航海が進むにつれ、訪れる島が変わり、島の特産品が変わり、仕入れる食材が変わり、料理が変わっていく。
今日のメシはどこかで見たことのあるような、だが食べたことのない味だった。聞けばビビのところで調理方法を教わったものだが、なんだか材料が揃わなかっただかタイミングが悪かっただとかで、なかなか作る機会がなかったものが、前の島で材料を仕入れることができたとかで、ようやく今回作ったということらしい。
大きな鍋にたくさんの具と米を入れて炊き上げ、最終的に鍋を皿にひっくり返して盛り付けるという、普段は見目良く盛り付けることを厭わないコックにしちゃ豪快な仕上がりのメシだった。中に入っていた揚げナスがとろっとしていて、スパイスの効いたひき肉とうまみを吸ったコメがよく合って美味い。言われてみれば、こんな感じの香辛料が使われた料理をアラバスタでの宴会で食った気がする。
おれとしちゃメシに関して、なるほどこんなのも悪かねェなとしか思ってなかったのだが。
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久しぶりに風呂に入り、風呂上りには当然一杯というわけでラウンジへ足を踏み入れた。さほど遅い時間ではなかった(あんまり遅い時間に風呂に入ると音がうるさいと女どもに怒られる)から、まだみんな揃っていて和気あいあいと夜のお茶でも飲んでるかと思ったのに、何故かコックしかいなかった。
「珍しいな」
思わず声をかけた。ラウンジは食事をする場所であり、書き物をする場所であり、作戦会議をする場所であり、まァ要するにみんなが集う場所で、この船では一番居心地のいい場所だから、誰かしらいるからだ。この時間にコック一人というのは稀だ。
「そっちこそ珍しい」
上半身裸でタオルをひっかけ濡れた髪のままで、いかにも風呂上りというおれの姿を見てコックがからかうように言った。風呂嫌いと思われているようだが、入浴自体が嫌いとかではなく、手足の伸ばせないせまっ苦しい湯舟につかるのは好きではないのだ。そんなこと言っても仕方ないし今更なので放っておく。
「風呂上りなんだったら、酒飲む前にまずこっち飲め」
有無を言わせず水の入ったグラスを持たされる。体にいいとか悪いとか理由はあるんだろうが、ちょっと面白くない。面白くないが仕様がない。ここはコックが統べる場所、だからコイツには逆らえない。ぐいっと飲み干した水が体にしみわたる。ほんのり甘くまろやかな水だった。
「……そういや、悪かったな」
「何が?」
前振りもないコックの突然の謝罪に面食らう。酒の代わりに水を差しだしたことを謝っているんだろうか。いや、まさか。
「晩飯。米のメシ出してやれなくて」
「いや、コメだったろ?」
コメのメシってなんだ? 全く意味が分からない。
「そうだけどよ。てめぇ、白米好きじゃねェか」
「……まァそうだな」
「この間、島で米が買えるって話をしたとき、嬉しそうにしてたろ。白飯食えるって」
そうか? そうかもしれないが、だから何だってんだ。
「なんか手違いがあって……」
コックの話によれば、前の島で食料の買い出しの際、市場で米を見つけ何袋か購入したと。船まで配達してくれる親切な(暴力コックが足で言うことをきかせると、たいてい親切になる)店だったという。いつもなら届けられた品数と品質を確認して受け取るのだが、船長がちょっとした騒ぎを起こしたせいで出航を急ぐこと余儀なくされ、確認する暇もなく届いた品を積むだけ積んで海に出た。で、落ち着いてから確認してみたところ、案の定というか、そういう時に限ってというか、注文したものと中身が違っていたらしい。よくある話だ。
「コメはコメなんだけど、おまえが思ってる米とは種類が全然違っててさ」
あー、晩飯に出たアレか。言われてみれば、ずいぶん細長いコメだった。おれが知っている米はもう少し丸っこい感じだ。
「だからさ、楽しみにしてただろうに、期待通りじゃなくて悪かったな、って……」
