『続・茶番劇』

 ゆるく、ごく緩く。ほんの少し前までロロノアの首元に結ばれていたネクタイで、両の手首を背中側でまとめて結わえられた。やんわりと。力を入れれば簡単に解けてしまうだろう。逃れるのは容易い。ロロノアがサンジに施すすべては、サンジが本気で抵抗すれば回避できるものばかりだ。けれど、サンジはなされるままにロロノアの行動を受け入れる。そのことについて、ロロノアがどうおもっているのかは知らない。

 同じ職場で働いていた。たまたま大きなプロジェクトの責任者をふたりで任され、それが一段落した後に、飲みに誘われた。尋常でなく酒に強いということは知っていた。知っていて、同じペースで付き合ったのも、ロロノアの住まいである高層マンションの一室についてきたのも、サンジ自身の意思だった。酔ってはいたが、正体を無くすほどではなかった。ものの少ないだだっ広い部屋は生活感が無く、ばかでかいベッドはその日の朝ロロノアが起きだしたままに乱れていた。酔っ払いの特権で何も考えていないふりをしてそこへ転がりこんだ。別に何事もなく、ただ、眠りに落ちた。そして翌朝、目覚めた時、両の足首は拘束されていた。

 目を覚ましたサンジの隣で、ロロノアは黙っていた。黙って、サンジを見ていた。朝の光が清々しく清潔に部屋を照らしていて、何もかもくっきりとしていた。ロロノアの薄茶の瞳の色が、その緑の髪より暗く深い緑にひかってみえた。錯覚だったのかもしれないけれど。

 サンジは一言だけ訊いた。
――どうしたらいい。
 ロロノアは、簡潔に答えた。
――ここに居ろ。
 だから、サンジはここに居る。

 足枷は肩幅より少し狭いくらいの幅に開ける長さで両の足首を繋ぎ止めている。足枷から伸びた鎖はベッドの足に繋がっている。鎖をずるずると引きずって、ベッドのある部屋から、居間の真ん中にどんと置かれた豪奢なソファまでは自由に移動できる。因みに寝室には小さなシャワーブースと、トイレが併設されている。キッチンへは行けないのが、妥当であるとはおもうが残念でもある。刃物やら鍋やら武器になりそうなものが満載だもんな。調理器具を武器にする気などさらさらないのだけれど。サンジとしてはせっかくの立派なキッチンだから、単純に料理がしたいだけだが、一応有体に言えば拉致監禁されている身なので、黙っている。
 そもそも両手は自由だし、長い鎖は十分に武器になるのだが、そこのところは気づかないふりをしている。多分、互いに。
 足枷は、簡単に外れる。鍵がある訳ではない。申し訳程度にすこしだけややこしい手順で開け閉めする金具がついているだけで、すこしだけややこしい手順を踏めば、誰でも簡単に着脱できる。それに気づいていて、おれは何もしない。それについてロロノアがどうおもっているのかは、知らない。

 今だって、両手を縛るネクタイはゆるゆるだ。試されている、などと考えてしまうのは、サンジ自身が、ロロノアを試すようなことをしているからなのかもしれない。見上げたロロノアの表情は、間接照明のぼやけた明かりを背負って、よく見えなかった。その目が緑色ならいいと、おもう。嫉妬は緑色の目をした怪物だから。そんな目をまっすぐに向けられていれば、おまえだけのものみたいに、錯覚できるから。

 おまえがおれをこうしてつないでとじこめておくしかないとおもったのなら、それは正解だ。おれは女の子がだいすきだよ。すきだよたいせつにするよずっといっしょにいよう。そんな薄っぺらな科白を、何人ものレディにささやいてきた。
 結局誰も、ずっといっしょに、おれのそばになんて、いないのだけれど。

 足枷に繋がれて数日後、初めて抱かれた時は、巧くいかなかった。サンジは痛いばかりで、すっかり萎えて、ただ耐えていた。まあそれは、監禁され飼われている身としては妥当な仕打ちだともおもうが、ロロノアの方だってぎゅうぎゅう狭い穴に無理に突っ込んだだけで、碌にイケていなかった。残念だ。男同士というのは、簡単にはいかないもんなのだなとおもった。男同士じゃなかったら、多分もっと違った。セックスの話だけじゃなくて、この、くだらないおもちゃの足枷とか、ご立派なキッチンがある部屋に居るのにおれの料理をおまえに喰わせてやることが出来ていないこととか、ここに居ることの意味とか。男同士でももっとうまくやれたのかもしれないけれど、おれと、おまえには、できなかった。残念だね。口には出さないで、サンジはぼんやりと考える。ロロノアがどうおもっているのかは、知らない。

