よくあることだが、少しばかり寝すぎて昼飯を食いはぐれ、次のメシまでのつなぎに酒でもと思い、この時間帯なら誰もいないとふんでラウンジへ行ったのに、なぜだかコックがそこにいた。
すこし前までは、こんな場合「ランチタイムは終了です、クソお客様」とかなんとか、くわえ煙草でイヤミったらしく言われるもンだと思っていた。
船に秩序を持ち込んだ男だ。食事の時間を守れとか一緒に食えとか料理が冷めるとか、そんなことを口うるさく言い立てるヤツなんだろうと認識していたからだ。
けれども、それは考え違いだったと最近気づいた。
おれにしてみれば、のんびりメシを食ってる間に何が起こるか分からねェと思うから、毎回みんなで一緒に食事をすることに重きを置かない。状況が許せば一緒に食うが、ただでさえ少ない人数の一味、有事に備えて誰かしら残っている方がいいに決まっている。おそらく船長は分かっていて、おれの行動をとやかく言わない。そして、多分コックもそれを分かっている。というのも、コックは「メシを食え」とか「遅ェ」とは言うが、「遅れるな」とは言わないからだ。口に出して説明したことはねェし、コックにも確認したことはねェが、間違いないと思う。
「何してんだ」
コックがいないと思って足を向けたラウンジで、当人に遭遇してしまったおれは、若干バツの悪い気持ちで声をかけた。
「ちょっとな」
珍しくコックの口調の歯切れが悪い。テーブルの上には何かの瓶詰をはじめ大小さまざまな容器がいくつも並べられていた。なんだか仕事をしていたようだが、コックは作業の手を止めて、いつもの食わせたがり精神を発揮し、何か食うか、と聞いてきた。
「いや、いらねェ」
腹は減っちゃいるが、おれにとって空腹はすぐに解消させなければならない問題ではなし、コックの手を煩わせるほどでもなし、次に二食分食えばよし、と結構本気で答えたのだが、
「変な遠慮すんな」
というコックの言葉を聞き、その瞬間ようやく思い出した。
そうだった。ルフィを筆頭とした年少組がノリで食料庫荒らしをしたせいで、食材が心許ないはずだった。こいつが今朝、鍵付き冷蔵庫の導入をナミに大げさに訴えていたのを見ていたのに、今の今まですっかり忘れてた。
「遠慮してるわけじゃねェ。が、あー……、災難だったな」
「何が?」
「あいつら、食料荒らししたって」
「……何日かしたら陸に着くって分かってるんだから、てめェが心配するようなこたァねェよ」
コックは何でもないというように答えた。深刻さはうかがえない。と言っても、今までの航海で、こいつのポーカーフェイスっぷりには何度か騙されているから、言っていることが本当かどうかは怪しい。コイツが俺を欺きたいというのであれば、黙って乗ってやるしかない。俺に対して、真実を開示して共有するつもりがないのなら、勘繰ったところでどうにもならないからだ。
「あいつら、すぐ食べれる食材しかとってねぇし。配分は考え直さなきゃならねェが、なんとかなるだろ」
おれには分からないが、そんなもんなんだろう。口は出さない。
「ハムやソーセージなんてのはほぼ全滅だけど、野菜だとか小麦粉だとか、調理しなきゃならねェものには手ェ出してねえし、保存食は別の場所に保管していたから難を免れてるし」
野菜が無事だと聞いて安心するような心持ちだった。先日コックが夜中に大事そうに野菜をくるんでいるのを見たせいかもしれない。変な話だが、消費されるものだとしても、コックの手にかかってなくなる方が食材も浮かばれるんじゃねェかっていう気がしたからだ。
「ま、保存食にだって賞味期限ってものがあるから、定期的に消費して新しいものと入れ替えていかないと意味ないしな。とっておいてダメにするのなんてあっちゃならねェからな」
テーブルの上にあるこの瓶詰類は、その保存食とやらかと思いあたった。在庫のチェックでもしていたのだとしたら間の悪いときに来ちまったな、と思う。そういう作業をおれには見られたくないだろう。
「ダメになるよりは腹の足しになったほうがマシってもんだ」
おれに向かってそんなことを言うのを聞いて、やっぱりコイツ、ちょっと凹んでやがんな、と思う。強がっている風に聞こえたからだ。指摘したら怒るだろうから言わねェが。
