パスタは辛口

昼前に到着した島での船の留守番は、おれとコックの二人だった。
計算なのか偶然なのかは分からない。正直な話、おれは寝ていたせいで到着に気づいておらず取り残されただけで、コックがどうして残ることになったのかは知らないからだ。上陸したいというほかの仲間の意向を汲んでやったためかもしれないし、そうでないかもしれない。どのみち、かねてコックと交わしたちょっとした約束を果たす……というか、果たしてもらうのにはうってつけな状況ではある。
おい、とコックに声をかけたら、わかってるという風に手をひらひらふってみせたから、本日の昼飯は間違いなく、おれがコックにリクエストしたメシが出る。

どうしてメシをリクエストすることになったのか、何をリクエストしたのか、についての話は少し前にさかのぼる。

++

空島でのことだ。
何もかもが終わった後の宴は、一日では終わらず飽くことなく続いた。今まで抑圧されていた反動で、感情を爆発させた住民たちは浮かれて騒ぎまくっていた。
もてなされる側のおれたちも、ただひたすら飲んで食って一緒にはしゃぎ回っていた。喜びに沸き立つ空島の住民たちに紛れてしまった仲間たちはどこにいるかも定かでもないが、敵襲があるわけでもないし、放っておく。危険があるとすれば酔っぱらってすっころんだとかそんな程度だから気を張ることもない。好きなように飲んで、好きなように寝れるよう、賑やかな輪から少し外れた静かなところで一人酒を飲む。空の上のせいなのかふわりとするような軽い口当たりが悪くない。

宴の輪の中心であるキャンプファイアの炎の明かりがかろうじて届く程度の距離のところで、いつ果てるともしれない賑やかに続く宴を遠目に眺めていると、コックがふらふらとした足取りでこちらにやってきて隣に腰を下ろした。こいつは確かさっきまで、横幅も体重もこの男の何倍もありそうなどこかの中年女と抱き合って踊りまわっていたはずだ。

おれは黙って酒を口にした。べつに何か話すことなどない。
コックはまた仲間をかばって傷ついていた。シャツの下に見える包帯がその証拠だ。怪我をするなとは言わない。戦えば何かしら傷つくだろうし、戦闘が激しければ無傷というわけにもいかないからだ。だが。こいつは一体何回、誰かのために傷ついているんだろうか。腹立たしいような気持ちになる。何の権利もないのにいい加減にしろ、と言いたい。

「空島の料理って、興味深いな」
コックが口を開いた。そうか。料理か。相変わらず料理にしか興味のない男だな。
「よかったな」
それ以外に何をおれに言えと?
「おまえ、ここの料理で何が一番気に入った? 何が美味かった?」
「酒」
「それは飲み物だろうが。食い物で答えろよ」
「いや特には」
――焼石シチュー、海賊弁当、サンマのフルコース、スモークサーモン、茶わん蒸し、……うまかったもの、好きなものを聞かれても思い出せるのは全部コイツが作った料理ばかりだ。そんなことを素直に答えられるはずもない。こいつだって、おれがいきなり素直に言った日にゃ、熱でもあんのかてめェ、と茶化すだろうし、言わない方がいい。

返事が気に食わなかったのかコックの煙草をくわえた口元が不満そうにちょっとだけ突き出る。アヒルっぽい。あれを指でつまんでみたら、ふにっとして、グヮとか言って面白そうーーいやいや、何を考えてんだ、おれ。そうじゃねェ。アホな妄想を振り払う。

コックはしばしば食い物に関する質問をしてくる。仲間のうちでも、料理への興味が一番ないおれに対しても聞いてくるのは、空腹の前には敵味方の分け隔てをしないコックの性質によるものだろうと思っていたし、気に食わない相手であるはずのおれにも等しく問いかけてくるのは、強い職業意識のなせる業だと思っていた。
けれど、最近、ほんとうにそうなんだろうか、それだけだろうかと思うことがある。
コックは「おれはコックだから知りてェんだよ」と言うが、「コックだから」という言葉をわざわざつけなくてもいいんじゃねェかと思ったりする。ほかの仲間に対するのと同じように、普通に尋ねればいいんじゃねえのか? 「コックだから」という言葉を挟まないと、おれと会話ができないように思っているのはどうしてだろうか。このあたりのコックの心理はよく分からない。
よく分からないが、おれは知りたければ聞く。コックのようにまだるっこしいことはしない。コックに逆質問だ。てめェのことを喋れ。

