『虹色の予感』

 ――さかのぼること少し前。サンジと屋台で別れたゾロは、またバトルに舞い戻っていた。
サンジは用件だけ済むとさっさと屋台に戻ってしまい、一体てめェは何をしにここに来たんだとゾロは言いたくもなったが、『まあコレでも食って力つけて、昼からも頑張れ』と差し出された焼きそばは本当に美味で、何だか本当に力が湧いてくるような気がして、それにほだされた。
仲間たちの中で、サンジが加わった経緯だけが特異だ。いつの間にか仲間になっていたのに、簡単にスルリと心にまで入り込んできてしまった。どこぞの坊ちゃんかというような見た目をして、それなのに自分と肩を並べるほどに強くて、それでいてあっけなく消えてしまうような危うさもあって。
普段そんなことをしないゾロが無駄に自分から絡んでしまうのも、気になって仕方がないからだ。
それでもいつもひとつだけ思うのは、サンジが仲間になってから、食事が楽しくなったということだ。そしてサンジの作ったものを食べると、不思議と力が湧いてくる。
自分に対してあまり向けられることはないが、それでもたまに笑顔で話しかけられたりすると、心の中に、何だか温かなものがぼんやりと浮かんでくる。それはまるで、予感めいたものだ。温かなものの正体に気づいたら、何かが変わりそうな。
――そんなモヤモヤを抱えつつも、ゾロは変わらず手応えの無いままの敵を順調に蹴散らしてトーナメントを勝ち上がっていき、ついに決勝戦まで到達した。
「さあ、トーナメントもいよいよ決勝戦――!」
拳を突き上げて場を盛り上げる司会者と共にゾロの前に現れたのは、決勝戦の相手だ。中年の貴族風の男で、ちょろりと口髭を生やしている。細身だが、このバトルを決勝まで勝ち上がってくるということはそこそこの手練れなのだろうか。男は、ゾロが持っているのとは違う、洋風の剣を携えていた。『バロン・スウォード』と名乗っているが、きっと本当の名前ではないのだろう。 「決勝戦は、昨年の覇者・剣士バロン!そして対するは今大会初出場の新星、剣士ロロノア!――さてここで、お互いの士気を高めるために、希望する優勝賞品を宣言していただこう!」
急にそう振られてゾロはギョッとする。今ここで宣言する。サンジが情報を得ていた賞品のカラクリが分かっていなければ、急に対応できるものではない。つくづく姑息な。
生憎ゾロは、サンジのお陰で優勝賞品は決まっていたし、相手は昨年も出場していたので特に動揺している素振りもない。運営の読みは外れたということか。
「ではまず剣士バロンから!」
「――それを答える前に確認したいのだが。『賞品は、この会場内にあるもの』であれば本当に『何でも』構わないのだな?」
「もちろん!この会場にある金銀宝石、何でもどうぞ!ただし一つのみだ!」 「そうか。では――今年は、人をひとり、頂きたい」
剣士バロンの言葉は余程意外だったのか、司会者はひょえっ!?と頓狂な声を上げた。
「変わったヌードルを売っていた屋台の店主だ。金の髪で青い目の若い男」 「はァ!?」
今度はゾロが頓狂な声を上げる番だった。会場で屋台を出している者は他にも居たが、剣士バロンが言うような風貌の者はひとりしか居なかった。
「初めてあのようなヌードルを食したが、本当に美味であった。あの男を賞品として頂きたい。私の専属シェフとして屋敷へ迎え入れたいのだ」
「何を言ってやがんだ、人は物とは違う、本人の意志ってモンがあんだろうが」
思わずゾロは言ってしまう。
「かの者を雇い入れるに納得できるだけの十分な金額を、『賞品』として用意して頂こう。『この会場の中にあるもの』なら何でも良いのであろう?」 バロンは司会者に視線を移して言った。その眼光は鋭く、有無を言わさぬ様子である。
「てめェ、金目のモン欲しさにこれに参加してるわけじゃねェな」
ゾロが言うと、バロンはゾロの方へ視線を戻した。
「もちろんだ。金など腐るほどある。だが毎日が退屈でね。退屈しのぎのためにこのバトルにも出ている。だが今年は出て良かった。かの者はきっと、私が見たこともない素晴らしい料理を日々食べさせてくれるであろう。退屈など感じる暇もないほどに」
「…そりゃある意味当たってるだろうけどな、ウチのコック、そう簡単にはやれねェな。アレを仲間にすんのにウチの船長がどれだけ手を焼いたと思ってんだ」
「――?君は彼と知り合いなのかね」
「知り合い…――そうだな。知ってるか知らねェかと言われたら、知ってる」 『知り合い』という無機質な響きに引っ掛かりを感じて、ゾロは言った。
「だが、単なる『知り合い』ってわけでもねェ。――あいつは」 『コック』で『仲間』で『ケンカ相手』で。一言では言い表せないが、そう簡単に人にくれてやれるものではないことは確かだ。バロンの言うように、サンジと居ると、自分の中で色んな感情が動いて、退屈など感じたことがない。
「だがてめェも譲りたくはねェんだろう。――だったら、おれが欲しい優勝賞品もソレにする。勝った方が、あのコックをもらう。分かりやすくていいだろ」
ゾロの言葉に、バロンは目を細めた。笑ったようにも、睨んだようにも見えた。
ゾロは腕からスルリと手拭いをほどくと、頭に巻いた。

