんじゃねえから」
「いいから聞け!」
 おれはコックの言葉を遮った。このままだとプリン大好き剣豪とか不名誉なあだ名で呼ばれかねない。
「……おれがいた辺りじゃ、病人に出すのは薄い味噌汁か、重湯ってのが相場だった」
 いったんプリンから遠ざかろうと、とりあえず別の食べ物の話を出すとコックがおとなしくなった。食べ物の話になると真剣だ。
「ガキの頃の話だ。おれの幼馴染のくいなが熱を出して、師匠は……くいなは師匠の娘だったんだけどよ、師匠は最初そういう病人が食うようなものをくいなに出してたんだと」
 コックは真面目な様子で黙って聞いている。
「でもあまりにも食わねぇから、師匠はくいなに聞いてみたんだと。何か食べたいものはないか? って。そしたらプリンって言ったらしい」
「プリン……」
「まァ、くいながプリンを選んだ理由は知らねぇけど、当時はそこらへんで売ってるモンでもなかったからよ、師匠が見よう見まねで作って」
「……」 
「砂糖と塩を間違えたのか、茶碗蒸しが出来上がったらしい」
 ——くいなが食べたいというから作ってみたのだけれど、どこでどう間違ったものか、違うものができてしまったようでね、ゾロ。『わたしが食べたかったのはプリンなのに。こんな茶わん蒸しじゃないのに』って後でとっても怒られてしまったよ。と、浮世離れした感のある師匠は、困ったような顔で笑っていた。

「結局、くいなが何を食べたかは知らねェから、参考になるか知らねェよ」
「…………参考になった」
「ほんとかよ」
 
 参考になったのかはわからない。でもコックの気が少しでも紛れたならいい。そのくらいの軽い考えだったのだが、おれの話を聞いてコックは何かを思いついたように立ち上がり、上着を脱ぐとシャツの袖をまくり上げコンロに向かった。まさかと思うが今から何か作る気か? 内心あっけにとられるおれに背を向けた姿勢で、コックが独り言のように話しだした。

「……バラティエは、おまえも見た通りあんなところだっただろ? 体力自慢みたいな野郎ばっかりだから病気するヤツなんていねェ。病気の方が逃げてっちまう。でもごくたまに、風邪ひくヤツがいてさ。そうなったら即隔離。客商売だしな。で、数日間寝てると治るってワケだ。何日か休ませても起き上がれそうもないときは、医者に診てもらうこともあったけどな。病人がいますとは大っぴらに言えねぇから、ジジイが常連客の医者にこっそり頼むんだよ。まァ、そんなこと滅多になかったけど」
 
 おれに見えるのはコックの後ろ姿だけ。何をしているのかは分からないが、見えない手元のあたりからカシャカシャと調理器具の触れ合う音が聞こえてくる。シャツ越しにうっすら浮かぶコックの肩甲骨が、音がするたび動くのをなんとなく眺める。
「病気になったヤツの食事はチキンスープかチキンヌードルスープ。あとはトーストとかシチューとか。場合によっちゃ肉も出す。体力消耗してるだろうから、病気に負けねぇように、とにかく栄養のあるもの出すワケだ。食って早く治せってことだな」
 