「いや、気にすんな。食えりゃいいし」
正直言って、コックがそんなこと考えているなんて思ってもみなかったから意外に思う。気に病むようなことじゃねェよと気軽な感じで答えたのだが、何かがコックの感情を逆なでしたらしい。
「食えりゃいい程度のメシは出してねェつもりだが」
「そういうんじゃねェよ。この船のコックはオマエだろ? おまえが好きにすりゃいいじゃねェか。おれの期待とかそんなん、気にすんなって意味だ」
「食いモンのことで不満を感じさせたくねェ」
「不満なんて感じたことねェよ。そもそも航海してんだから少しくらいの不満だろうが不都合だろうが不足だろうが、そんなの当たり前だろうが」
「おまえが食のことで満足してなけりゃそれはおれの問題だ。おれはこの船のコックだ。おれが解決すべき問題を気にするなと言われて、ハイそうですかってわけにゃいかねェんだよ」
コックが己に課している責任感、コックという役割に対する矜持はよく分かった。だが、何でもかんでも自分のせいにし過ぎてんじゃねえのかとも思う。コックが仲間の希望や要望なんてのを最大限汲みたいと思ってるのは百も承知だが、それらを全部コックが叶える必要もねェ。仲間達だって本当に欲しいものは自分でつかみ取るくらいの気概も能力もある。やらないのはコックが甘やかしているからだし、あいつらがコックに甘えているからだ。
だが、なんて言うのが適当なのか頭のなかで考えているうちにコックが放った次の言葉に飛び上がった。
「てめェはおれを嫌いかもしれねェけどよ」
コックの言葉が胸に刺さる。いや、なんで嫌いって思うんだ? べつに嫌ってねェ。嫌っちゃいねェぞ。嫌ってるわけねェだろ。コックの間違いを正そうと口を開く間もなく、ヤツが続ける。
「おれは、おまえを大事な仲間の一人と思ってるんだ。メシのことでの問題なら、我慢させたくねェ」
ちょっと待て! ちょっと待てよ。
一体どこから答えりゃいいんだ。コックと違い、よどみなくすらすらと言葉がでてくるようにはできちゃいねェから、頭の中が大忙しだ。
仲間。我慢。大事。コックの言った言葉が頭の中をぐるぐる回る。大事な仲間。その言葉は嬉しいような嬉しくないような気がする。大事な仲間、いいじゃねえか。仲間思いのコックがおれのことを大事だと思ってくれてる。そうか、よかった。安心した。嬉しい。いい言葉じゃねェか、大事。が、考えてみたら仲間は五人いるわけで、ってことは五分の一で二十パーセント。できたら百パーセントがいいんだが。いやそうじゃねェ。
考えがまとまらないので、とりあえず答えやすそうなところから答える。
「我慢はべつにしてねェ」
「本当か?」
我慢はしてねェ。いや、正確にいえば我慢はしている。しかし我慢しているのは、コックに負担をかけたくないからだ。ただでさえ船で一番忙しくしているヤツに、ほかの仲間みたいにアレが欲しいとかこれが食いたいとかで手間をかけさせたりしたくねェ。メンドクサイと思われたくねェし。
「……」
おれの沈黙をどうとったのかコックが小さくため息をつく。
「してんじゃねえか、我慢」
「我慢してねェよ。もししてるとしたら、好きで我慢してんだからおまえに関係ねェ」
「もししてるとしたら?」
あー、もうめんどくせえ。おれだって、おまえは大事な仲間の一人だから、気ィ遣ってるんじゃねえか。
「何を我慢してんだよ?」
「一流コックなんだろ! いちいち人の顔色、窺うんじゃねえよ。堂々としてりゃいいじゃねえか!」
他人の気持ちに寄り添う優しさを持ち合わせ、料理人としての矜持と高い技術を持ち、されど傲慢にもならず、食材に対しては真摯で、コックの料理を食う人間に対しては誠実なコックをおれはとても好ましいと思っている。おれの機嫌や意向なんてものを気にするような卑屈な真似をせず、クソ美味いだろといつでも自信たっぷりにふるまえってんだ。
「おれはコックだ。人に食わせるのが仕事だ。だから食うヤツの反応を気にして何が悪い」