 中の様子が全く分からないので、決勝戦の進捗状況が全く読めないサンジは、会場の外でひたすらゾロを待つしかなかった。売り時が終わって、あちこちにあった屋台もほぼ店仕舞いをして居なくなっているし、コロシアムに入れないのにこの場所に居る意味もなく、他の客もまばらである。
サンジは、まさか中で、自分をめぐって決勝戦が繰り広げられているなどとは夢にも思っていなかった。ただゾロの勝利を疑うこともなく、あのアホ早く終わってさっさと出てきやがれ、程度にしか思っていない。
不意に人が増えた気配がして、そちらに目をやると、明らかにバトルを見に来た客でもバトル参加者でもない風貌の男たちが大量にこちらへ歩み寄って来ていた。
「あの服装…海軍、じゃねェが、警察臭ェな。憲兵団か?」
その集団は、軍服らしき服を身に着け、警棒と拳銃、サーベルを腰に差している。
「何だ…?」
何やら不穏な気配がして、サンジは彼らに見つからないようにそっと柱の陰に身を隠した。まばらに残っていた他の客たちは、何事かと集団を見ていたが、何せサンジは海賊だ。しかもアーロンを倒し、3000万ベリーの賞金首となった新鋭・麦わらのルフィの一味。身元がばれたら面倒なことになりそうだと思った。
憲兵団らしき集団は、コロシアムの方へ一直線に進んでいく。コロシアムの中では今まさに、ゾロが戦闘中のはずだ。
「何か、ヤベェ、のか?」
しかしコロシアムへは入れない。サンジは集団がコロシアムの中へ入っていくのを見届けて、出入り口付近でゾロを待った。

 さすが決勝戦だけあって、剣士バロンは中々の手練れであったが、それでもゾロの方が優勢なのは明らかだった。
「――この試合もまた、いい退屈しのぎになったか?」
ゾロは不敵に笑うと、最後の一撃を繰り出し――かけたところで、野太い声が響き渡った。
「そこまでだ!」
見れば、軍服を着た男たちの集団が、次々とコロシアムの中へ入ってきていた。隊長らしき男が、ステージの上に上がり、全体に向かって声を張り上げる。
「この会場で、違法な賭博が行われていると通報があった!」
「賭博?」
ゾロは呟く。そしてすぐに理解した。こんな大がかりで金のかかるようなイベントを誰がどうやって開催しているのかと訝しく思ったものだが、そう考えれば合点がいく。
このイベント自体が、そうなのだ。客はバトル参加者の誰が勝つかを賭けている。その客たちだけが、このコロシアムに入れるのだ。そしてその賭け金が、次のイベントの資金になる。
自分が賭けの対象にされていたと分かれば、気分のいいものではない。しかし昨年の優勝者のバロンに対し、初参加のゾロはさぞかし大穴であっただろう。
「よって、この会場内にいる者すべてを、事情聴取のため連行する!」
隊長らしき男がそう言うなり、軍服の集団は傍にいた観客たちを順に捕らえ始める。コロシアム内は一気に大混乱となった。海賊である自分が捕まったら厄介なことになる。そう考えたゾロは、混乱に乗じてその場を離れようとした。逃げようと出口に向かう観客たちに流されるように移動する。バタンと勢いよく扉が開いて、観客たちが我れ先にと出ていく中、ゾロは周囲を見回した。 「クソっ、あのアホどこだ!」
サンジと共にでなければ、ここを離れられない。
「コック!」
声に出して呼んでみたが、この騒ぎの中では届かないだろうか。
「アホコック!」
もう一度呼んだら、ぐい、と手を引かれた。周囲は凄い人の数で、自分の手を握る手だけしか見えない。だけどこの温かな手をゾロは知っている。
「誰がアホだ!」
そんな声だけが届いて、安心した。ゾロは手を引かれるままに走った。 

