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雲居なす

2.

 目下、サンジが留学先と定めたラボには、国も年齢も違う二十名ほどの研究者が所属している。個性派ぞろいの上、自己主張の激しい者同士の集まりは、意見が食い違うことも多かったが、衝突するごとに相手への理解を深めていくようなところもあって、サンジはうまく溶け込んでいた。
 同じ部分を共有しながら、相手と違う部分を認める。相手と自分との違いを認めつつ、妥協できる点を探る。
 この辺りの機微は、自国にいたときも心がけていたことで、人間関係ってのは何処の国でも同じだなぁと思う。

 そして、どこの国に行っても人の悩みは同じだなぁと思う。

 

「全くもう、全っ然、連絡してこないんだから!」
 昼休み、携帯を片手に怒っているのは同じラボのコアラだ。彼女が付き合っている相手は時折、行き先も告げずにふらっと出かけてしまう性質のようで、その度に彼女はやきもきしている。音信不通となる期間は短ければ一日、長くても二週間ほどで「必ず帰って来るのだから心配しなくても大丈夫」と周りから慰められているが、彼女は毎度、憤懣やる方ないようだ。

 

「男って、どうしてこう鉄砲玉みたいに飛び出て行っちゃうの?!」
 キッと顔を上げたコアラが、急にサンジへ話を振った。流れ弾だ。
「おれだったら、コアラちゃんみたいにキュートなレディに心配かけたりしないよー」
 表面上の怒りとは裏腹に、恋人をひどく心配している内心が分かるから、八つ当たり気味に詰問されても、レディは可愛いなぁとサンジは思ってしまう。
「たしかに、サンジくんはマメに連絡してくれそうかも」
「そう思ってもらえて光栄~!」
「いいこと?」
 コアラはサンジに向かって人差し指を突き出した。
「彼女がいるんだったら連絡はちゃんとしなくちゃダメなんだからね!」
 真剣な表情で言う。彼女が本当にこの言葉を告げたい相手は生憎と不在だから、これはアドバイスに見せかけたとばっちりだ。サンジは畏まって拝聴した。
「でも、連絡すればいいってもんじゃないの。わかる?定時連絡みたいに要件だけじゃダメなんだから!」
 コアラの愛ある忠告を笑顔で受け止めながら、連絡はもうずっと長い間こちらからしてないとサンジが言えば、どんな反応が返ってくるだろうかと思う。

 

 

 「留学しようと思っている」と告げたときの、ゾロの呆然とした顔を今でもはっきりと覚えている。あまりにも呆けた顔をしていて、笑い出しそうになった。文字通り鳩が豆鉄砲を食ったような顔を思い出すと、今でもなんとなく可笑しいような心持ちになる。

 うそだろ?冗談だろ?ホントなのか?と何度も聞かれた。

 嘘でも冗談でもなく本当だと理解するのにしばらくの時間を要し、さらにそれなりの時間難しい顔で考え込んでしまった。そしてようやく「どのくらいだ?」と期間を聞き、「二年間」とのサンジの答えを聞いて絶句してしまった。

 その様子を見ていたら「別れよう」という言葉がつるりと口から出た。

「ふざけんな」
 放心状態といっていいほどの沈黙を保っていたくせに、その言葉に対する反応は素早かった。殴りかからんばかりの勢いで怒りを露わにして詰め寄られた。

「別れねェ。言ってる意味が分からねぇし」
 必死な形相で聞き分けのない子供のように、別れるのはいやだと繰り返した。

「無理だろ、おまえ。二年だぞ。分かるだろ」
 ゾロの必死な様子にサンジは逆に冷静になった。サンジとて何も考えずに出した結論ではない。留学を検討したときからずっと考えていたのだ。ただ、言うタイミングが悪かった自覚はある。もっと落ち着いた状態で、きちんとした形で切り出すつもりだった。失言したような態で言うべきではなかったが、サンジも心に余裕がなかったのだと、今なら思う。

 

 

「好きになった」
 一目惚れだと強引に言い寄ってきたゾロを、かわして蹴り飛ばして、それでも全く諦めることなくがむしゃらにアプローチしてくるのに、うっかりほだされて、つき合うようになってから三年。当時、大学の一年生だったゾロは四年生になり、三年生だったサンジは、専攻している時間生物学の研究を続けるために大学院へ進んだ。ゾロとのつき合いは、腹の立つことも、本気で喧嘩をすることも多かったけれども、妙に居心地がよくて、このままなし崩し的にずっと続くだろうと漠然と思っていた。
 その矢先、サンジの所属する研究室の教授から国際共同研究プログラムの話を聞いた。多国間の研究者を集めて活動することで互いに刺激し合い、優れた知恵と結果を出すことを目的に行われるもので、次世代の研究者の養成もプログラム趣旨に掲げられていたからサンジのような若手にも参加資格があった。いくつかあるテーマのうち、サンジが望む時間生物学のテーマについては、異種分野横断型のチームが組まれることになっていた。生物学の研究者だけでなく数学者や医学博士もメンバーに含まれるという。それにより今までにはないアプローチが可能になると思えば、ひどく興味をそそられた。当然のことながらホストラボが置かれるのは海外の大学にある研究機関内だった。海外……。悩んだが、来年も同様のプログラムが開催されるとは限らない。また、志願してもパスできるとも限らない。とりあえず応募だけでもしてみようとダメ元で応募してみたところ、意外にも受理されて二年の留学が決まったのだった。

 待っていてくれとは言えないと思った。もちろん、一緒に来てくれなんて論外だ。ゾロだって、ほどなく社会人になるだろう。気楽な学生生活を卒業して、世界が広がれば自分に対する執着めいた愛情も若気の至りだったと気がつくのではないか。

 一緒にいるからこそ「付き合っている」と言える関係なのに、会えないまま全く違う場所で二年もの月日を過ごすのは単なる知り合いに成り下がることで、だったらきちんと別れるべきなんじゃないか。別れた方がゾロの為なんじゃないか。

 そう考えたからこその言葉だった。

 サンジから切り出された別れを「いやだ。認めねぇ」とひたすらに拒む姿は、いま手にしているものを失わないようにしているだけの子供のようだと思った。

―― おまえ、先のことなんて考えてねぇだろ。

 悩んで考えた末に出した結論を、幼稚な気持ちで覆されたくはなかった。

 結局、ゾロは最後まで首を縦にふらず「別れない」と断固として言い張ったが「行くな」とは一度も言わなかった。

 そして、サンジに手紙を送り付ける。

「逢はむ日をその日と知らず常闇にいづれの日まで我恋いらむ」

 

 

「分かる?」
 不意にコアラに顔をのぞきこまれ、サンジは回想から現実に引き戻されてどぎまぎした。
「あー、うん。連絡、だよね?」
「そう!でも要件だけを一方的に話す要件人間は駄目よ」

―― コアラちゃんの彼氏は要件人間なんだろうな。

 そう思えて微笑ましくなったから聞いてみた。
「『どこにも行かないで』って言ったりしないの?」
「そうねえ」
 コアラはちょっと考える風に首をかしげた。
「言ったところで行っちゃうヒトだから。引き止めても無駄なの」
 そう言うと、諦めと信頼が混ざったような顔でにっこりと笑った。
「そっか。早く帰ってくるといいね」

 引き止めても無駄と諦められたのか、信頼されているのか。
 もしあの時、「行くな」と言われていたら、どうなっていたんだろうか。
 ゾロとの関係も違う形になっていたんだろうか。

 時々考える。

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