『虹色の予感』

 

「――お金がないのよ」
ある夏の朝、顔の前で手を組みながら暗い表情でナミが言った。いつもは賑やかな食卓が、瞬時にシーンとなる。
「何でだよ、こないだまで『潤ってるわ~』とか言いながら札束数えてニヤニヤしてただろ」
「誤解を招くような発言しないで!大体いつの話よ、それ!」
ウソップの言葉にナミの反論とパンチが飛んだ。
「収入に比べて支出が多すぎるのよ!――…主に食費だけど」
じろりとルフィに目をやりながらナミが言うと、ルフィは明後日の方向を向いて口笛を吹く。
「ご、ごめんよナミさん」
「別にサンジ君が悪いわけじゃないわよ。頑張ってやりくりしてくれてるのも分かってるしね。でも上陸のたびに大量に食糧を買いこまなきゃいけないっていうのは揺るぎない事実」
と、いうことで。ナミは両手をパン、と鳴らすと、ジーンズのポケットから4つ折になったチラシを取り出した。
「ちょうど明日上陸する島で、こんなイベントがあるみたいなの」
「――バトルイベント?」
ナミの手の中にあるチラシをサンジが覗き込む。
「そ。優勝者には最高で時価数億の高額商品が贈られるみたいよ」
「ナミ、目がベリーになってんぞ」
「ナミさん!その役目、是非おれに!」
目がベリーになっているナミに対して、目がハートになっているサンジが両手を上げて言う。
「そうねえ、サンジ君と――あと、ゾロ!あんたも参加して!」
「あァ?何でおれまで。そこのアホだけで十分だろ」
「ひとりでも数が多い方が優勝できる確率は上がるでしょ?ルフィは有名人すぎて何するか分かんないから却下だし。イベントの詳細が分かんないから、確実に強いふたりに出てもらった方がいいと思うのよね」
ナミが言うと、イベントに参加したかったのであろう、ルフィが不満の声を漏らしたが、ナミはそれを完全にスルーした。
そしてゾロとサンジは、『確実に強いふたり』という言葉に、何故かお互いへの闘争心が燃えたのか、『おれの方が強い』『いやおれだ』と小競り合いを始めた挙句、ではそのバトルイベントで決着を着けようじゃねェかという結論に達したわけである――が、世の中そんなに美味い話などそうそう転がっているものではない。

 翌日、ゴーイングメリー号は予定通り島へ上陸した。
そんな経緯にしてイベント会場へ到着したふたりは、会場のあまりのきらびやかさに目を見張る。
「コレ全部、黄金と宝石か?」
ゾロの言葉に、サンジは首を振った。
「いや、半分以上がイミテーションだろ」
そう言って、ナミから受け取ったチラシをスラックスのポケットから取り出す。
「何か引っかかるんだよな、このチラシ」
「何が」
「それが分からねェんだが」
「分からなきゃ意味ねェだろうが、アホ」
「あァ!?本物とイミテーションの見分けもつかなかったバカに言われたかねェな」
「何だと!?」
がるるるる、とお互い睨み合っていたら、アナウンスが流れてきた。
『ただ今より、バトルトーナメントについての説明と参加登録を行いますので、参加希望者の方は入り口前広場へお集まりくださいませ。繰り返します、ただ今より――』
全くおかしな方向へ行ってしまいそうになるゾロをサンジが引きずるようにして、ふたりは広場へ向かった。
バトルトーナメントは至ってシンプルなものだった。まず予選で6人ずつ。その中で勝ち残った者同士3人ずつ。更に勝ち残った者がトーナメント本選に進む、という形式だった。
『なお!気になる優勝賞品ですが!――この会場内にあるものの中から、どれでもお好きなものをひとつ、お持ち帰りいただけまーす!』
アナウンスに会場内のあちこちからどよめきがおこる。この会場内のきらびやかさからして、当然の反応だろう。そんな中、サンジは苦い表情で先ほどのチラシに目を落とした。
「…なるほどな」
「何だ?」
「このチラシ、何か引っかかるっつったろ。コレだよ。――『最高で』時価数億って書いてある。ってことは、『それ以下』の場合もあるってことなんだよな。どういうことなのかと思ったが、そういうカラクリなのかと思ってな」
「カラクリ?別に、好きなモン選び放題なんだろ、いいじゃねェか」
ゾロがそう言うと、サンジは4つ折りのチラシで軽くゾロの頭を叩く。
「『選べたら』だろ。さっき配られた日程表見てみろ。参加者には自由に動ける時間なんて少ししか無ェ。しかも会場にある黄金も宝石も、イミテーションの嵐。その中で『本物』を見極めて、かつ高額なものを見つけられる確率は極めて低いだろうな」
「詐欺じゃねェか」
「けど、恐らく会場には本当に高価な黄金や宝石も置いてある。たとえガラクタであろうと、選んだのは本人の責任、って話だから、騙したことにもならねェ」
サンジはそう言って、チラシをポケットに仕舞った。
「仕方が無ェ。トーナメントにはてめェだけ参加しろ。おれはその間に、賞品になりそうなものを探してみることにする」
これは、一見バトルトーナメントに見えて、本質はトレジャーハントだ。戦闘側と探索側と、チームプレーが必要だ。サンジはそう考えたのだ。
「いいか、負けやがったら承知しねェからな」
ビシ、とゾロを指さして言うサンジに、ゾロは「てめェ誰に向かって言ってんだ」と憤った。
しかしそんなことを言いながらも、サンジはゾロが負けるなどとは微塵も考えていなかった。

