『morning』

閑静な住宅街の中の五階建てマンションの一階部分、学習塾とコンビニに挟まれた小さなレストラン『Barcarolle』。
一年と少し前に出来たその店は、ほんの少し日常から離れて心を休ませるのにちょうどいい落ち着いた佇まいと美しく絶品の料理とで今や街中の女性たちから人気を集めているのだとか。

あの店が地元でそんな位置づけになったのだとゾロが知ったのは、新たに請け負ったシステム開発のためにレストランの口コミサイトを比較検分していたときだった。評価もなにもない安さが売りのチェーン店以外でゾロが思い浮かべられる店名など他に皆無だったから、思いついたその店の名で何気なく検索をしてみたのだ。
雰囲気、料理、コストパフォーマンス、いずれもおしなべて評価が高かったが、散見される「店主がかわいい」「喋らなければ超イケメンww」の意見だけは、当の店主の思惑からは若干ずれているのではなかろうかと、ゾロは無味乾燥な会社のデスクでひとりひっそりと笑いを噛み殺した。

 

『ワンコインモーニング始めました』

その店の前に出されたイーゼルの上にある朝突然そんな武骨な看板が表れて、ゾロは思わず駅へと急いでいた足を止めた。若い金髪の店主曰く「レディに受けがいい」ことを狙った、ゾロの知る小洒落たメニュー板とはまるで違う。
午前6時15分。こんな時間からモーニング?それにわかりやすいほどわかりやすく、いやむしろ雑とも言える単純な筆致で描かれた五百円玉の絵。
これはさすがに女性客へのアピールではないだろう。
そして思い出す。ひと月ほど前、偶然早朝の仕入れの荷物持ちをすることになって、お礼に、と振る舞われたがっつりボリュームのある和定食を頬張るゾロをカウンターの向こうから満足そうに眺める男と交わした何気ない会話。

「ワンコインモーニング。って、需要ありそうだよなァ」
「んあ?」
「んーさすがに大手みたいに400円弱は難しいけどな…なァ500円で朝飯食えるなら寄ってみようとか思うか?」
「あー。気が向けば、な。朝は、時間が勿体ねェ」
ぎりぎりまで寝ていたい。朝食など腹が膨れれば何でもいい。今出されたこの定食は最高に美味いがそれはそれ、第一、今日は特別なのであって500円で毎回このクオリティはないだろう、と考え本音で答えたゾロに男は思案顔になり、なるほど時間ね、500円、とぶつぶつと何かを呟いていたのだ。

あれからひと月余り。
脳裏に時折ちらつく金色の記憶を眩しく持て余しながらあの店の定食の味を時折思い返していたゾロが、この看板は自分を呼び止めているのではと思ったとしても無理はない。

その日は必ずしも早く出勤せねばならない事情があるわけでもなかったから、ゾロは迷わず大きなガラスがはめ込まれた木のドアを開けた。
まだ明けきらぬ夜のような仄暗い店内、ひんやりと佇んだような空気の中、流木を思わせる重厚なカウンターテーブルの向こうにすらりと立つ金髪の店主。ゾロに気が付くと、にっかりと少年のように顔を綻ばせた。
「おう、いらっしゃいませ」
「あァ」
「よかった、気付いたな」
あまりに素直な台詞と笑顔に一瞬怯み、同時に至近距離から別の殺気を孕んだ鋭い視線が刺さるのを感じて、見るとカウンターの手前の端にやけに目つきの悪い土方風の男がひとり、炒飯をすくったスプーンを持ったままでゾロを睨みつけていた。
「サンジさん。こいつは…?」
「え?あー、お客様だ。近くに住んで…んのか?」
サンジさん、と呼ばれた店主が最後はゾロに確認するように尋ねてきた。
そうだ。互いのことなどまだ何も知らない。名前さえも。
ゾロは頷きながら、カウンターの中央、店主の目の前に腰かけた。先客の男はそれをじっとねめつけてくる。サンジ、の、知り合いなのだろうか。それにしても感じが悪い。喧嘩をふっかける気などないがいささか気分を害されてちらりと睨み返すとサンジは苦笑して、
「ギン、冷めちまうぞ」
と言った。
「あァ、面目ねェ、面目ねェ…」
ギンは慌てて必死な形相で残りの炒飯を掻き込み始めた。

 

ゾロの目の前に水の入ったグラスが置かれる。
「ええと。朝飯だよな。洋食と和食あるけど、和食でいいか?」
「…。和食ってあれか?」
ゾロは先客の男の炒飯をちらりと見て訊いた。
「違ェよ。ちゃんと定食だ」
「じゃあそれで頼む」
「かしこまりました、すぐご用意できます」
急に慇懃な言葉遣いになってそれからまたにっかりと笑う。
朝は時間が勿体ない、とゾロが言ったことを覚えているかのような態度だ。これを特別扱いと感じるのは勘違いなのだろうか。

ものの数分と経たないうちに白飯と味噌汁、小鉢二つと粕漬の焼き魚の定食が目の前に並んだ。期待していた以上の内容に、お、とゾロが目を瞠るのと当時にガタンと大げさな音を立ててやおらギンが立ち上がった。こちらをじろりと見ながら、尻ポケットから剥き出しの500円玉を取り出してバチンとカウンターに置く。驚くほどの迫力だ。
「サンジさん!美味かった…おれァこんな美味い炒飯食ったことがねェ!アンタの飯、最高だ!」
「わかったよもううるせェよ!ギンてめェだから奥様方がいらっしゃる時間にはもう来んなよわかったか!」
「あァわかってる。アンタの邪魔はしねェよ…」
柔和な店主に突然客に対する言葉とは思えないキツい口調で注意を受けたと言うのにギンはなにやら恍惚とした表情のまま手の甲で口元を拭い、ご丁寧にゾロに一瞥をくれてから店を出て行った。