「そんなわけで、とりあえず野菜メインなメシだ。食え」
いらねェと言ったのに有無を言わさず料理が出された。この状況で食わなかったら逆ギレされそうだ。席につく。千切りされたキャベツにジャガイモと干した魚の切り身の煮込みのようものがのった平皿が提供される。
「シュークルート」
コックが何やら呪文のような言葉を口にする。聞き取れなくて聞き返したら「なんでもねぇよ。いいから食え」と肩をすくめた。なんでもないなら、わけのわからんことを言うンじゃねえと、ムッとしながらもふと気づく。多分料理の名前を言ったのだ。
耳にした馴染みのない音の連なりに、これは初めて食べる料理だと知る。いささか警戒しながら口に運ぶ。普通の煮込みかと思ったら、酸味があってうっすら甘みのあるような複雑な味わいの、複雑だが気取ってない素朴な感じの、美味いけれど、言い表しがたい味がする。知らないけれど、知ってるような。
「ちょっと漬け込みが浅かったけど、そんな悪くねェはずだが」
不思議な味がすんなと思って食っていたらコックがそんなことを言ってきた。意味が分からずに相手へ目線で問いかける。
「それのもとになったのは、コレな」
テーブルに並んでいる大き目の容器の一つを指し示す。
「これはシュークルートっつって、キャベツを塩で漬けて発酵させたものだ。煮込んだ料理も同じ名前。ソーセージなんかと一緒に煮込む方が一般的だが、魚もアリだな」
「……ってことはそりゃ、漬物か?」
「ツケモノ?」
コックが意外なところで引っかかった。考えるような顔つきになる。コイツ、漬物を知らねェんだろうか。
「漬物、知ってるか?」
まさかと思うが聞いてみる。
「当たり前だろ。おれを誰だと思ってやがんだ」
コックが偉そうに胸を張った。
「漬物くらい知ってるぞ。ツケモノっつったら定番はピクルスだろ? 冷蔵庫には常におれ特製の野菜のピクルスが入ってる。それからオイル漬け。この間みんなで大量に釣り上げた鰯は処理してオイルサーディンにしてあるし、前の島で仕入れたフルーツはシロップ漬けにしていつでもナミさんのためのデザートに使えるようにしてある」
「いや、ちょっと待て。そうじゃねェ。それとはまた別の、もっと塩気のある……」
コックの説明を聞きながら、おれの知っている漬物をどうやってコイツに伝えればいいんだろうかと内心頭を抱える気持ちになった。
「塩気……塩漬けってことか?」
「たぶん」
たしか塩を使って漬けていたはずだが、塩だけじゃない気もする。作り方なんぞ知らん。
「……ちょっと待ってろ」
そう言って、コックが件の容器から中身を少し取り出して小皿に乗せて、おれに差し出した。
「こんな風味か?」
しなしなになった野菜はかなり酸味がある。
「これ、酢漬けか?」
「いや、酢は入れてない」
「でも酸っぱいぞ」
「発酵しているからだろ。それがこれの旨味だし。これだって塩漬けだけど、おまえが言うのはコレじゃねェんだな?」
確認するように聞かれたので頷いておく。
「おまえ、その、塩気のあるツケモノが好きなのか?」
「まあな。白米にも合うからな」
特段、好き嫌いを意識したことはなかったが、塩気があるものは酒にも合うし、酒に合うものは好きだ……などという話は、おれとしちゃ世間話くらいのつもりだったが、「どんなツケモノが好きなんだ?」とコックの追及の手が緩まない。そんなこと、おれに聞くのは間違ってるだろうが。食べ物の名も種類も作り方も知らん。ツケモノはツケモノだし。野菜は野菜だ。
「あー……、ナミかウソップあたりに聞いたら分かンじゃねェか」
うまく説明できそうもないので、うまく説明してくれそうな人物を推挙したがコックは納得しなかった。
「おまえの言うツケモノが知りてェんだよ」
「おれの言ってるツケモノを知って、どうすんだ」
コックがしつこいので聞いてみたら、なぜだかうろたえ気味にキレられた。
「いいじゃねェか! おれはコックだからな。知らない料理や味付け、調理方法や食材に興味があんだよ!」
それだけでこんなにムキになるものだろうか?