 ――一方で、サンジと別れたゾロは内心少しだけホッとしていた。
サンジと共にバトルに参加するのもまた楽しいかと思っていたが、トーナメント戦と聞いて、サンジと当たったらどうしたものかと考えてもいたのだ。  サンジと自分。本気でぶつかったら、どちらが勝つだろう。恐らく自分だ、という自負もあるが、決着を着けてしまうのもどこか嫌なのだ。いつまでもこうして、つまらない小競り合いなどしながら答えの出ないまま過ごしていたいような気もする。
いつまでもずっと。そう考えて、いつまでもずっとこうして共に過ごせる保証などないことに気付く。
出会ったときからずっと曖昧なまま心の中にくすぶっている感情の正体を、はっきりさせねばならないのかも知れない。
そんなことを考えていたら、予選開始グループの中に自分の名前を呼ばれた。

 「――さて、マリモ剣士のことはまあアレで放っといていいとして」
ゾロがバトルに参加している間に、サンジは賞品となるお宝を見つけておかねばならない。
しばらくグルグルとあちこちを歩き回って、そこそこ目ぼしいものを見つけても、もっと良いものがあるかも知れないと思えてくる。そういった感情すら、逆手に取られているんだろうと分かってはいても、見つけたものが、本当にそれでいいんだろうかと思ってしまうのだ。
どれくらい時間が過ぎただろうか、バトルの様子は、出店や売店が立ち並ぶ広場にある大きなモニターに映し出されている。ふとゾロの名前が聞こえてきて、サンジは足を止めた。
『強い――!今大会初出場、三刀流の剣士ロロノア・ゾロ!圧倒的な強さを見せつけて一番乗りで予選突破――!』
「……当たり前だろ」
モニターに映るゾロを見上げて、サンジはボソッと呟いた。頭に手拭いを巻いてない。きっとまだ本気じゃない。
ゾロの戦う姿は好きだ。研ぎ澄まされた刃のような、あるいは気高い獣のようなあの姿に、つい見惚れてしまう。かと言って、二カッと笑ったときの幼い感じも悪くない。食事をしているときの、ハムスターみたいになる頬っぺたとか。
何だかんだで自分はゾロのことを好きなんだろう、とサンジは思う。仲間になれて良かったと。ゾロは自分のことを、どう思っているかは知らないが。  モニターを見上げたままで一歩踏み出したサンジは、何かに躓いてその場に転びそうになり、慌ててバランスを取った。
「おっと!――あ、悪ィ」
見下ろしてみれば、細身の老人が地面に座っていた。投げ出されているその脚に躓いたのだ。
「ああ…構わんよ」
老人は言う。しかしその場からピクリとも動かない。
「ジイサン、何やってんだこんなトコに座り込んで」
「いやあ…それがな」
聞けば、老人は毎年このバトルのたびにここに焼きそばの屋台を出しているらしい。しかし今日は、準備中にぎっくり腰になり、動けずにいた。
「参ったよ、ここはいい稼ぎどころでな。数か月分くらいの売り上げが今日一日で稼げるくらいだった。それなのに――材料もいつもより多く仕入れちまったから、大赤字だ」
「…そりゃア気の毒に。手伝ってやりてェが、おれはトーナメントに出てる相方のためにお宝を探さなきゃならねェんで」
「相方?」
「…――そこにバカでかく映ってるアレだ」
サンジはモニターを親指で指しながら言った。
「ああ…アンタら、このバトルトーナメントには初めて参加したのか?」
「そうだ。今船旅中でな。たまたま立ち寄った島で面白そうなことをやってたんで」
「大方、時価数億円の優勝賞品に目がくらんだんじゃないのか」
当たらずとも遠からずである。金銭を稼ぐために参加したことに違いはない。 「その賞品は諦めな」
男がやや呆れたような表情でそう言った。
「何でだ」
「その賞品は、参加者を集めるためのエサさ。どうやっても手に入らないようにできている。――このバトルトーナメントは、もうかれこれ10年近く毎年開催されていてな。おれはその度にここで屋台を出してきたから、色々情報は入ってくる」
「じゃあ、そんなお宝はない、ってのか」