 散々だった初行為以来、ただ、毎日毎日、ひたすら前戯だけをしつこくしつこくしつこく繰り返されている。何本挿入ってるのかは知らないが、指なら違和感なく受け容れて喘ぎ声を堪えないといけないくらいには、馴らされた。快楽というのは簡単なもんなのだなとおもった。他のこともこんな風に簡単ならよかった。

 ロロノアの厚いてのひらが、触れるか触れないかの微妙な距離感で胸元をまさぐる。野郎の乳首など触っても意味など無いだろうとおもっていた。実際最初のうちはもぞもぞとした違和でしかなかったのだが、ロロノアの案外器用に細やかに動く指先によって何度も触れられたことで、どんどんとくっきりとした快楽という輪郭を成すように開発されてしまった。
 てのひらでやわらかく撫で回され、すこしずつ乳首が芯を持つ。不意に指先が的確にそこを摘む。キツめにつぶすように捏ねまわされると、痛みを追い越してぞくぞくと這い登ってくるのはまごうことなき快感。そこへねっとりと熱く湿った舌が押し当てられる。サンジは必死に声を殺す。くちびるでやわらかく食んで、尖らせた舌先が揶揄うように乳首を転がす。反対側もロロノアの手が、指が、巧みに苛み続けている。もともと色の白い肌の中に、捏ねまわされ舐めしゃぶられ赤く色づいた乳首がぷくりとふくらんでその存在を主張する。自分のものとはおもえない。どこか客観的に考える。おれの、平らな、かたい、胸なんぞ、触ってもつまんねェだろうなとおもうが、ロロノアはひどく熱心だ。
 今、サンジの着衣はばかげたトランクス一枚で、ぺらぺらの伸縮しない布を勃起した性器が押し上げ、漏れ出た先走りがじわりとにじんでそこだけ布地が色を変えている。ロロノアはそれをちらりと一瞥し、軽蔑に似た色で口の端を歪めた。
「ずいぶんよさそうだな。乳首だけでイケるんじゃねえのか?」
 低い声は淡々と、しかし微かな欲情がにじんで、湿っていた。その声は耳から入り込んでサンジの頭の中をぞわりと撫でる。その声だけで、ひどく感じた。性感帯は直接触れられる場所だけではないのだと、知る。実に不毛な豆知識だ。サンジは、は、と短く息だけで笑ってから、快楽に甘く痺れて掠れた声で、素っ気なく応じた。
「エロい触り方されて勃つのは健全な生理現象。てめェこそ、触ってもねえのになんだこりゃ。」
 ぐり、と、膝頭でわざとロロノアの股間をまさぐる。スーツの上着を脱ぎ、ネクタイを抜いただけで、ロロノアの着衣はひとつも乱れていない。けれどサンジの膝頭が触れたそこは、一目で高級なオーダーメイドだと知れるロロノアの身体にぴったりのスーツの生地を通しても、ひどく硬く張り詰めているのがわかる。男の、おれの身体に、一方的に触れているだけなのに。
「変態。」
 きっぱりと断言してやれば、ロロノアはひょいと器用に片方の眉を持ち上げた。
「その変態に触られて気持ちよくなってんのは誰だ?」
 ぴん、と、左の乳首の先を爪の先で弾かれて、びくりと震えた。不意打ちの刺激に、ンあ、と、甘ったれた声が出た。ロロノアのまなざしがぎらりときつくなる。
「どうしてほしい、」
 指先が、くるくると強く弱く、右の乳首の先を転がすようになぞっている。もどかしい刺激。触れられないままの下半身がうずく。身体の内側が、じわじわと、サンジの意思など関係なく、刺激を求める。
 ロロノアは強いまなざしをひたりと向けたままで、低く吐き捨てるように告げる。
「欲しいと、言え。」
 サンジを拘束して、閉じ込めて、優位に立っているはずの男の命令は、望みの懇願のように響いた。まるでロロノアこそが、手の届かない相手として、サンジを欲しがっているように。

 刹那に溺れるだけならば簡単だ。流されてしまえばいい。そこに理由など要らない。だからこそ、サンジはそれを突き放す。
「安い快楽なんぞ要らねえんだよ、クソ野郎、」
 おれは口が裂けても言わない。快楽に躾けられた身体の欲求で、お前が欲しいなんて安易な望みを口に出したりはしない。
 代わりに薄っぺらく淫らに笑う。
「御託はいいからつっこめば?てめェが手塩にかけて開発したおれの身体でキモチよく抜けよ。」 