 いつにもましてよく喋る。おれの相槌を必要としない話は先が見えない。不安を紛らわせたくて誰かに聞いてもらいたいのかもしれない。
「……さすがにナミさんの病状で、肉出すようなマネはしねぇよ。胃に負担かけるような食事はよくないってことくらい分かるし。でもなァ、身体が資本じゃねェか。ただでさえか弱きレディだから体力落ちないように、少しでも栄養のあるものをとってもらいたいのに、なかなかナミさんが食べられるようなものが思いつかなくて。熱で辛そうだから、のど越しのよさそうなものとか口当たりのよさそうなものとか、いろいろ作っちゃいるんだけど、全然口にしてくれなくてさ……」
 コイツにとって、作った料理が手付かずで返されるなんて事態は滅多にないんだろう。
「何か食べたいものない? って聞いても、『ありがと、サンジくん、でも今いいわ』って言われちまう。遠慮してるんじゃなくて、本当に要らないんだと思うんだけどさ。……それが、おれは怖い」
 怖い? 怖いってなんだ? 何を恐れることがある。よくわからない。
「要らねえって言ってるなら、要るって言うまで待つしかねェだろ」
「ハハ、確かに。——マリモらしい考え方だよな」
 一瞬、コックの手が止まる。
「おまえがどう思っているのか知らねぇけど」
 コックがゆっくりと振り返った。
「おれはさ、『腹が減った』『食いたい』って、『生きたい』ってことと同じだと思うんだ。生きてるから腹は減るし、生き延びたいから飯を食う」
 コックがおれを正面から見た。
「なァ、ゾロ」
 珍しく名前を呼ばれた。
「てめェが、死にそうな怪我を負ったときも、くだらねェ理由で足を切り落とそうとしたときも、アホだとは思ったが心配なんざしなかった。てめェはメシを食ったから。……命を無駄に捨てようとしたくせに、メシはちゃんと食ったから、死にてェわけじゃないんだなって思ったよ。だから、おれは食わせるだけでよかった。でも」
 視線が足元に落ちる。
「腹が満ちているせいで『今はいらない』っていうならいい。でも、腹は減ってるはずなのに、『食べたくない』って言われるのは……」
 
——そうか。こいつにとって、食えないことは生きることから外れていくように見えるのか。食うべき食事を拒むことは生きることを放棄するように思えるんだろう。道理で食わせたがりなはずだ。敵だろうが誰だろうが腹がへったヤツに食わせるのは、生きたいと欲するものに手を差し伸べる、ただそれだけのことだと思っている。食わせて、生きろと言っている。そりゃあ仲間が食わないことが怖くもなるだろうし、ナミの様子に他の誰よりも参っちまうのも頷ける。コイツらしい考え方といえばコイツらしい。
 一方で、そこまで他人のことをしょいこむ必要もないはずだと思う。そんな風に他人の命についてまで責任を感じてしまっては、自分の身を削るばかりだろうし、おまえが身を削ることに心を痛める人間だっていることまで考えろ、とも思う。コックは他人の気持ちを考えすぎるほど考えるくせに、自分のことを心配する人間のことをまるで考えないようだ。
 
 コックが火を使ったせいかラウンジが少し温まる。
 
「さて。も一度、様子見がてら行ってくる」
 暫くしてからそう宣言したコックは、出来上がった品を盆に乗せ、なぜだかおれに近寄った。

——行くならドアはあっちだろ? と訝るおれの目の前に小さな器が二つ置かれる。
「ヒントくれた礼ってほどでもねェけど。食えよ。今日の夜食」
「あ?」
 おれの目にはどっちもおんなじように見えるが、こりゃ片方はプリン、片方は茶碗蒸し——しかも具無しの……じゃねェのか。
「剣豪はプリン好きって聞いたからさ」
 煙草をはりつけた口元をにやにやさせながら言うコック。
「一言も言ってねェよ」
 絶対プリンでからかってくると思ったら案の定かよ。
「……プリンは盲点だったし、茶碗蒸しも悪くないかなって思ったから、おまえの話聞いてよかったよ」
「そうか」
「おまえの師匠もさ、食べてもらいたくて一生懸命作ったんだろうな、きっと」
 子供のときは師匠が失敗した話としか認識していなかったが、コックに言われると、師匠が娘のためを思っての行動だと今は分かる。慣れない料理をするだけでなく、作ったこともないプリンをこしらえるなんて、大変なことのはずなのに、そうしないではいられなかったんだろう。 

「口にしもらえるか分からないし、おれの自己満足かもしれねぇけど。せずにはいられないんだ」 
 目の前のこの食べ物には、誰かのために何かしてやりたいと思う気持ちがこもっている。あのときの師匠と同じように。

「おい」
 ナミのところへ行こうとするコックに声をかける。
「大丈夫だ」
 何が大丈夫なのかうまく説明できないが、言わずにはいられなかった。そんなに心配すんな。自分以外のことまでしょい込むんじゃねェ。ナミは大丈夫だ。今までお前のメシを食ってたんだから。
 ちらりとこちらに目をやったコックは、分かってるとでも言うようにひらりと片手を上げて出て行った。

 夜食はどちらも優しい味がした。

 

 

 

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