ring

 船に戻ったのは夜更けだった。

 こんな時間になったのは、フクザツな道のせいであっておれのせいじゃねェ。むしろこれ以上遅い時間にならずに済んだのは道案内がいたからだ。つっても別にたいしたこっちゃない。街中で引ったくりの現場に出くわして成り行きで取り押さえたら、引ったくられた鞄の持ち主からお礼をさせてくれと言われたのだ。べつに善行した気もねェし、そんなものはいらねェと断ったのだが、何でもえらく重要なものが入っていたとかで是非にお礼をとうるさい。一応、お尋ね者の身であるからには騒がれるのは本意ではないし、とにかくその男があんまりしつこかったから、どうにも辿りつけずにいた港までの案内を頼んだ。それだけだ。別れ際、そいつは、ほんの気持ちだが感謝の印として受け取ってくれと鞄の中から取り出した腕輪やら指輪やら何やら貴金属の類をいくつかおれに押し付けて何度も頭を下げて帰っていった。

 金目のものに興味はねェが、貧乏海賊の身とあれば、無理矢理くれるというものを拒むものでもない。コックに見せれば「食費の足しになる」と嬉しそうにするだろう。あるいは「気が利いてるじゃねェか。ナミさんがお喜びなさる」かもしれない。どちらにせよ笑顔付きの晩酌にはありつけるはずだ。間違ってもナミに知られちゃならねェ。問答無用で巻き上げられるのがオチだ。おれにとっていいことは何一つない。

 そんなわけで、そのまま深夜のダイニングに足を向けたら、そこにはすっかり酔っぱらったコックがいた。

「おー、マリモー」
 椅子になんとか座っちゃいたが、うつ伏せの上半身をダイニングテーブルに預けきった男が顔も上げず首だけ曲げてこっちを向く。天板にぺたりとくっつけた右頬がひしゃげてブサイクなツラだ。顔も首筋も赤い。こりゃだめだ。機嫌は良さそうだがロクなモンじゃねェ。

「ナミか」
 暗澹たる気分で呟いた。先程すれ違ったナミが「あら遅かったわね、おやすみ」と笑みを浮かべて颯爽と女部屋へ消えていったときに気付くべきだった。強くもねェくせに付き合って調子にのって飲みすぎたんだろう。アホが、潰されやがって。件の貴金属をつっこんである腹巻を所在なく触ってみたりする。

 もともと飲むつもりではあったが、飲まずにいられない気分ってのァこういうことじゃねェのかと思いながらラックから一本を引き抜き、呷りながら定位置に座る。

「あー、なんかツマミを……」
 こんな時でさえ、度の過ぎる職業精神を発揮してくるコックには呆れるほかねェが、おれに気を遣う必要なんてねェ。今日はそのまま座ってろという意味を込め、片手を伸ばして目の前の丸い頭をなでてやったら目元を和らげてへにゃりと笑い、それからとんでもねェことを言い出した。

「なァ、マリモ。作れよ、料理」
「ハァ?!」

 おれは料理なんぞ出来ねェ。たとえ出来たとしてもこの船にコックがいる限りするわけもねェ。おれもコイツも日頃言いたい放題やりたい放題しちゃいるが、相手の領分を犯すようなマネはしない。料理人のプライドを知っている以上、越権行為に等しいことなどするつもりもない。ヨッパライの戯言だと無視していたがたち悪く絡んできやがる。

「なァ、何か出来るんだろ、ほんとは」
「できねェよ」
「おれが船に乗る前の食事、どうしてたんだよ」
「適当」
「ンなわけあるか。サシミを作れるってナミさんから聞いたぞ。魚をさばくのうめェって」

 あの女、つくづく余計なことを。苦々しく思いながら無言で酒を流し込んでいたら、テーブルにへばりつくように体を投げ出して巻いた眉毛の横顔だけをこちらに見せていたコックが、ぽつんと言った。

「喰ってみてぇな」

 どんなときでも食わせる専門の男がこぼした珍しい言葉に、正確にはその言葉を吐いたときの響きに潜む何かに一瞬怯んだ。青い目が静かにおれを見る。これは叶えるべき要望なのだと不意に悟る。半分諦めるような心持ちで生け簀へ走り一匹とっ捕まえてきた。

 ダイニングに戻ると「これを使え」とコックの命だという包丁を渡された。ついさっきまでグダグダしていたくせに、この時だけはひやりとするほど真剣な目をしていて、コイツ実は酔ってねェんじゃねえのかと思ったが今更だ。

 活き締めしてから鱗を落とし魚をさばく。よく手入れされたコックの包丁は完璧な切れ味で小気味よい。まだ赤い顔をしたコックがそれでもひどく真面目な顔つきでおれの手元を覗き込んでいる。刃物を使うのにこんなに緊張したことはねェ。
 
 文字通り切っただけの刺身を皿にのせた。コックならばここに花穂やら海藻やらを見目良くツマでもあしらうところだろうが、そんなことをおれに求めてもらっても困る。とはいえ、何もないのも殺風景だなと思い、そりゃ、正真正銘、魚を一匹殺してンだから「殺」風景で当然だよなと思いあたる。

 刃物を振るうことは誰かのあるいは何かの命を奪うことと同じだ。コックもおれもそうやって他の命を踏み台に貪欲に生き延びる。それぞれの夢のために。結局のところおれたちは似たもの同士だ。おれに相応しいのはおまえで、おまえに相応しいのはおれだ。そう思ったら可笑しくなった。

 

 皿に盛った刺身に腹巻の中から探し出した金ぴかの指輪を添える。おれがおまえに食わせる料理にはこれが似合いだろ。

 

 ツマに指輪。

 

 

end