 ロロノアはぎゅ、と、眉を顰めた。ほんの一瞬、ひどくつらそうに、傷ついたみたいに。きっと、もっと別な、言うべきことばがあるんだろう。だけど、おれは言わない。言ってどうなるというのか。何も生まれない不毛な関係なら、こうしてつながれて飼われている方がずっと気楽だ。はじまればいつか終わる。おまえがおれなんか要らないと手放す気になったら、おれは平気でこの部屋を出て、何もなかったみたいに消えてやれるから。

「おれはおまえの言う通りにするさ。だから、さっさと済ませろ。」
 サンジは素っ気なくつぶやいて、喉の奥で低く笑う。馬鹿みたいだ。おれも、おまえも。

 今この腕を縛っているネクタイがすぐに解けることも、足枷がすぐに外れることも、わかっている。いつだって、おれは自由だ。だから、この腕を縛っているネクタイを解かないし、足枷も外さない。おれを拘束しているのは、おまえに対するくだらない、陳腐な、ひどくありきたりな、感情ひとつ。おれは欲しい。ほんとうは、ほんとうに、ほんとうの、おまえが、欲しい。
 おれはこの茶番を終わらせる術を知らない。ただいつか必ず訪れる終わりを、おまえ任せにして待っている。

 ほんのわずかな沈黙の後、ロロノアはゆっくりと、言った。
「言ったな。」
 ロロノアは、確認するように、ことばを重ねた。
「おれの言う通りに、するんだな?」
 その声に潜む、勝ちを確信したような響きに、サンジは怪訝に眉をひそめた。
「……、」
「言えよ。」
 サンジに覆いかぶさったまま、額を摺り寄せるほど近づけて、ロロノアはその強いまなざしをまっすぐにサンジに据えた。その瞳は薄い茶色で、おだやかだった。サンジの望む嫉妬の色などなかった。終わりがくるのだと、おもった。
「てめェこそ、こんな拘束が無意味だってことは、知ってンだろ?ならなんでてめェは逃げない?おれを犯罪者として訴えない?」
 ロロノアの手がサンジの腕を引く。しゅるりと腕のネクタイが解ける。そのまま起き上がると、ロロノアは足枷に指を掛けて、あっという間に金具を外す。何の拘束もなくなったサンジは、動けないままロロノアを見上げた。容赦なく続いたことばは、しかし、サンジのおもっていたものとは随分違った。
「欲しいと言えよ。てめェが欲しいと言うなら、おれはなんでも許してやる。全部、やる。会社なんざもう行かねえでもいい。このままほんとうに一緒に海外に飛んで、てめェは料理の修行をしたっていい。おれはてめェを手に入れる為にこんな馬鹿げた犯罪行為をしてンだ。てめェが冗談じゃねえとおもうんなら、今すぐ訴えられて牢屋にぶち込まれても仕方ねえ。覚悟はできてんだ。だから、てめェは、てめェのほんとうを、見せろ。」
「……ばかだろ、おまえ。」
 こんな豪奢な高層マンションの高層階のワンフロアを占める一室に住み、仕事の能力もあり、周りからも認められ、将来は有望、見目もよく、引く手あまたで。そんなロロノアの人生に、おれの存在は必要ない。それなのに。
「欲しいと言え。じゃなきゃァ抵抗しろ。」
 ロロノアの顔が近づく。触れる。くちびるに。

 はじめての、くちづけが、落ちた。

 ゆっくりと、ロロノアのてのひらが頬を包み、首に滑り、肩を撫で、脇腹を滑り落ちた。
「抵抗しねえのか。」
「……言ったら、どうなる。」
 欲しい、と。
「おまえが、おれのものになるだけだ。」
 今となんにも変わらねえな、と。きっぱりと、断言された。

 サンジは拘束の解かれた両の腕を、ゆっくりと持ち上げた。ロロノアに向けて。初めて。
「……、」
 触れるだけのくちづけの、触れたくちびるが動いて紡ごうとしたことばは、声にならずに。

 がばり、と力任せに抱きこまれた。
「やっと言いやがったな、てめェ。逃がさねえぞ。逃げようとするんなら、本気の拘束具でつないでやる。」
「…おまえ実は本気で変態マリモなんじゃねえの。」
「なんとでも言え。」
 サンジの耳元で、ロロノアはひどく安堵したように、ひとつ息を吐いた。

 茶番が、日常にすり替わる予感が、した。

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2017/09/03