「それがそうでもない。時価数億のお宝は間違いなくこの会場内に存在する。しかし、絶対に見つけられない。なぜなら、そのお宝とは、主催者のひとりが身に着けている宝石だからだ。主催者のうち誰が着けているのかは分からない。服の下に隠れるように着けているし、トーナメントが終わるまでは控え室にあるモニターで試合を見ているだけで、表に姿を現さない。参加者が見つけ出すのは無理なんだよ」
「何だよそれ」
サンジは落胆半分、憤り半分で呟いた。
「まあそうガッカリするな。時価数億円とまではいかないが、そこそこのお宝なら幾つかあるぞ。おれがその在り処を教えてやるから、アンタは相方にそれを持って行ってやるといい」
「本当か?」
「ああ。その代わり、おれの屋台を手伝ってくれ」
「…ちゃっかりしてんなァ、親父」
――それから1時間ほどしたころ、サンジの焼きそば屋台の前には長蛇の列ができていた。観客たちの中にはトーナメントを毎年見に来ている常連もいて、同じく毎年ここで屋台を構えている店主の存在も知っている。顔見知りの観客がそれを買い、あまりの美味さに噂が広がり…といった次第だった。
更に昼時には、バトルの参加者までも加わり、目の回るような忙しさになっていた。ひたすらに鉄板へ向かい焼きそばを作っていると、頭上から聞きなれた声が降ってきた。
「――…一体なにをやってんだ、てめェは」
顔を上げると、ゾロが腕組みをして呆れたようにサンジを見ていた。
「お。マリモ、ちょうどいいところに」
サンジは目下鉄板の上に載っている分を手早く仕上げて容器に分けると、店主に預けて『ちょっと時間くれ』と屋台から離れた。店主はゾロがサンジの『相方』だと知っているので、快諾してくれながらも、途切れない客足に目をやり『早く戻ってきてくれよ』と言った。
サンジが屋台の店主から聞いた話を手短に説明すると、ゾロはさほど意外でもなかったようだった。
「ま、そんなうまい話がそうそう転がってるわけねェな」
もっと憤るかと思ったらそんな反応だったので、サンジの方が拍子抜けしてしまう。
「何だよ、『余計な手間かけさせやがって』とか言うかと思ったぜ」
「別に。こんな程度のバトルで時価数億の賞品とか、逆に何かウラがあるんじゃねェかと思ってたぐれェだ。そこそこのモンでも置いてあるだけまだマシだろ。最近自己トレしかしてなかったからな、いい肩慣らしにはなった」 「あっそ…」
てめェがいいならまあ構わねェが、とサンジは言って、屋台を構える前に店主に聞いてキープしておいた宝石をゾロに差し出した。
「コレがおそらく、マトモに手に入れられる中では一番いい代物だろう、ってさ」
優勝できなかったら元の場所に返せよ、とサンジが言うと、ゾロは『優勝するに決まってんだろ』と憤慨したように宝石をひったくってポケットに入れた。 「あ、てめェそんな粗末な扱い方…」
「つうかその店主とやらは信用できんのかよ」
サンジの非難を無視して、ゾロは言った。
「さあ」
「さあ、っててめェなァ」
「出会ったばっかでそんなの分かるわけねェだろ。だがまァ、無駄足だったとしてもいいじゃねェか」
ゾロはバトルをそれなりに――敵が力不足だと感じているようだが――楽しんでいるようだし、サンジも焼きそばの屋台はそれなりに楽しい。それに、ふたりだけでこんな風にひとつの目標に向かって協力しつつ何かをすることも珍しいことなので、それも楽しい。たとえ店主にサンジが巧く乗せられていて、この宝石がガラクタだったとしても、今こうして過ごしているこの出来事は、それ以上の価値があるような気がしていた。
準決勝が終わると、突如ブツリとモニターの映像が途切れた。
「あ!?」
思わずサンジが声を上げると、店主がよっこらしょ、と言いながら立ち上がった。
「いつものことだ。決勝戦は、モニターでは中継されないのさ。有料のコロシアムの中でしか見られない。元々は、金持ちの娯楽から始まったイベントだからな」
「へェ…――って、親父、てめェ腰は」
「治った」
「……てめェ、本当は最初から」
「元は十分とれたし、もう店仕舞いだ。どうせ決勝戦が始まれば客足は止まる。――ほら、アンタの取り分」
店主は今日売り上げた分の半分をサンジに押し付けるように渡してきた。
「今日は例年の倍以上売り上げた。あんたのおかげだ。――じゃあな」
てきぱきと屋台を片付けた店主は、ポカンとしているサンジを残して屋台ごと去って行った。