「だいたいなァ、おまえに言われなくても、ナミさんや鼻にはとっくに色々聞いてる。ナミさんは料理できるから説明が的確だし、鼻は買い物の目端が利くから食材のことも結構知ってて参考になるし。それにあの二人は、また食べたいとか、今度これ作ってとかリクエストもしてくれるからいいんだよ」
コックがおれを睨む。
「でもてめェは」
そう言ってコックは口を噤んだ。続く言葉をコックは飲み込んで横を向いて煙草に火をつけた。ちょっとばかり熱くなった自分をクールダウンさせているようにも見えるし、言う必要のないことを言いかけた自分自身を戒めているようにも見える。
たしかにおれは美味いも不味いも言わないし、食いたいものも言わないから、コックにしてみれば不満で、だからおれが食べ物の話題を出したのを珍しく思ったのかもしれない。
おれの好物についてコックが興味を持ったかのように一瞬思ってしまったが、そんなことはあるわけない。コックの興味はあくまでも知らない調理法や食材であって、おれの好みではないのだ。
いや、しかし待てよ。ということは、もしもコックにとって未知の調理法や食材がおれの好物と合致すれば、だ。コックは自分の好奇心が満たされ、おれにとっては、好みのものが食えるという、持ちつ持たれつのいい関係になるってことじゃねェか?
コックに直接あれが食いたいなんてことは言えねェが、この方法であればシモツキの料理なんてのも、船でも食えるようになるかもしれない。おれの好みの範囲内で、かつ、できるだけコックが知らなさそうな調理法の食べ物を考える。さっきの話の流れからいって、ツケモノ系は該当しそうだ。
「村のジジイのところに、いぶり漬けってのがあったな」
「イブリヅケ」
「作り方までは聞くなよ。知らねえから。漬物の燻製っつーか、燻製の漬物つーか、そんなのだ」
「ほう」
「囲炉裏の上の梁から釣り下げられた食材が、こう、囲炉裏の煙と火で燻製になって」
「イロリ? 針?」
ツケモノもそうだったが、コックとはしばしばこんな風に話が通じない。最初の頃は、なんでそんなことも知らねェんだとイライラしたが、この男とおれが生きてきた環境が違いすぎただけだと今では分かる。いやもちろん、今でもイラっとすることはあるが、お互い様とは思う。おれにとっての当たり前は、こいつにとって当たり前でなく、こいつにとっての当たり前は、おれにとっての当たり前ではないのだ。説明するのは得意じゃねェし、面倒だが仕方ない。身振り手振りで説明する。知らないことを埋めない限り次へ進まない。
「で、それ好きなのか」
「わりとイケたな」
「よし」
目を輝かせているので、きっとこのイブリヅケはいつか食卓に出るんだろう。
コックが作る料理は、おれには未知のものが多いが、その逆もある。おれにとって身近でありふれた料理や食材をコックが知らないこともある。
驚かされるのは、そんな風に、初めて聞いたと言っていた食べたことのないはずの料理や調味料もいつの間にマスターし当たり前のように食卓に上るようになっていることだ。その料理に対する好奇心、柔軟性、そういったものについてはおれは純粋に、すげェなと思っている。本人には言わないが。
「燻製か。なるほど……保存性も高そうだし、なかなか考えられてるな」
コックが何やらひとりで納得している。作戦はうまくいったようだ。この酸っぱいキャベツの味が悪いとは言わないが、おれにとってのツケモノはやはり、しょっぱい味であってほしい。イブリヅケは何度か食ったが酒の肴にはいいものだ。
「燻って風味を増したうえに発酵させてんだな、きっと」
「燻るといいのか?」
「この間のスモークサーモン、うまかったろ?」
燻るなんてのは、てっきり保存性を高めるための手段かと思っていたが、それだけではないらしい。確かに言われてみればこの間出されたスモークサーモンはいい味だった。燻製にしたものは旨味が増す、か。
そこでふと思う。
煙草の煙にいつもいぶされているコックは、うまいんだろうか?