これだ。
ひたすら眠りこけるコック。
なんだこりゃあ、というのが正直な感想だ。
『上陸して宿に泊まったときは、同じ部屋になってくれよ。』
コックの頼みはそれだった。は?おれは思わず聞き返した。拍子抜けだ。もっとろくでもない頼みごとかと思ったのに。その一方で頼みごとの中身の意外性にも驚いた。
まあ、べつに同室になるのはどうってことはない。どうせルフィかウソップかコックかの3分の一の確率なのだ。
― で、同室になってなにすんだ。
― なにもしねえよ。寝るだけだ。
― え?
聞き間違いかと思った。
それは聞き間違いではなかった。部屋に入りシャワーを浴びたとたん、コックはスイッチが切れたかのようにベッドへ倒れこみ、眠りに落ち、そして懇々と眠り続けている。
海の上であれだけうるさい男が、陸の上では驚くほど静かだ。寝ているからだ。眠りっぱなしだ。ついでに服も靴も脱ぎっぱなしだ。普段おれたちにあんなに注意しているくせに。
いつも身奇麗にしている男のジャケットがぐしゃりと丸まって床に脱ぎ捨てられている。その黒い布の塊が見捨てられた動物みたいで、哀れに思えて仕方なく手にとると、煙草とこの男がいつもまとっている香りがふわりと漂った。なんだよ、クソ。口の中で悪態をつき、広げてハンガーにかける。
こんなコック見たことがねえ。
おれの故郷の海では、嵐のあとに時々イルカが浜に迷い込んで沖へ帰れず浅瀬でぐったりしていることがあった。発見が早い時は、船でひいたり、大人が何人かで押して沖へもどしてやると元気になったが、手遅れのときはそのまま死んで村人たちの食糧となった。くいなは可愛そうと嫌がって食べたりしなかったが、べつにまずいものではなかった。むしろご馳走だった。
ねむるイルカ。
なんかそんな感じだ。食うとか食わないとかじゃなく。陸に迷い込んだ海洋動物。大きくてなめらかな身体が、呼吸の上下動だけでじっと横たわっているのをみると、そんな事を思い出した。海の上でないと身体がしゃんとしねえみたいなところもそっくりだ。
むに、とその頬をひっぱってみた。皮膚がのびて、笑えるくらい妙な顔になったが目覚める気配はなかった。変な顔。変な眉もついてるし。そういやこのコックをこんなに間近で観察したことはなかった。おもしろい。内心笑いをこらえる。
海の上ではいつ寝ているのか分からない位の男が、陸の上だといつ起きているのか怪しいほど眠りまくっている。
しかもおれと一緒のときに。おれを指名してまで。無防備にその寝顔をさらして。
『なんかさ、おまえだったら気をつかわなくていいからさ。よく眠れそうな気がする。』
ルフィやウソップに気を使ってるとは思えないが、同室になったらなんだかんだで年下のあいつらの世話をやき、つい面倒をみてしまうのだろう。
いつも船で皆の命を守っている男が、ここではその命をまるでおれに預けているかのようだ。
一体こいつはなんなんだ。
精神のオンオフの切り替えが、自分は戦闘モード、日常モードなのに対して、この男は海の上、陸の上なのかもしれない。
それとも、船のコックだとか船上レストランのコックだとか、陸でもないところでずっと生きてきたこの男は、海でもないところではこんな風に身体の力がぬけてしまうのかもしれない。陸の固くゆれない地面の上では陸酔いをおこして。
コックのことは分からない。
分からないけれどわるくない。
頼られているのか、貸し借り無しにしようとしてくれているのか、便利だと思われているのか、思いつくどの理由もそうかもしれないしそうでないかもしれない。
ただ何にせよ、この状況はべつにわるくねえな、と思えた。居心地もわるくない。
いつもだったら顔をあわせると喧嘩になってしまう男と二人、こうして静かに過ごすのも悪くねえな。
また明日からバカみたいに元気よく罵り合い、力いっぱいど突きあい、全力で張り合い、そしてともに命がけで冒険する日をすごすためのしばしの休息だ。
疲れた身体をいやし、明日へのエネルギーを蓄えるための休息を、おれが守る…のも、わるくねえんじゃねえか。
生まれてきてこの方、考えたことも感じたこともない、だからなんと表現してよいのか分からない、くすぐったいような浮ついたようなあたたかいような不思議な感覚を味わった。
その感覚が心地よくて、もっと長くこうしていたいような。
このろくでもない男が生き生きと動く海の上での冒険の日々へはやく戻りたいような。
仲間には違いないが単なる仲間とは思えないコックのことを考えながら、自分も眠りに落ちた。
end