「おまえはどうなんだ」
「おれ?」
自分が質問されるとは思っていなかったんだろう。コックがびっくりしたように目を瞠る。コックは口数も多いしよどみなくぺらぺら喋るが、自分自身については語らない。食い物のことでおれにあれこれ聞くときも、話している量はコックの方が多いのに、コックについては何もわからない。おれだけがコックに知られるなんて一方的なのはだからじゃねえか。よくおれにする質問をコックに投げかける。
「おまえは、何が好きなんだ。ガキの頃、どんな料理食って育ったんだ」
一瞬、コックが沈黙した。
その沈黙がひっかかった。答えに逡巡する、あるいは答えに窮するゆえの間というよりは、何か別の理由があると思わせる間だった。聞かれたくないことだったのか、言いたくないことだったのか。が、次の瞬間にはへらりとした調子で喋りだした。
「ジジイが作るものはなんでも美味かったけどよ」
ジジイ……あのレストランのオーナーか。そりゃ、料理長なんだからなんでも美味いだろう。そういえば、こいつはいつからあのレストランにいたんだろうか。そんなことも知らねェな。
「コンソメスープは絶品だったな」
煙草に火をつけたコックが、懐かしむような眼でふーっと煙を吐き出した。
「コンソメって『完璧な』って意味なんだけどよ、ジジイのスープは色といい香りといい味といい完璧だった」
「おまえも見ただろ、ジジイのこと? あんな見た目なんだけど作る料理は繊細で、でも気取ってなくてさ、美味いんだよ」
こんな見た目なんだけど作る料理は繊細で、気取ってなくて、うまいとか、そっくりそのままおまえのことじゃねェか。コイツは余程あのオーナーを尊敬してるらしい。気付かなかった。
「賄いもうまかったけど、幻の料理があってさ」
あのレストランでの話を嬉しそうに喋るコイツを見ているのは楽しい。
「それが、ジジイが好きな料理の激辛チキンウィング。コックどもの中でも食えないヤツが何人もいるくらい辛くてさ。それで、滅多に作られないから幻の料理なんだけど。おれには『タバコなんざ舌が狂うぜ』って言うくせに、自分だって舌がバカになりそうなくらいの激辛料理を好んで食ってんだぜ、ジジイのヤツ」
コイツ、どんだけジジイの話をすんだ。それも女の話をするよりよほど嬉しそうに生き生きと。
「しかも『ガキには無理だ』とか言って、食べさせてくんねェの。で、『おまえはこっちだ』っておれだけピリ辛チキンウィング出されてさ。子ども扱いすんなって喧嘩したなあ」
まだ小さなガキだったコイツがあのレストランで働いてるのを想像してみる。生意気でこましゃくれたガキだったに違いない。でもきっと可愛いがられていたんだろう。
「その後、ちょっとずつ、辛いのが食えるようになって。その影響かもしれねェな。割と辛い味付けは好きだな」
ようやく、コイツの好みの味の話が出てきたが、辛味が好きだというのは意外だった。時折、ピリッとする味付けの品があったりするが、辛い料理は食卓にはあまり上らない気がする。自分の好きな料理は出さないんだろうか。
「で、おまえの好きな料理は辛いのか?」
「辛口海鮮パスタだから、まァ、辛いな」
「今まで出したことあったか?」
「ペスカトーレは何度か出しただろ。魚介類いっぱいのパスタ」
たいして辛くはなかった気がする。
「辛かった気がしねェが?」
「辛味はほかの味覚とはちょっと違うんだよ、個人差がデカいし。そのときの具材との相性や、天候とかみんなの調子とかみて加減するもんだし、うちには苦手なヤツもいるだろ?」
たしかにチョッパーは辛いのが苦手だった。鼻が利くから香辛料も控えめとかなんとか聞いた気がする。ということは、コイツ、自分好みの味付けの、自分のための料理は今まで作ってねェってことじゃないのか? おれたちの好みについていは散々聞いて回って食卓に出すくせに。
「……ってことは、その辛口海鮮パスタとやらを、おれたちに作ったことはねェってことだな」
「いや、だから、辛味のある海鮮パスタは出してるって」

喋っていて気付いた。コイツは、おれたちが好きな料理は出す。おれたちが知らない料理でも、コックが美味くて食べさせたいと思ったものは出す。おれたちが好きかどうかに関わらず、必要だと思ったものも出す。でも、コイツ自身が好きだと思っているものは出さない。それはずいぶんと一方的じゃねェのか。おれだって、コックがどんな味が好きなのかを、実際に知ってみたっていいんじゃねえか?

