トナカイが仲間になった。医者だ。
この世の中、マユゲがコックを務めるくらいだから、トナカイの医者もアリだな。そう言ったら、マリモが剣士なんだから、トナカイが医者でもイイじゃねーかとコックに言われた。それにアレは非常食だぜ。食えねェマリモより、食える分だけトナカイの方が役に立つし、とニヤニヤと笑う。
コイツはほんとうにアホだ。少し前にビビが船に乗り込んだとき、ビビちゃんビビちゃんと甲斐甲斐しく世話をやいて回ったのは、単なる女好きゆえと思っていたのだが、それは思い違いだった。新しく仲間に入ったトナカイを非常食非常食と呼んでからかっている風で、その実、ちょっとばかり臆病な船医を何くれとなく面倒をみている。その姿を見るに、コイツのお節介体質は男でも女でも関係なく発揮されるんだと知れる。望んで一味の仲間に入った––ってことは海賊になったということで、てめェの身はてめェで守る覚悟ぐらい各々持ってるだろうに、そんな甘やかしてどうすんだ、甘すぎるんじゃねェかと思うが、コックはいつだって他人のことばかり気にしている。そして自分のことは省みない。アホ過ぎる。
夕食後の鍛錬のあと、甲板でひと眠りし、目覚めたら深夜と思しき時間帯だった。今日の不寝番は誰だったかと思って見張り 台を見上げると船長の伸びきった足がぶらんと垂れさがっているのが目に入った。アレは間違いなく寝ている。見張りの意味がねェじゃねえかと思いながらも放っておいた。どうせおれはこれから暫くの間は起きているわけだし。そのためにはまずは酒、ってんでラウンジの扉を開けたらコックが何やら作業をしていた。
コックはたいていラウンジにいる。料理をしているか、皿を洗っているか、書き物をしているか、まあそんな感じだ。今日はテーブルに野菜を並べ、椅子に座って何やらしている。事情は分からねェが、コックとはすべき会話も特にねェし、邪魔する気もねえから、黙ったままラックから酒を抜き出しそのまま外へ出ようとしたところで呼び止められた。
「待て。ここで飲んできゃいいじゃねェか」
「あァ?」
「これ、じきに終わるからちょっと待て。そしたらツマミ出してやるから」
——摘まみ出してやる?
この場所はコックだけの場所じゃねぇぞ。おれをここから摘まみ出すとか、喧嘩売ってンのかと一瞬身構えたが、声のトーンは喧嘩を売る口調とはまるで違っていた。
——まさか、ツマミってツマミか? 酒の肴ってことか? と思い当たり、おれは内心驚いた。なにかウラがあるんじゃねェかと胡散臭く思う。覚えている限り、ヤツからそんなことを言われたことはないしされたこともない。正確なことを言えば、夜食を出されたことはある。それから、一人で飲んでいるときに、ちょっとした小鉢をもらったこともある。ただしそれらはちょっと残った分とか、不寝番への夜食がてらとか、たまたま何かのついであって、こういう正式(正式なのか?)に正面切ってツマミを提供すると言われたのは初めてだった。珍しい。
おれは基本、ツマミはなくても構わない。せっかく酒を飲んでいるのにツマミで腹が膨れちまって飲めなくなるほうがもったいないと思っちまう方だからだ。しかし、コックの常にない言いぐさに、どんな風の吹き回しだと思いながらも、まァいいかと留まることにした。気にくわなかったら外へ行けばいいだけのことだ。外で飲むのも一人で飲むのもいつでもできる。
待てと言われたが、飲むなとは言われていない。飲みながら待つつもりで作業するコックの斜め前あたりに腰掛けた。直飲み禁止とばかりにコックがすかさずグラスを出す。わざわざ瓶からグラスへ酒を注いで飲むなんて、お上品すぎる振る舞いはおれの意に反しちゃいるが仕方ない。かつてこの件についてはコックと何度かやりあった。酒の飲み方くらい指図すんな、好きにさせろと主張するおれに、コックは「どこで何しようが構わねェが、せめてここでは人間らしく飲め」と言いやがった。洗い物が減るんだからラッパ飲みでもいいじゃねぇかと思うのに、何のこだわりなのかよく分からない。が、ここで飲むときだけなら譲ってやってもいいかとグラスを使うようになった。躾けられているような気がしなくもないが、郷に入っては郷に従え、食卓においてはコックに従え、だ。
呼び止めたくせにコックはおれにそれ以上話しかけようとはせず、作業の続きに戻っちまったから、おれは自然にコックがやっているのを眺めることになった。いつもは食事するおれ達をコックが眺めている形だが、今日は逆だななんてことを思う。コックは葉っぱの野菜に何やら施し、新聞紙にくるんだりしているが何をしているのかサッパリわからない。
「なにやってんだ」
「……野菜を長持ちさせるためにちょっとな」
そう言ってコックは顔をあげた。目が、合う。たいして明るくないラウンジの灯りの下でもはっきりと青い瞳がひどく穏やかだった。海みてェだなと思う。いつものふざけてキレ散らかしている姿からは想像できないほどの、静かな海。吸い込まれそうだ。わけもなく、やべェと思う。
「航海してりゃ、次にいつ新鮮な食材を手に入れることができるかわからないだろ。できるだけ新鮮な状態を保つために、葉物は切り口の部分にちょっとした処置をしとくんだ。で、新聞紙に包んで冷蔵庫に入れてやる、と」
「……へェ」
