Skip to content →

雲居なす

 

4.

 

 投げ込まれていた葉書を持って部屋を出た。

 教会が時を知らせる鐘を鳴らすと、石畳の続く街に高く華やかな鐘の音が響き渡る。
 サンジは足を教会に向けた。
 この国の神を信じてはいないのだけれど、敬虔で穏やかさに満ちた佇まいを希いたくなる心持になるときが時々ある。日々、決まった時刻に決められた聖務を行う規律正しい静かな生活に、救われたいような、救われるようなそんな気持ちになるから、時折、入り込んでは身廊のベンチに腰掛ける。石造りの堅牢な建物の内部へは外の喧騒も届くことなく静かで、ひんやりと薄暗く、気持ちを落ち着かせてくれる。しょせん祈ることなど何もないが、一人ぼんやりともの思いするには最適で、何もすることのない休日などにサンジは教会を訪れた。

 忙しない日々が作るささくれだった気持ちをリセットする。
 それから、遠く離れた人を思う。今、ここにいない男を思う。

 もっと上手いやり方で離れることは出来なかったのかとか、元気でいてくれればいいなとか、いま何をしているだろうか、何を思っているだろうかとか。

 勝手なことを言っているとは承知しているけれど、止められなかった。

 サンジは出掛けに届いたばかりの葉書を取り出した。これで一体何通目だろう。見慣れた意匠の切手が貼ってある脇に、サンジの住所と名前が、未だにこの国の文字を書き慣れていないようなぎこちない筆跡で書かれている。

 

―― サンジ……。そういや、名前なんて呼んだこともないくせに、文字だとなんの躊躇もなく書いて寄越すよなぁ。

 ゾロが最後まで「別れない」と抵抗したため、説得しあぐねたサンジは、「勝手にしろよ、おれも勝手にする」そう言って、結局のところ、別れたというよりは離れて来た。ちゅうぶらりんの状態でゾロのもとを去った。自然消滅するならそれでもいいという打算もあった。

 だいたい「絶対ェ、別れねぇ」とか「二年くらい何でもねぇ」とか偉そうに言う男に、なんの根拠があってそんなことが言えるのかと思う気持ちもある。離れた距離と会えない時間をどうやって埋めるつもりなのか。埋める策を考えることも、その策を実行するマメさも持ち合わせていない男が。鉄の塊が空を飛ぶのが納得いかねぇとか言って飛行機にも乗れねぇような男が。見かけによらず甘えたがりで、四六時中ひっついていたがるような男が。

 その一方で、ゾロのやると決めたら絶対にやり遂げる実行力も知っていたから、どうするつもりなんだろうとも思った。つきあっている間は、ろくに連絡を寄越したこともない男が、ケータイもろくに使わないような男が、どうするつもりなのかと。

 

 この国に来たばかりのころは、ゾロからメールやラインや電話などを通じて連絡があった。サンジは連絡先を教えなかったが、共通の友人のツテを頼ったのだろう。しかし、そんな直接のやりとりは、時差がある上にサンジから積極的にゾロへ返信しないこともあって、不発に終わることも多かった。そのことに手詰まり感を強めたのか、しばらく音沙汰の無い期間が生じた。諦めたのだろうと思って、サンジは、寂しいようなホッとするような気持ちを抱えた。しかし、その後、ぽつりぽつりと手紙が届くようになったのだ。

―― バカじゃねぇの。
 筆まめでもねぇくせに、どうしてこんな不確かでアナログな手段を選ぶのか。

 住所を書く。切手を貼る。ポストに投函する。

 おそらく想像以上の手間だと思うのだ。付き合っているときでも、メールでさえロクに送らない筆不精の男だったのに。

―― 電話でもメールでも、してくりゃいいじゃねえか。
 そうしたら、拒否することも、そっけない態度をとることも出来るのに。喧嘩をふっかけることも、嫌味を言うことも、嫌われる態度をとることも出来るのに。

 相手に期待させないよう拒まなければと思うのに、海と時間を越えてやってくる手紙を拒絶することはできなかった。送り返すのは相手とつながるようで、それもためらわれた。

 無視をするに限る、そう思うのに、遠くから時間をかけて送られてくる手書きの葉書を無碍にすることは出来なかった。

―― しかも、葉書にはいつも和歌が一首だけ。
 国文学専攻で、女の子だらけの教室で、いつも不機嫌そうにしていたゾロらしいといえばゾロらしい。真面目に授業を受けているというアピールも兼ねているのだろうか。

 

たまっていく手紙。

たまっていく言葉。

たまっていく気持ち。

 

―― ばかだよなあ。あいつ。何の反応も返さないのに、まったく同じ調子でずっとおれに言い続けて。

 サンジは手で顔を覆った。

 

―― ばかだよなあ。おれ。距離をとって、研究にうちこんで。それでも忘れられずに、吹っ切ることも出来ずにたった一人を求めるなんて。

 

「門立てて戸は閉したるをいづくゆか妹が入り来て夢に見えつる」
 意味もわからないまま、ゾロから送られる歌を心の中で読み上げる。

 

 書いてあることは相変わらず理解できないが、なんとなく恋の歌なんじゃないかなという雰囲気は分かる程度には、たくさんの手紙を受け取った。

―― 溜められた言葉でいっぱいになったコップがぎりぎりの線を超えて静かに溢れ出す。

 不意に脳裏にひらめいたイメージに、頑なに別れなければと思い込んで、自分の気持ちに背いて意地を張っていることがばかばかしくなってしまった。多分、怖かっただけなのだ。自分が、ではない。ゾロが、おれから放れてしまうことが。こうして離れている間に。

 なんとなくまたゾロにほだされちまったんじゃないかという気がしなくもない。それでも、これだけ不在の相手を思い続けるのであれば、意地を張る必要はないんじゃないか。もっと自分の気持ちも相手の気持ちも信じてやればいいんじゃないかと思う。
 開き直って認めてしまえば簡単なことだった。

 

 サンジは席を立った。

 

 

 電話をかけたら驚くだろうか。喜ぶだろうか。ひさしぶりに声を聞かせてやるか。いや、違う。おれが聞きたいんだ。

 気持ちをリセットするだけのつもりだったのに、思いのほか巻き戻ってリセットすることになっちまった、と思った。

 

Pages: 1 2 3 4 5