「ふう。この辺まで来りゃ大丈夫か」
会場を後にし、喧騒が全く届かないところまでひたすら夢中で走ったところで、サンジは立ち止まった。
「……おい」
「ったく、あのイベント、詐欺みたいな謳い文句で人を集めてただけじゃなくて、賭博までやってたのかよ。タチ悪ィな」
「おい、コック」
「…まァ、バトルに参加するだけで時価数億円の賞品、なんて胡散臭さの極みみてェなイベントだったか」
「クソコック!」
「何だよ」
「もう、いいんじゃねェか」
「ん?」
気まずそうに目を逸らしながら言うゾロに、サンジが何だろうと首を傾げると、ゾロはぐい、と右手を挙げた。――サンジがしっかり掴んだままの。 「お、…っと」
サンジは慌ててゾロの手を離した。ゾロの手しか見えなかったので咄嗟に掴んだ手だった。切羽詰まっていたので、人込みを離れてもずっと掴んだままだったのを自覚していなかった。いざ指摘されると何だかこそばゆい。
「しかし何だってあのタイミングで…」
気恥ずかしいのを誤魔化すようにゾロが言った言葉に、サンジはハッと思い当たった。
「あのジジイ…!」
「あ?」
「あの屋台の親父だよ!あんにゃろ、腰痛めたっつうのも怪しかったし、何か胡散臭ェと思ってたら!あいつが通報したんだよ!」
「何のために」
「火事場泥棒だよ!あのジジイ、会場内にある本物の宝石の場所とか価値とか、色々知ってやがったからな。混乱に乗じて宝石がひとつふたつ無くなってたって、後になっても誰も気付かねェだろ」
「屋台でも儲けといて、したたかだな…」
呆れたようにゾロが言う。そして、『宝石』と聞いて、思わず声を上げた。 「あ」
「どうした」
「おれも、持ってきちまった」
そう言いながら、ポケットから優勝賞品にするはずだった宝石を取り出した。 「ああ…まあ、いいんじゃねェか?どうせてめェが優勝だったんだし、もらえるはずのモンだろ」
その辺りでドライなサンジはサラッとそう言って、港のある方へ歩き出そうとした、が。
「いや、それが実は」
といつになく歯切れの悪いゾロに、立ち止まる。
「何だよ」
「賞品として決めてたのは、違うモンだった」
「何でだよ、もっと良いモンがあったのか?」
まああのジジイは完全には信用できなかったが、と言うサンジに、ゾロは、 「そうだな。もっと大事で、価値のあるモンだった」
「だったらそっち持ってくりゃ良かったのに。てめェの権利なんだから、持ってきても良かったんだよ。より高価な方が、ナミさんも喜んだだろうに」
「…おれの権利か」
「そうだよ」
今、目の前に立つこの男を手に入れるのは自分の権利なのだろうか、とゾロは思った。いや、そうではない。まだ。他人を通して、ようやく見えた価値だ。少なくともあのバロンという男は、宝石よりも価値のあるものがきちんと見えていた。バロンがサンジを求めなければ、ゾロはそれにまだ気付けていなかっただろう。
「じゃあ、権利行使すんのはもうちょっと後でいい」
「ん?何だそれ」
「おれの権利だ、っててめェが言ったんだ、自分の言葉には責任を持てよ」 「何の話だよ、さっぱり分からねェぞ」
「そのうち分かる。帰るぞ」
「帰る、ってそっち反対方向だ、アホ!」
ゾロとサンジはぎゃあぎゃあ言い合いながら、ふたりで皆の待つ船へと帰った。
これから何か素敵なことが始まりそうな、キラキラとした虹色の予感と共に。

 

————————————————————————————-

ワタクシは未満の二人が好きです。それから対等な二人。状況分析に優れた鋭いサンジさんが好きで、そのくせ自分に対する好意には鈍いサンジさんも好きです。普段は細かいことを気にせずに鷹揚と構えているくせに、ここぞという時は絶対にはずさないゾロも好きです。…とそんな感じでワタクシの好きなものがたくさん詰まったお話なのです。
それと。史瀧さんのところで時折語られる音楽にまつわるお話が好きでして、歌をモチーフに書いていただけて幸せ。ワタクシ、恥ずかしながらこの曲を知らなかったのですが、聴いてみたらまさにゾロサンソングで、こうして新しい世界が拓けるのもまた楽しからずや。

史瀧さんありがとうございました!