「…なんだ、ありゃ」
呆気に取られて呟くと、サンジはギンの皿を片付けながらごく軽い調子で笑う。
「ここの内装工事してくれた職人の一人なんだ。最初に差し入れた炒飯やたらと気に入ってな。たまにランチで食いに来てたんだけど店の雰囲気ブチ壊しだろ、だから来るなら朝来いって言ったんだ」
「変なのに付き纏われてんじゃねェのか」
「食いてェ奴には食わしてやるが信条だからなァ。食えよ冷めるぞ」
飄々と答えるサンジは、ゾロの心配などどこ吹く風だ。
いやそもそも自分が心配するようなことでもない。ゾロは促されるまま箸を取り、手を合わせていただきます、と言った。

きちんと出汁のきいた具沢山の味噌汁。小鉢は海老しんじょうの揚げ出しと、青菜と海藻の酢味噌和え。よくある納豆や海苔やかまぼこといった、出すだけ盛るだけのお手軽なものはひとつもない。この時間からこれで500円とは、口も目も肥えてかつコスパにシビアな主婦層からの口コミ評価が高いのも当然だ。これなら毎日あと30分早起きしてでも通う価値があるなと、そんなことを伝えようかと顔を上げたとき、今度は店の入口とは反対側にあるドアがドンドンと叩かれた。静けさを再び破られてゾロは驚いたが、サンジはおう、と鷹揚に返事をしてそのドアを開けた。

「へい若旦那!毎度!」
「おう、ありがとよ」
「こっちが根菜、それと葉物、こっちが肉。それにしてもどんどん仕入れが増えるな、儲かってんだな!」
「いやぁおれもいろいろチャレンジしたくて欲が出てよ」
「イエス、さすが若旦那!そんなあんたのために今日はいいトビウオを仕入れたぜ、これはサービスだ!」
「トビウオ!?初物か、ありがてェ。デュバル、いつも悪ィな」
「いいってことよ。で、ワンコイン弁当は出来てるか?」
「ほらよ。月末にまとめて差し引きで伝票切ってくれ」
「オッケー!トビウオ急便を今後ともご贔屓に!」
「おう、事故るなよ!」

デュバルと呼ばれた配送業者は下手なウインクをひとつ飛ばし、閉まったドアの向こうでドゥルンと腹を打つほどのエンジン音を響かせながら遠ざかっていった。
再び静寂を取り戻したカウンターの内側でサンジはサービスだと受け取った発泡スチロールの箱の中身を早速嬉しそうに覗きこんでいる。
「おー、さすが目利きがいい、丸々して美味そうだ」
「トビウオ…、食えるのか?」
「食えるさ。ムニエルでもフライでも」
「へェ」
なんだか今日は驚くことばかりだ。何より、この店の朝がこんなに騒々しいだなんて全くの予想外だった。
ワンコインモーニングは決して、断じて自分だけのための思いつきではなかったのだ。いやむしろ、男どもはまとめて朝に片付けてしまおうという思惑が見え隠れするようなしないような。
そう思ったら慌ただしくここを去るのが口惜しくも思えて、ゾロはしっかりと味わいながら箸を進めた。
そんな様子を見ながら、サンジが笑う。
「なァ、時間があるならこれ捌いて刺身にしようか、えーっと、…マリモくん?」
「だれがマリモだ」
「はは、だって名前、なんて言うんだ?」
「ロロノア・ゾロ」
「舌噛みそう。ゾロ、でいいか?」
「あァ」

するりと懐に入るのがうまいのは天性の才能か。接客業にはうってつけだろう。
しかしゾロには慣れないことだ。剣道では懐に入られるなど致命的なミスだし、IT系の職場はいわずもがな、隣の席の人間ともメールで会話をするような環境だ。
至極口に合う手の込んだ食事を食べながら、入り込まれた懐の内側がうずうずと疼く。

こんなふうに心が動くのは久しぶりのことだ。
剣の道の最強を目指すと決めたあの頃のように胸の内に灯った火を感じ、ゾロはサンジに気付かれぬよう密やかに笑った。

 

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またしても!まやのさん@グリンピース様からいただいてしまいました!社会人のゾロとサンジさんのお話、3度目の出会い。懐に入るのがうまいのは天性の性質だとしても、それだけではロロノアの心に灯をともすことなど出来ないでしょう。ゾロのほうにこそ、サンジさんに対する何か特別な感情の芽生えがあったからこそ、サンジさんの言葉や行動や表情が、ゾロの琴線にふれたに違いない。自覚のないまま惹かれ合い、顔を合わせることになった二人。ワンコインモーニングを口実に、これから連日レストラン『Barcarolle』へ通うロロノアが目に浮かぶ……。もちろん、ギンやデュバルやその他の野郎どもを牽制し、一番長居するんだろうな、ロロノア。少しずつ少しずつ距離を詰めていく二人の恋を、見守りたいと思います。そのためにも、サイトを長く続けねば!
まやのさん、大好きです!ありがとうございます。