「おれがおまえに、料理のことで文句言ったことねえだろ?」
「おまえから文句を言われたことはねェよ。文句どころかなんにも言わねえじゃねェか。でもよ、何か言いたそうってのは分かンだよ、こっちは。何、黙って我慢してやがんだ! 言えばいいじゃねえか!」
「てめェ、……」
「てめェになんか我慢されちゃ、困んだよ。言いたいこと言え」
コックがヒートアップしていく。謂れのないことをまくしたてられたおれだって面白くないから、脅しめいた言葉が口から出る。
「その言葉、後悔すんなよ」
「するかよ、クソが」
そうか。後悔しねェんだな。積もり積もって山ほどある言いたいことを言っていいんだな。
「——メシがうまい」
思ったことを言ってみろ、と言われて出た言葉はそれだった。メシが美味い。今までずっと言えなかった。負けたような気がするし、メシのたびに言ってたらキリがねぇと思ってたし、言う必要ねえだろと思ってたし、おれが言ったところで喜ぶとも思えなかったし。でも。物言わぬは腹ふくるるわざなり。思っていることを言わずにいるのはおれの性にあわねェから一度ちゃんと言ってみたかった。
メシが美味い。
声に出して言ったら、すげえすっきりした。
その後は、何かつっかえていたものがスポーンとどっかへ行っちまったかのように、勝手に言葉が滑り出る。
「焼き魚にオリーブオイルも悪くねェ。でもたまには醤油だけをぶっかけて食いてえ。ハムチーズトーストに蜂蜜はありえねェ! でも美味かった。が、蜂蜜ナシのハムチーズトーストも食いてェ。メシは白米が好きだ。でも今日の鍋ごとひっくり返すナスが入ったわけのわからん米はそれはそれでウマかった。からすみに果物は許しがてェが、リンゴと梨なら許す。でも普通のも出せ。それから、他人のことばっか優先させてんじゃねェ。もっと自分を大事にしろ。一人で残りもんばっかり食うな。ちゃんと自分の分のメシを作れ。あと、てめェは怪我をすんな。心配でしょうがねェ」
「……」
とりあえず息継ぎのためにいったん止まる。まだまだ言い足りねえ。いくらでも言える。ひょいとコックを見ると、鳩が豆鉄砲くらったような、アヒルが雷にうたれたような顔だった。少しばかり言い過ぎたかもしれない。
「……」
「おい、大丈夫か」
「……」
「言えって言ったのはそっちだからな」
「……」
「後悔しないっつったのもそっちだからな」
「……悪ィ。ちょっと受け止めきれねえ」
コックは胸の辺りをおさえてよろめいた。おい、平気かよ? 病気なんじゃねえのか、チョッパーでも呼んだ方がいいんじゃねえか、と心配するおれをよそに、コックは魂の抜けたようなふらふらとした足取りで出て行ってしまった。
とりあえず、言いたいことを言えたってのだけはすっきりした。すっきりしたが、コックの姿を思い返すと胸のつかえはそのままだ。
酒をあおる。
ラックから適当に引き抜いた酒はおれにはだいぶ甘口の酒だった。コックの好みかもしれないし、料理用なのかもしれないし、魔女用なのかもしれない。何にせよおれには合わない酒だった。
「おまえはコッチ」「そら、これ飲め」そう言ってコックがおれに持ってくる酒はいつだっておれの好みだった。コックはおれに合うものをきちんと選んで用意していた。そんなことをする男だった。そんな風に気遣われていた。
ウソも隠し事も嫌いだ。ウソをつくのは性分じゃねえし、隠し事も得意じゃない。
もちろん、言わなきゃいい言葉もあるし言わなくていい思いもある。そんなことは分かっている。分かっているけど。
——修行が足りない。
ショックを受けた様子のコックを思い出して、心臓のあたりがぎゅうっとなる。めんどくせえとか、うぜえとか、思われたんじゃねえか。いや、そんなの今更だ。
甘ったるい酒はあっという間に空になる。もっと飲みたいが、おれ好みの酒がどこにあるのか分からない。
そうだ。さっき、あんなに言いたいことを言ったわりには、肝心なことを言ってねえ。
おまえに惚れてる