『やさしい時間』

 

「チョッパーいるか?」
 ものすごい勢いで医務室のドアが開いて、お気に入りのくるくる回る椅子に座ってのんびりと医学書を眺めていたチョッパーは非常にびっくりして振り返った。戸口から覗き込んでいるのはゾロだ。
「…どうしたんだ?顔色悪いぞ?」
「だろ?だからさっさと診てもらえってんだこのアホコックが…」
「え?サンジ?」
 ゾロの顔色がなんだか青ざめていたので驚いたのだが、ゾロはサンジを診ろという。ゾロはぐいぐいとサンジの腕を引いて医務室に入ってきた。
「大したことねェって…」
 ぶつぶつ言いながら引かれてきたサンジの左手には、血に染まった布巾らしきものが握られている。
「血…医者ー!」
「は、てめェだろ。」
 サンジは冷静にそうつっこむと、チョッパーの向かいの椅子にやれやれといった風情で腰を下ろした。

 洗い物をしていて、うっかり庖丁で手を切ってしまったのだという。不覚だ、とサンジは苦笑する。水が血に染まった所為で大仰に見えただけだとサンジが言う通り、確かに所見は刃物による中程度の切り傷。
「腱とか筋肉には傷が無いね。でも結構深いし、サンジは水仕事をするんだからちゃんと縫合しておいた方がいいよ。その方が治りが早い。」
「ドクターがそう言うなら。」
「じゃあ、縫っちゃうね。」
「頼む。」
 サンジがあっさり頷いた後ろから、ゾロが低く声を上げた。
「おい、」
「何だよ。」
 ゾロの声にはサンジがすぐに無愛想に応じる。
「そのまま縫うのか?麻酔は?」
「いらねえよ。これっくらいすぐだろ。なァ、ドクター?」
「うん、二針くらいだからね。サンジなら大丈夫だとおもうよ。」
 サンジはだよなあと軽い口調で笑うと、さっさとやってくれと傷のある左手を差し出す。チョッパーがちらりと見上げたら、ゾロは、なんだか渋い顔をしていた。

「はい、終わったよ。」
「ああ、サンキュ。世話かけたな。」
 大きめの絆創膏を貼った手をひらひらさせて見せながら、サンジが暢気に笑う。
「一休みしようぜ。ココア、飲むだろ?」
「うん、ありがと。」
 立ち上がりながらサンジは背後でずっと見守っていたゾロに向かって呆れたようにひとこと。
「てめェもさっさとどっか行けよ…」
 ゾロはきっぱりと答えた。
「おれも飲む。」
「おまえが?ココア?うし、ちょうあまーくしてやる。」
 サンジが揶揄うみたいにそう言って笑った。

 カウンターにゾロと並んで腰を下ろす。正面のキッチンでサンジが手際よくアレコレ用意して、甘い香りが漂うと、程なく湯気の立つマグカップがふたりの前に置かれた。

 ゾロは刀を振るう。斬る。他人の血なんて見慣れているだろうし、例えばサンジが戦闘でもっとひどい怪我をたくさんしていても当たり前の顔をしている。ましてやゾロ自身の傷ならば馬鹿みたいな大ケガでも気にも留めない。それなのに、サンジがめずらしくこしらえた切り傷に青い顔をしたり麻酔の心配をしたりして。
 戦闘で多少なりとも傷を負うのは仕方がない。けれど、日常の中では、痛いおもいなんて欠片もさせたくない。そうおもっているのは、なにも船医のチョッパーだけではないらしい。

「ふふ、」
 ゾロと並んでココアを飲みながら、チョッパーはおもわず忍び笑いを洩らした。サンジが淹れてくれるココアは甘いけれど、あんまり甘すぎるのはすきじゃないゾロの分は甘くないんだ。だってちゃんと別の鍋で作ってたのを、知ってる。
 どっちもどっち、素直じゃない。
「ンだよ、」
 チョッパーのひっそりとした笑い声から考えていることを耳聡く聞きつけたみたいに、ゾロが低く問う。

「…甘いね、すっごく。」
 悪戯っぽく微笑んでチョッパーがそう言ったら、ゾロは片眉を器用に持ち上げて、そうでもねェだろと空とぼけてみせた。

***
2014/10/06

komaさんへ。