ほかに相槌のしようもないので、とりあえずへェと言っておく。食べ物のことには興味はないが、コックの口調や話しっぷりは悪くない。こうやってコックが話しているのを聞きながら飲むのもいいもんだな、と思っちまう程度には。
「バラティエでは切り口に灰をまぶして野菜から水分が蒸発するのを防いでいたんだけどよ。ここじゃ小麦粉で代用だ」
「でもうちの船じゃ、そんな手間かけて長持ちさせる間もなく消費されちまうんじゃねェか?」
「間違いねェ。船長がアレだからな」
コックが笑った。
「そうは言っても、こういった手間で保存状態の良し悪しがだいぶ違ってくるし、新鮮な方が美味いし。備えあれば、ってやつだな」
言いながら早く手元の野菜を片付けていく。体つきの割には指の長い大きな手が迷いなく決められた手順を辿るさまは、武道の型のようで見ていて飽きなかった。興味深い。
「よし、終了」
おれには意味のわからない、あれやこれやのほかの作業も終えたあとコックが宣言する。それから予め用意してあったと思しき皿を冷蔵庫から取り出し、自分の分のグラスを持っておれの目の前に座った。なんだ、コイツ、一緒に飲むつもりか。いいけどよ。
「これが約束のツマミな」
薄いオレンジ色をした魚の切り身に白い色の何かが添えられている。当然のように飾りの葉っぱもあしらわれ、ちゃんとした店の売り物の一品のようだ。相変わらず洒落ているというか気取っているというか。
「スモークサーモンとクリームチーズ」
口上を述べるようにコックが言った。
「……」
「スモークサーモンってのは燻製の鮭だ」
「それくらい知っている」
おれの沈黙をどうとったのかコックが解説を試みたが、さすがにおれもそのくらいは知っている。コックのこういう凝った……いや今回のはだいぶシンプルな方だと思うが、凝った料理にはだいぶ慣れてきたが、おれ相手に出すものにわざわざこんなに手をかけずともよくねェか? 腹に入っちまえば同じなのに。コックのこういうところは未だによく分からない。
ツマミなど、もっと簡単に炙ったイカくらいで十分だったのだが、スモークサーモンとクリームチーズか。
出されたものがちょっとばかりおれの好みとはズレちゃいたが、まあいい。コックはアホだが、出される食い物は口に合う。どうせ美味い。勧められるままおとなしく口にして、畜生、やっぱりいい味じゃねェか、とか思っていたのだが、なぜかコックには不満だったらしい。
「なんか、物足りなそうな顔してんな」
——どんな顔だよ。自分で言うのもアレだが、顔に感情が表れるような方ではないつもりだが。
「怒らねェから、思うところを言ってみろ」
「特にねェよ」
「嘘つけ。おれにはわかるぞ」
「わかるわけねェだろ」
「頬袋みたらわかる」
ほおぶくろ? 何言ってんだ、コイツ。少ししか飲んでないと思ったのに、もう酔っぱらってんのか? 妙に絡んできやがる。確かに少々呂律が怪しい。さきほどの穏やかなコックの様子とはうってかわって、こいうコックはめんどくさい。ま、この方がいつものコックらしくて安心するが。
「……おれの好みで言えば、塩気がほしい。あともっと単純なツマミでいい」
コックが差配する料理について基本的におれは口を出さないようにしているが、この様子だと、どうせ「不満はない」と言ったところで引き下がらず、しつこく絡んでくるに違いない。だったら少しくらい何か言っておくほうが得策だろうと、おれにしては珍しく感想を述べたら、コックが少しばかり考える風になった。
「じゃ、こいつはどうだ?」
新たな皿が出てくる。
「クリームチーズに塩昆布」
いや、だからクリームチーズから離れろ! ってか、その組み合わせは何なんだ。塩昆布はそのまんましゃぶるといい酒のアテになるんだから単品で出せ!
「おまえさ、なんでこんな取り合わせにしてんだろ、って思ってるだろ」
恨めし気な気分でコックを見やったら、図星を刺される。
「とりあえず試してみろって。試さないことには良さがわからねェだろ? 知らないものは怖くて手をだせないとかじゃねェだろ? マリモちゃん」
コックの言いぐさは憎たらしいし、経験上、コックが出すあれやこれやの組み合わせがどんなに奇天烈だろうが味に問題がないだろうとは分かってきている。
半分諦めたような気持で、クリームチーズと塩昆布の組み合わせを口に入れたら、まろやかな口当たりと旨味のある塩昆布の混然一体となった味があとをひく感じで、思いのほか酒にも合う。そんなおれの姿をみてコックが言う。
「食わず嫌いを全否定する気はねェよ。人間、どうしても受け入れられねェものもあるだろうし。でもよ、どうしても物理的に無理ってもの以外は、まず試してみろって。そしたら意外とオーケーになったりするから。でもって一度知ると慣れて大丈夫になって案外好きになったりするもんだぞ」
コックが言うのを聞いて、そうだろうかと疑問に思う。
知っても益々分からないこともある。例えば目の前のコック。最悪な第一印象から、今は少しずつ知っていく最中だ。基本的に気に食わないし腹が立つようなことも多いけれど、感心することもある。だからといって、オーケーになったりはしない。同じ船で日々過ごしているのに、コックに関しては慣れもしないし知れば知るほどわからない。
「知れば知るほど、わからなくなる場合はどうなんだ」
「もっと慣れて知るしかねェんじゃねえの? わかるまで?」
疑問に思ってコックに聞くと不思議そうに言い返された。
なるほど。慣れて知るしかねえのか。もっと。