「今、食ってみてぇ料理を思いついたんだが」
「え、何?」
コックがすごい勢いでおれを振り返った。興味津々らしく目が輝いている。
「おれは、おまえが好きだっつってる辛口海鮮パスタとやらが食いてェ」
「は?」
本日二度目のコックのびっくり顔だ。目がまん丸くなり、眉の巻具合も二割増しでなんともいえぬアホ面だ。ほかんと開いた口元から煙草が落ちそうで落ちないのが不思議だが、コイツ、こういうアホ面の方が愛嬌があっていい。
「先に言っとく。いいか、てめェは、おれの味覚について知った気になっているかもしれねェが。間違ってもおれの辛さの好みに合わせて作ンじゃねェぞ」
「え?」
「てめェ好みの辛さで作った、てめェの好きな具の入った辛口海鮮パスタが食いてェ」
コックがなんだか目を白黒させている。
「正真正銘、手加減無しの辛口とやらを食わせてもらおうじゃねェか」
「待てよ。てめェの好みじゃねェだろうってのが分かってンのに出せねェよ……」
「俺の味覚を勝手に決めんな。好みじゃなくても食ったら好きになるかもしれねえだろ!」
コックがなんだか顔を赤らめた。なぜだ?
「なに意味のわかんねェこと急に言い出してんだよ……」
「コックであるてめェの好きなモンなんだから、さぞかし美味いんだろうなと興味がわいただけだ」
「いや、そんなこと言ってもよ……」
「やけに弱気じゃねェか。海の一流料理人なんだろ」
ダメ押しの一言。
「食わせろよ」
ついでに、口元でぷらぷら揺れていて気になって仕方ない煙草をひょいと抜き取ってやった。コックの顔が面白いようにぶわわーっと赤く染まった。
「分かった。うっせー!分かった、食わせてやる。すっげー美味いヤツ、食わせてやる」
なんでそこでキレてるのか分からねえが、コックの様子があまりにも可笑しくてこらえきれず声を出して笑ったら、コックが呆然とした様子でこちらを見た。
なぜかは全く分からねェが、すっげェ楽しい。コックとこんな風なやり取りをしているのも、コックと約束したのも、コックのアホ面も、何もかも全部。

そんな風にメシの約束をしたのだ。
で、冒頭に戻る。

++

珍しく幾分か緊張した面持ちのコックが、出来上がったばかりの品をおれの目の前に置く。貝や魚、エビイカタコなんかがたっぷり入った赤い色をした麺からは美味そうで辛そうな匂いが湯気と一緒に立ち上っている。
向かい側に座ったコックの目の前にも同じ皿が置かれている。俺の知る限り、コックはいつも給仕に忙しなく、一緒にメシを食うようなことはほとんどなかったから、これも非常に珍しい。

「これがそうか」
「これがそうだ」
いつもはさあ召し上がれ! とばかりに自信満々に料理を提供するコックが、なんだか自信なさげな様子でおれを見る。
いつもより丁寧にいただきますと手を合わせてから食べ始める。
「おまえにはちょっと辛すぎんだろ、こんなの」
コックがおれの様子を見ながら、なんだか言っている。
実際問題、辛い。今まで食ったコックの料理の中でもダントツに辛い。が、舌がしびれるような嫌な辛さではない。辛さの奥にすこしばかり苦みもあるのは、貝か魚のワタなんだろうか。コックが好きな料理なんだからもっと繊細でお上品な料理な味なのかと思っていたが、どうしてどうして。かなりパンチの効いた味付けで、想像していたのとはかなり違っていた。濃厚な魚介の風味と、それに負けない辛味。嵐の海のようだ。この味は確かに人を選ぶだろうが、おれは気に入った。辛味と苦味と旨みとが絶妙な加減で入り混じる複雑な味はクセになりそうだった。

「いや、問題ねェ。ってか、おまえ、一人でこんなん作って食ってんのか。ずりイじゃねえか」
「一人で作ったりなんてしてねェよ」
器用な手つきでフォークに麺を巻き付けながらボソボソとコックが言う。
「これ、ジジイの作る賄いメシのひとつなんだけどよ。バラティエにいたときは、おれもちょいちょい作ったりもしたけどさ……」
この船じゃ、賄いメシなんて作ンねェし、おれ一人のためにわざわざ作らねえし。だいたい、これはみんなには辛すぎだし、野蛮すぎるし、アク強すぎるし……とぶつぶつ呟く。
そうだった。コイツはそういうヤツだった。仲間の好物を喜んで出し、それぞれの好みにあわせて料理の味付けを微妙に変えたりするくせに、自分のためには何もしないのだ。
「わかったわかった。みんなにゃ出せねェんだったら、おれに出せ」
こんな美味いモノ、出さないなんてそりゃねえだろ。おれに出せ。でもって、たまには自分の好きなモノを食え。
「おれには出せ。おれは好きだ。一人で食ェねえってンならおれと一緒に食え」
コックの顔がさーっと青くなった後、かーっと赤くなった。大丈夫か、コイツ。

レストランのオーナーが辛いのが好きだという。きっと子供のコックは背伸びして辛いものを食べたいと言いつのり、そうしているうちに刷り込みのように辛味を好むようになったんだろう。早く大人になりたいと喫煙を覚えた子供のように。子供時代をそうやって強がって過ごしてしまったコックに、好きなモノくらい存分に食わせてやりたい。少なくともたまにはそんな機会があってもいい。なんだかそんな風に思ったのだ。

コックが難儀な性格から自分のために何かをすることができないのは知っている。逆をいえば誰かのためだったらできるってことだ。たとえその誰かが、コックにとって気の食わない相手であるおれであったとしても。コックの自己犠牲的なまでの優しさはそのくらい誰に対しても発揮される。それでもいい。誰かをおれにすればいい。おれのために、おれが望むから、コックが好きだというメシを、思う存分食えばいい。

おれはコックにも自分が好きな飯を食ってもらいたい。

でも、どうしてそんなことを思うのかは分からない。

end